第17話 RETURN



「今日も天気がいいなぁ」


 しみじみとした声で和樹は空を見上げた。桜の花は散り、新緑の葉が生え揃えてきている今日この頃、和樹はポカポカ陽気の日を浴びながら手製の弁当をつついていた。耳をすませば校舎から楽しそうに笑い合う声が風に乗って屋上まで聞こえた。

 あの戦闘から一週間が経過していた。和樹は平和な日常に帰って来たのだ。


「やっぱ、平和が一番だよな」


 校舎から聞こえる声を聞きながら呟く和樹。

 だが、和樹は未だ胸に燻る火種を消火できていなかった。

 食べ終えた弁当箱を布で包むとその場で寝そべる。

 青い空が視界いっぱいに広がる。広い空のなかを泳ぐ雲を眺めながら和樹はあの時の自称について考えていた。はっきり言ってあれはよくわからない存在でだった。プレイヤーだと思うが銃の引き金を引いた瞬間、「あ、ダメだ」と感じたのは初めての感覚である。

 

「ま、もう関係ないけど」


 そう言って、体勢を横にする。時間まで寝よう、と思っていた時だった。急に屋上の扉が開け放たれ音がした。


「あっ、いたいた」

「…ぐぅ~」

「シロ君、寝たふりなのバレバレだよ」

「…何の用だ。あと、俺はもうシロじゃねぇぞ」


 雪の登場に和樹は明らかに不機嫌な顔をする。そんな彼の反応を気にすることなく当然のように雪は横に座って来た。和樹は仕方なく上体を起こし、少し距離をとる。


「で、何の用だ? もう協力関係は終わったぞ」

「うん、まぁ、そうなんだけど。その、事後報告? 的な感じかな」

「へぇ、それはご丁寧にどうも」


 雪は盗られたアイテムをちゃんと彩夏に渡したこと、それで喜んでくれたこと、和樹にお礼を言っておいてくれと言われたこと、などこと細かく報告してきた。


「他のリュビの指輪は落し物を扱うNPCのお店に預けておいたからその内持ち主が現れると思うよ」

「へえ、そんな店まであるのかよ」

「で、あとPK騒動も落ち着きを見せてきてるよ」

「あっそ」


 それは和樹も掲示板を見て確認済みである。PK犯『シルバー』の被害者がぱったりと消えたことで《ゴルゴンの森》に行くプレイヤーが増えてきているらしい。

 あと、和樹の脅しが効いたようでどこの掲示板にも本物のシルバーことシロに関することは書かれていなかった。これに関してはホッと一安心した和樹である。


(あの神様もなんやかんやで俺の事流してないようだし…)


 そんな事を考えているとあの時の興奮がよみがえる。全くの未知の存在を確認した人間が好奇心に駆られるということはこういう事を言うのではないだろうか。たぎる血を和樹は沸々と感じた。


「私…」


 そんな時、おもむろに雪が口を開いた。目線だけを向けて和樹は次の言葉を待つ。


「あの日から気になることがあるの」

「気になる事?」


 まさかな、と思いつつ和樹は話の続きを促した。


「結局、あの人は何だったのかな?」

「………」


 それは和樹が思っていたこととまさに合致していた。雪もまたあの時の自称神様のことが気になっていたようである。あんなものを見せられたらそう思うのは当然かもしれないが。

 気が付くと和樹は喋っていた。


「…そんなに気になるか?」

「うん、すっごく気になる」


 やや食い気味に雪は肯定する。顔を近づけて来る雪とまた距離をとりながら和樹は続きを喋り出す。


「………」


 だが、出かけた言葉が詰まり、視線が下に向いていた。

 途端、頭を横切るのは昔の映像である。フラッシュバックされる光景を見て再び考え直す和樹。


(本当に大丈夫だろうか? 俺はもうゲームはやめると決めたはずじゃないのか?)


 そんな思考が彼の脳内を支配する。

 それはかつて自分で縛った重い鎖。それをちぎることはこれまでの三年間を否定することではないのだろうか。

 和樹が急に黙り込むと代わりに雪が話を続けた。


「ねぇ、シロ君」


 呼ばれて和樹は顔を上げ、雪の顔を見る。その表情は教室で見せる笑顔ではなく迷いのない真剣な顔をしていた。彼女の普段見せない表情に何故か目が離せなかった。

 ゆっくりと雪の口は言葉を紡ぐ。


「あの神様について調べるのを手伝ってくれない?」

「………」


 一緒に調べてではなく、手伝ってくれない、と雪は言った。それはまるで悩む和樹に大義名分を与えているように見えた。だが、本人はおそらくそんなこと考えずに言ったのだろう。表情を見れば手に取るように分かる。



 和樹は迷った。

 ゲームをやめると決めたあの日、自分はあの日の判断が正しいと思っている。

 だが、今この瞬間に差し伸べられている手を握ってもいいのではないかと感じた。きっと、この手を逃せば後悔するという確信が何故かあった。

 それに、彼にはまだ分からないことがある。

 何故、あの《神様》は自分にメールを送ったりしたのだろうか。何故、自分のことを知っていたのだろうか。考え出せばキリがない、多くの疑問が浮かび上がるばかりである。

 もう一度、彼女の顔を見る。いまだに真剣な表情を崩していない雪。果たしてその迷いのない瞳の奥で何を考え、何を感じているのだろうか。和樹は《神様》だけでなく、それも知りたいと感じてしまった。


「…分かった」

「え?」

「手伝ってやるよ」

「えぇ!? いいの?」

「言っといて驚くなよ」

「だ、だって断られると思ったから」


 和樹が割りとあっさり承諾したことが意外だったのか驚愕の声を上げる。だが、すぐに雪の口元が緩む。嬉しそうな表情である。

 彼女は和樹と目を合わせる。吸い込まれそうな綺麗な瞳に和樹は無意識に見とれてしまった。


「よろしくね、シロ君」


 クラスの男子たちを虜にする笑顔を浮かべながら雪は手を差し出す。白く細い手を和樹は渋々とした感じで握り返す。



 彼があの世界から消えて三年。

 BGO最強プレイヤーシルバーが再び、剣と魔法の仮想世界に帰って来た。


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