第78話 お喋り



 二人は最近まで和樹がアルバイトをしていた隆の喫茶店へと訪れた。真新しい喫茶店を楓は興味深そうに眺める。


 カランコロン……


「いらっしゃいませー、あっ、和樹君久しぶりね」

「お久しぶりです絵里さん」


 扉を開けて入った和樹の姿を見て絵里は嬉しそうに微笑んだ。

 前まで和樹はこの喫茶店『ma bien aimée』で働いていたがお店が落ち着きを見せだしたので辞めた。

 フランス語で『最愛の人』という意味であるこの名前は隆がつけたらしく、この名前からでも奥さんに夢中なのは一目瞭然である。最初、由来を聞かされた和樹はドヤ顔の隆に苦笑いを浮かべたのを覚えている。


 和樹が絵里と久しぶりの会話をしていると遅れて入って来た楓に絵里が気づくと「あらっ?」と口に手をあて驚いた表情を見せた。


「和樹君、あなたまたこんな可愛い女の子を……」

「何か勘違いしているっぽいので言わせていただくと違いますからね」

「あら、残念……」


(何が残念なんだ?)


 少しがっかりとした顔をする絵里に小一時間ほど問い詰めたい所であったが楓がいるのでそれは今度にしておくことにした。


「こ、こんにちは……」

「はい、いらっしゃいませ。どうぞ、あちらの席へ」

「はい、失礼します」


 母性溢れる微笑みを浮かべながら楓を出迎えた絵里は和樹と楓を店の奥の席へと案内した。楓もおずおずと和樹に続いて案内された席に腰を下ろした。


「いい雰囲気のお店ですね」

「そうですか、ありがとうございます」


 店の内装をキョロキョロと首を回して見ていた楓が笑顔で和樹に言う。どうやら、気に入ってくれたようで和樹も嬉しくなる。席についてすぐに絵里がやって来てお冷を二人に渡す。注文を決めた和樹たちはそれを絵里に伝える。


「あ、俺ブレンドコーヒーで、滝沢さんは?」



(名前覚えてくれている……)



「あたしも同じのを」

「はい、かしこまりました。。ご一緒に和樹君お手製のミルクレープはいかがですか?」

「あの、今それ置いてないですよね?」

「…………」


 ちょっと興味あるかも、と思った楓であるが自分の我儘に付き合わせてしまっている以上和樹に迷惑はかけたくなかった。和樹にツッコまれて悪戯っぽい笑みをしながら絵里は厨房へと消える。


「……料理得意なんですか?」


 絵里が消えるのを確かめると楓は開口一番に訊いた。和樹特製のミルクレープが気になったようだ。


「まぁ、得意ってわけじゃないですけど少しだけって感じですね。基本、親が夜遅いので夕飯を作る程度です」

「それでも十分凄いと思うけどな……」

「滝沢さんは何でも出来そうな感じしますけどね」

「いえいえ、あたしは特技はゲームくらいだから」

「へぇ、テンプレだと成績優秀、スポーツ万能、才色兼備とか言われてそう」

「ハハハ、そんなラノベヒロインみたいじゃないですよ~」


 いや、実際そうであるだがここでは楓にツッコみを入れる人がいないためその言葉が空に消える。

 最後のほうで語尾が伸びたのをどこかで聞いたことがあったみたいだが和樹はすぐにその考えを捨て、会話を続行させた。


「……ゲーム、お好きなんですか?」

「はい、小さい頃からゼル〇とかモン〇ンとかバイ〇ハ〇ードとかやってましたね」

「あぁ、俺もやってたなそれら」

「え!? そうなんですか!!」


 和樹の言葉に前のめりになる楓。いきなりの行動に驚いて体を後ろに反らす和樹、だがキラキラした目をして楓は体をどかそうとしなかった。


「ちょ、ちょっと落ち着きませんか?」

「あっ、ご、ごめんなさい」


 和樹に言われてようやく自分の体勢に気づいた楓は、恥ずかしさのあまり顔を赤くして体を元の位置に戻した。それを見て安堵した和樹は会話を再開させる。


「……本当にゲームが好きなんですね」

「小さい頃からゲームばかりやってて、でもこういう話が出来る友達はいなかったからそのつい興奮しちゃって…」

「いいえ、気にしてませんよ。それに俺も似たようなもんですよ、こういう話をする友人は身近にいなかったです」

「君もなんだ、そうか……なんだか似た者同士だねあたしたち」


 ニコッ、と綻ばせる楓の顔は普通の男ならイチコロであっただろう。和樹もその可憐な笑顔に一瞬、見惚れてしまった。


「何々? 楽しそうにお喋り? 私も混ざりたいなぁ」


 コーヒーをお盆にのせた絵里のその声に我に返った和樹は一つ咳払いをして冷静さを取り戻した。


「別に大した話じゃないですよ」

「へぇ~、そうなんだ~」


 ニヤニヤとした顔をする絵里に和樹はジト目で視線をやる。が、絵里は特に気に留めることなく和樹たちのテーブルにコーヒーを置いた。


「そういえば、和樹君たちの学校もうすぐ期末テストですって?」

「そうですけど、どこでそれを?」

「この前ウチに来てた高校生たちが言ってたわ、和樹君と同じ制服だったし覚えていたの」


 隆たちの喫茶店はお洒落な内装にスイーツがおいしいと評判で最近では和樹の学校でも人気になり始めていた。が、とうのバイトしていた和樹はそういう情報を知らなかった。


「ま、和樹君は別にそんなに焦らなくても大丈夫でしょ?」

「勉強できるんですか?」

「うん、学年でトップ10に入るくらい勉強が出来るのよ」

「すみません絵里さん、俺そんなこと言いましたっけ?」

「え、裕樹さんが開店祝いで来てくれた時、自慢の息子だって言ってたわよ」

「よしっ、今日の夕飯はトマトの塩昆布和えにピーマンの味噌炒めだな」


 知らない所で息子を自慢しまくっている父親にお仕置きを考える和樹。仕事から帰った裕樹は台所にある夕食が全て自分の苦手な食べ物であるという地獄を見ることになるだろう。


「へぇ、凄いですねぇ」

「そうでしょ、和樹君はすごいのよ~」

「何故、絵里さんが自慢気なんですか?」


 楓の感嘆の声に胸を張る絵里に和樹はため息を吐く。手を伸ばして出されてコーヒーを飲む和樹。すると、喫茶店の扉が開く音がして、新しく入って来た客を確認すると絵里は楓に会釈してその場を離れた。

 楓も出されてコーヒーを一口飲むとほんのりとした苦さのなかに砂糖が入れられているのか甘さが頭だけ出しているようであった。


「おいしい……」

「ここのコーヒーはレベルが高いですから」

「そうなんだ」


 そう呟いて愛おしそうにカップを眺める楓。刹那、カップを覗いていた楓は顔を上げ和樹を見つめると微笑みながら口を動かした。


「ところで、話相手が欲しかったって言ってたけど何かあったんですか?」


 思い出したかのように口にした内容を聞いて和樹は「あぁ~」と忘れかけていたことが浮かび上がる。


「ちょっと、色々とありまして」

「色々って?」

「その……クラスの連中に勉強を教えてほしいって頼まれまして」

「それで?」

「えぇと、何といいますか今日見た所、あまり状況が好ましくないと言いますか」

「非常にまずい状況だと」

「はい、このままでは赤点コースまっしぐらですよ。それでどうしたもんかと思いましてね」

「それで、本屋で唸っていたんですね」


 和樹が本屋にいた理由が分かった楓、自分も理沙やクラスの友達に勉強を教えることが多いのでそういう気持ちはよく解った。


「西央高校はレベル高いって言いますしね」

「レベルが高いかどうかは分かりませんが他と比べてテスト範囲が広いってのは言われますね。滝沢さんはそういう経験とかありますか?」

「あたしも友達とテスト前に勉強することはあるからどう教えればいいのかとか考えることいっぱいあるよ。でも、結局根気よく、わかりやすくかみ砕きながら教えていくしかないんじゃないかな?」

「……めんどくさいですね」

「はは、でも人に教えることは自分の勉強にも役立つから無駄ではないよ」

「そういうもんですかねぇ」

「そういうもんだよ」


 一つしか違わないがその大人な対応に和樹は感嘆の息を吐く。自分よりもきっと多くのことを経験し、多くのことを学んでいるだろう彼女の言葉は何の抵抗もなく和樹の心の中に馴染んだ。すぅ、ともやが晴れたような気持になった和樹はふと、気になることを訊ねた。


「そういえば、どうして俺なんかと話をしたいと思ったんですか?」

「ぶう!!」


 和樹の何気ない言葉に楓は思わず飲みかけていたコーヒーを噴き出した。その反応に驚いた和樹だがすぐに備えられている紙でテーブルを拭く。自分のあまりの動揺ぶりに恥ずかしくなる楓。


「その……変なこと聞いてしまい申し訳ありません」

「い、いえ! 自分が勝手に慌てただけですから!!」

「慌てた? どうしてですか?」

「えっ? そ、それは……」


 和樹に見つめられ目線を反らす楓だがそもそも昨日会ったばかりでたいして知らない相手に急に「話でもしませんか?」など言われればそれがいくら楓のような美少女だろうが疑問に思うだろう。

 楓は和樹に言われて改めてどうして自分がそういう行動を起こしたのか考えてみる。頭の中に飛び交う言葉を選びつつ口を開いた。


「えぇと、自分でもよく分かってないですけど多分、ちょっとムカつくことがあったからかなぁ?」

「ムカつくこと、ですか」

「はい、その、ちょっとある人に友達の悪口を言われたんです」

「悪口ですか」

「うん、あたしそれが許せなくて、でもその人は全然自分が悪くないと思ってるみたいで……」

「うわぁ、何ですかそいつ何様だよ」


 楓の話を聞いた和樹は目を細め、語気を強めた。その反応に楓は呆然とする、そんな楓に気づいた和樹は首を傾げた。


「どうかしました?」

「いや、その怒るだなぁって思って。それも自分の関係のない話で」

「自分、そういう自分が絶対に正しいとか勘違いしている野郎が嫌いなんですよ」

「へ、へぇ、そうなんだ」


 先ほどまでの優し気な目つきから鋭く、力強い目つきへと和樹は変わっていた。その変化に楓は背筋が凍るように冷たくなるのを感じた。


「そういう経験あるんですか?」


 なんとなく楓は気になったのでそう訊ねる。すると、和樹は今度は苦虫を噛み潰したような顔をする。その反応を見て楓は余計なことを口走ったと後悔した。


「ご、ごめんなさい! 変なこと聞いてしまって」

「あぁ、いいえ、ちょっと昔のこと思い出していただけですから……」


 そう言う和樹の声色は先ほどまでのように優しいものであるが顔つきは暗い影を帯びて、その心意を読み取ることは出来なかった。


「話を戻しますと、その悪口を言った野郎はどうするつもりですか?」

「う~ん、見つけたら今度こそ訂正させる」

「それがいいでしょう。まぁ、何か手伝えることがあれば言ってください」

「えっ、どうしてそこまで?」


 和樹の言葉に驚きを隠せない楓。それもそうだ、知り合ったばかりのそれも学校も学年も違う赤の他人の話を聞くだけでも異様なことなのにあまつさえ、楓を手伝うと言ってくる彼。その心意が楓には分からなかった。一見して、下心があるようには見えない、だとすると善意だけで言ってくれているということになる。

 楓が口にした言葉を聞いて、和樹自身も内心驚いていた。自然と出たその言葉に自分がどうしてそういう行動をとったのか、不思議でたまらない。基本、他人には不干渉を貫いている和樹だが目の前にいる年上の美少女といると何だか落ち着くのだ。だから、先ほどの言葉が出てきたのではないだろうか。


「ん~、放っておけないから、ですかね?」

「……」

 

 曖昧ながらに告げられた言葉に楓はじぃと真偽を見極めようとする目を向けるが、嘘を言っている訳ではなさそうに見えた。

 呆然とする楓に和樹はキョトンと首を傾げて訊ねる。


「すみません、俺何か気に障るようなこと言いましたか?」

「え、い、いいえ、その、ちょっと驚いただけですから、は、ハハハ」

「はぁ……?」


 空元気に笑う楓に和樹は首を傾げる。だが、楓が分かりやすく話題を変えたので和樹もそれに乗っ掛かった。基本、空気が読める男なのである。

 その後は互いの学校の事やゲームなどの話をして時間を過ごしたのであった。



☆☆☆☆☆☆



「今日はありがとうございました」

「いえ、こちらこそ愚痴を聞いていただいてありがとうございます」


 別れ道で顔を突き合わせる楓と和樹。日は沈み、辺りは暗くなり街灯が道を照らし始めていた。時間を忘れて話をしてので楓は昨日あったことが嘘のように消え、和樹とのお喋りを満喫出来た。


「じゃあ、俺はこっちなので」

「うん、今日は楽しかった」


 笑顔いっぱいでお礼を述べる楓に和樹は会釈すると体をくるり、と半回転させる。


「あのっ!」


 不意に発せられた声に振り返ると楓が真剣な目つきで和樹を見つめていた。和樹はその表情を首を傾げながら見ていると楓が意を決したかのように言葉を放った。


「れ、連絡先交換しませんか!」

「え……?」


 楓の言葉に呆然とする和樹。その反応に楓は顔を暗くした。慌てて和樹は言葉を並べる。


「いいですよ」


 和樹の一言に楓はぱあー、と花が咲いたような笑顔を向けた。どこかそれは雪に似ていると和樹は思った。携帯を取り出し、互いの連絡先を交換する二人。楓は画面に映っている和樹の名前を見て、嬉しそうに微笑んだ。


「ありがとう」

「いいえ、どういたしまして」

「ふふ……」


 満面の笑みで自身の携帯を眺める楓を和樹は何がそんなに嬉しいのだろうかと疑問を抱いたがそれを口に出すことはしなかった。しばらく、自分の携帯を眺めていた楓はそれを仕舞うと再び和樹のほうに顔を向けた。


「それじゃ、今度こそさようなら」


 和樹は楓にお辞儀をすると家路につく、すると背後から綺麗な声が届く。


「うん、さようなら和樹君・・・


 その言葉に動かしていた足を止め、首だけ振り返ると楓は小さく手を振っていた。和樹もそれに応じるように片手だけ上げる。それを確かめると楓は体を帰り道のほうに向け、歩きだした。体を反転させる際にブロンドの髪がなびき、街灯の光りが楓を照らす。和樹はそれを、夜空に煌めく月光であるみたいだと見惚れてしまった。



 



 


 

 



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