イジメと学習

「学ぶ」という言葉の語源は「真似る」だという説があります。


「まねる→まねぶ→学ぶ」というように変化したそうです。


 真似るのが学習に適しているケースの一つに、「外国語学習」というものがあります。中学の先生は「いいか〜、お前ら。イギリスに行ったら乞食だって英語を話してるんだぞ。損な馬鹿でも喋れないわけがない」と言っていたのを思い出します。口は悪いですが、言っていることは正しい。


 ある英語教材の宣伝文句で「赤ちゃんは教科書を読んで言葉を学ぶんじゃない」と言っていましたが、まさにその通りです。


 意味はよく分からないが、聞こえた通りに発音すれば、通じるものです。文法など考えずに、適切なタイミングで適切なセンテンスを発音すれば、なんとか理解していますし、間違いがあれば正してくれます。


 幼いころの子供は、そうやって言語を取得していきます。言語だけでなく、人との接し方や、マナー、社会との関係の仕方など、様々なことを真似ることによって学習します。


 子供達は真似ることが大好きです。両親を真似て大人っぽいしゃべり方をしてみたり、ヒーローやアイドルを真似たり。


 それは大人が好きで真似をするマニアックな趣向等ではなく、本能です。「どうやったら生きられるか」という事を学習するように本能に刷り込まれています。



 やがて子供は自我が芽生え、「真似る」事に抵抗を感じるようになります。「自分らしさ」を主張したがるようになるのです。

「真似る」という事は他人がやっていることをなぞる行為で、自分本来の姿ではない。だから、自我が芽生えると、自分は何者なのかと云うことに悩むし、他人を意識して、遠ざけるようになる。他人を真似ることを恥ずかしいことと思うようになる。

 この頃になると、真似ることは一種のコメディーとなる。身近な教師や有名人を真似て笑いを取るのが、「真似」となる。

 子供の頃のように真似をすることはなくなるので、ある分野では自我が芽生える前に学習を開始しないと、体得が困難になってしまうのです。


 本能的に真似をするというのは、非常に効率的で効果的なものですが、最近は体得してはいけないものまで真似して、学習してしまう傾向があります。


 それは、イジメです。


 イジメは子供達にとって社会学習の一つでしかありません。

 大人を真似しているだけなんです。


 子供は敏感です。恐ろしく細かいことまで気が付きます。誰も気が付かないことに気付いてしまう刑事ものテレビドラマの主人公並みです。


 イジメも大人を見て真似ているのです。

 イジメをするこの周辺には必ず大人社会でイジメをしている大人がいるはずです。両親や近所の人や親戚など、イジメをしている人が必ず存在するはずです。


 だから、「イジメの根を断つ」というのはイジメをした子供を探すのではなく、その背後にいるイジメ大人を探すべきなのですが、誰もそれに気づいていないようで遺憾です。


 イジメが何故なくならないのか不思議がっている人がいますが、私から見たらその人たちの方が不思議です。

 そういう人達はイジメ撲滅とか言いながら、自分がイジメをしていたりするものです。


 では、イジメは幼い子供達だけのものでしょうか?

 違いますよね。


 大きくなってからもイジメの快楽に取り憑かれてしまった人がいるのです。高校生以上になるとある程度、腕力や権力を持った一部の人間が主導してイジメをするケースが多くなるのはそのためです。


 大人になってからのイジメというのは完全に快楽目的のものですから、一種のサイコパスと言ってもいいと思います。


 そして、こういうサイコパスがイジメの種を撒いているのです。

 イジメというのは人の死をもたらすことも多々あります。

 この悪連鎖を何処で断つべきかは、ハッキリしているように思えるのですが。

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