第77話 再会(リアル)



 キーンコーンカーンコーン


 放課後を知らせるチャイムが鳴ると和樹は傍に置いていた鞄を持ち、静かに立ち上がる。教室には授業からの解放感でざわめきあっていた。雪と桜香も近づいてきた友達と会話をしているのを確認すると和樹はそうっ、と教室からの脱出を図る。

 クラス全体での勉強会、そんな面倒なことに巻き込まれたくない。和樹は騒がしい教室内を気配を殺して移動して扉に手をかける。


(よしっ、バレずに帰れる)


 和樹がそう思った矢先、ポンッ、と和樹の肩に手が乗せられた。


「あれ? 白井君、どこ行くのかな?」


(バカな! 俺のリアル隠密スキルが看破されただと!!)


 自分の行動が止められたことに驚く和樹をよそにとてもいい笑顔で和樹の行動を阻止した雪。

 そんな雪に和樹は最後の抵抗を試みた。


「後生だ、柊。俺はこんな面倒なものに巻き込まれたくない」

「…………」

「お前の勉強なら見てやるから、な?」

「……白井君」

「なんだ?」

「……そんなに皆と勉強するの嫌?」

「うっ……」


 悲し気な表情を見せ、上目遣いで訊ねる雪。その破壊力は恐らく下手な男なら狼になっていたであろう。そんな表情を見せられたらいくら和樹でも制止を振り切れなかった。


「……はぁ、一時間だけだぞ」

「うん!」


 とうとう根負けした和樹がそう言うと太陽のような笑顔を見せ雪は頷いた。先ほどからコロコロ変わる顔に和樹は嘆息をつくと再び席へと戻ることにした。


「違う違う、白井君、君はあっち」

「はあ?」


 席に座ろうとした和樹に雪は教室の前の方を指差した。その方向を見て和樹は呆然とした声を出す。


「普通に勉強して質問したければすればいいじゃん」

「一体、何人が質問にくると思ってる?」

「……前に出よう」


 雪の一言で和樹はため息を漏らして諦めたかのように黒板の前へと移動した。すると、いつの間にか机に教科書を広げていた生徒たちから一斉に質問が飛び出して来た。

 最初は面食らった和樹であるが落ち着いて対処して一人一人の質問に答えていき、予定して一時間を過ぎ和樹が帰ったのは二時間後となった。



☆☆☆☆☆☆



 滝沢楓はすこぶる機嫌が悪かった。それは生徒会室にいる誰もが分かった、しかし直接それを言う度胸のある生徒はおらずただただ額に冷や汗を垂らしながら割り当てられた作業に没頭していた。

 そんな室内の雰囲気を察して、理沙はため息を漏らした。彼女だけは楓が不機嫌な理由を知っているからである。

 

「楓、そろそろ時間」

「……」

「楓」

「え、あ、えぇと何?」

「だから、そろそろ下校時間」

「えっ、う、うんそれじゃ皆お疲れ様でした」

『お疲れ様でした』


 楓の言葉で安堵した表情を浮かべながら挨拶するとそそくさと帰り支度を済ませ、教室から出て行った。残ったのは楓と理沙だけとなった。


「楓、アンタさぁ、いくら昨日頭にきたからってそれをリアルに持ち込まないでよね。皆ビビっちゃったじゃん」

「そ、そんなにあたし分かりやすかった?」

「うん、なんか不吉なオーラが駄々漏れだったよ」

「……そう」


 理沙に指摘されてそんなに顔に出ていたのかと落ち込む楓。感情のコントロールに自信があったが自分もまだまだのようだ。


「はぁ、とにかく帰ろう」

「……うん」


 理沙に言われて楓は鞄を抱え、生徒会室を出て行った。



☆☆☆☆☆☆



 駅までの道のりを楓と理沙は歩いていた。電車通学の楓と違い、理沙は歩いていける距離に自宅があるためこうやって途中まで帰るのが習慣となっていた。


「それで、昨日の彼はどうしたちゃったの? ボコボコ? 半殺し?」


 道端で物騒なことを言う理沙であるが発言から楓に前科があることを窺わせた。


「いや、逃げられちゃった」

「えっ、アンタから逃げきれるプレイヤーなんているの?」


 楓の発言に驚きを隠せない理沙。幾度となくミルフィーに鉄拳制裁されたプレイヤーたちを見てきたせいか誰も彼女からは逃げられないものとばかり思っていた。だが、実際にそれが出来る人物がいたとなると興味を湧かないわけがない。


「油断している隙に【立体機動】で建物の屋根まで飛んでそこから逃亡。今も思い出すと腹が立ってきた」

「うわぁ……」


 楓がその時のことを思い出したせいか毛が逆立つんじゃないかと言われるくらい気が立っていた。その様子に思わず引いてしまう理沙。

 

「はぁ、アンタがそいつのことをどうしようが勝手だけどさ、出来れるだけリアルじゃ抑えておいてね。誰もが尊敬する生徒会長が台無しよ」

「別にあたしそんな立派な人じゃないわよ」


 謙遜する楓であるが実際、聖蘭女学園では一年生から三年生まで誰もが知っている有名人。成績優秀、才色兼備を体現したかのような彼女を慕っている人たちは多い、ファンクラブまであるほどだがそれは楓の知らない話である。


「ふぅ~ん、まあいいけどさ。それより、今度のイベント全員参加の予定だけど楓は大丈夫?」

「うん、予定空けておいてるから問題なし」

「そっか、あ、勝手に飛び出さないように気を付けてよね」

「……善処します」

「アンタ、本当にリアルこっちゲームあっちじゃ性格が違うわね」

「ハハハ、どっちもあたしだから何の問題もないよ」

「……学校でのアンタをギルドの皆に見せてやりたいわ」


 おどけてみせる楓にため息を吐きながら理沙は今回のイベントも一筋縄ではいかないと不安になりつつあった。







 そこからしばらく他愛のない話をしながら駅まで歩くと楓は理沙と別れ、自分の住んでいる街へと降り立った。夕暮れ時に行き交う人々を横目に楓は一人歩き出した。

 季節は徐々に夏へと移り変わり、夕暮れ時だというのに外はまだ明るい。家路へと足を運んでいた楓はふと、重要なことを思い出していた。


(あ、参考書買わなきゃ)


 いくらゲーマーと言えど、期末テストを目前に控えた学生。文武両道ならぬ文ゲー両道を心がけている彼女にとってテストというのは大きな壁である。それに楓も高校三年生、聖蘭女学園が大学の付属校だといえど成績が悪ければ大学に入れないし成績優秀者は行きたい学部に優先的に入れる仕組みなので油断はできないのである。

 とは言え、彼女の成績は学年でトップ。心配するほどではないが真面目な性格をしているので手を抜くという選択肢がなかった。

 楓は近くにあった本屋に入り、適当に参考書を置かれている棚へと向かった。小学校、中学校さらにそこから教科別に分けられている棚を見上げながら楓は高校レベルの棚へと足を運ぶ。


「う~ん、どうしたらいいか……」


 高校レベルの参考書を置いてある棚にやってきた楓の耳に何やら唸っているような声が聞こえた。首を傾げながら楓は目的の棚へと顔を出す。


「あっ!」

「え?」


 角から顔を出した楓はそこに佇んでいた人物を見て驚きの声が漏れる。その声に反応した人物が顔を楓の方へと向けると彼も目を見開かせた。


 そこには、腕を組んで数学の参考書を見ていた和樹の姿があった。



☆☆☆☆☆☆



 ――十分前


 和樹は空を仰いで悩んでいた。理由は、ついさっきまで行われていたクラスの勉強会である。最初はまばらに質問してくる生徒たちに黒板で書いて教えていた、また複数同じ分野で解らない所があったならその解説も加えていた。そんな感じで和樹はクラスメイトたちに勉強を教えていたのだが。


(ここまでやばいとはな)


 正直、驚いた。何に驚いたかと言うとその質問の量である。まばらだった質問が数分しないうちに濁流のように押し寄せたのだ。特に数学、あれはやばかった。確かに数学は少しばかり授業の内容も難しくなってきたがそれでもあの量はひどい、どのくらい酷いかというとBGOでボス戦を回復手段なしで5連戦するくらい酷かった。中々の地獄を見た、おかげで和樹自身の勉強もそこそこに家事があるからと先に帰ったのである。

 そして、今家路につきながら和樹は考え事にふけっていた。考えるのは勉強会の中で最も赤点を取りそうな可能性を持つ人物たちである。教科別にしなくても五人ほどはこのままでは赤点は免れないだろう。


(安藤とかは予想通りとして、柊もなぁ……)


 赤点筆頭は土下座の先頭にいた安藤、彼は三教科ほど危なかった。よく進級出来たなと逆に感心してしまうくらいである。そして、そこから苦手教科がひどい人が四人、その中には数学を苦手としていた雪もいた。他の教科は特段酷いわけもなくどう見ても数学が足を引っ張っていたのが印象的である。このままでは彼女の夏休みは訪れないだろう。


「はぁ、とりあえず本屋でも寄って、参考書でも読んでみるか」


 いくら頭が良くたって教えるとなると勝手が違う。相手に上手く解説をするというのは人との会話を苦手とする和樹にとって難しい問題であった。なので、参考書をめくってどういう風に解説しているのかを学ぼうと考えたわけだ。

 駅近くにある本屋へと足を運んだ和樹は高校数学参考書コーナーの前で腕を組んで熟考する。如何せん、参考書の量が量なのでどれを取ればいいのか迷うのだ。とりあえず、近くにある一冊を手に取り中身を読んでみるが、概要の説明も問題の解説も和樹なら理解できるが苦手としている人が読んだら理解するのに時間がかかるものであった。その後、数冊棚から抜き取って中身を覗くがどれも同じようなものばかりで和樹は頭を抱えた。


「う~ん、どうすればいいか……」


 珍しく難題を突き付けられて悩み声をあげた次の瞬間…


「あっ!」

「え?」


 突如、横から声が聞こえた和樹は顔をそちらに向ける。すると、そこにはどこかで見たことがある金髪碧眼の美少女がいた。


「……えぇと、こんばんは」

「……こんばんは」


 楓との思わぬ再会に和樹が固まっていると戸惑いの顔を浮かべながら楓のほうから声を出した。つられるように挨拶を和樹が返すとどこか安堵したような顔をして楓が近づいてくる。


「奇遇ですね、参考書を買いに来たんですか?」

「はい、まぁ、そんなところです」

「そう、ですか……」

「…………」


 短い会話が終わると無言になる和樹と楓。困った和樹は一言言ってその場からの撤退を決めた。


「そ、その、じゃあ、俺はこれで」

「あの!」


 和樹が楓の横を通ろうとした時、横から焦ったような声が発せられた。結構な声量に和樹はびっくりした顔を向けた。


「どうかしました?」

「え、あ、あのすみません。大声を出してしまって」

「い、いえ、驚きましたけど、別に怒ってませんから」

「す、すみません……」


 和樹が営業スマイルを発生させると楓は、顔を俯かせて小さく謝罪を述べた。


「そ、その、少しだけお話出来ませんか?」

「……はい?」


 彼女の意外な一言を受けて、和樹は呆然とする。和樹の表情を見て、再び慌てたように手をぶんぶんと振る。


「す、すみません! あ、あたし何を言って……迷惑ですよね?」


 下から見上げるような目線を浴びて、和樹は思わず胸が高鳴るのを感じた。

 楓自身もどうしてそんな言葉が出てきたのか分からなかった。しかし、昨日のゲーセンでの和樹の動きに対する興味と、昨晩のストレスが混ざったせいであろう。勝手なことを口走り後悔していると優し気な声色が楓の耳に入った。


「いいえ、構いませんよ。自分もちょっと話相手が欲しかった所なのでちょうどよかったです。なら、近くに前にアルバイトしていた喫茶店があるのでそこに行きませんか?」

「い、いいんですか? あたし結構、勝手なこと言ってますけど……」

「俺がそうしたいと思ったんですから、何の問題もないですよ」


 微笑みを浮かべる和樹を見て、楓はその紳士的態度の年下の男の子に不覚にもドキッ、としてしまった。参考書を素早く購入した楓たちは和樹の提案した店へ向かうため、まだ明るい外へ出た。




 


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