第2話 街道の子どもたち Kinder auf der Landstraße

   「街道の子どもたち」


 庭の格子に沿って過ぎ去る車の音をわたしは聞いていて、弱々しく揺れる木の葉の隙間からそれがときどき見えることもあった。真夏には輻や轅を形作る木製の器具がなんと凄まじい音を立てたのだろうか! 労働者は田野から帰って来て、恥ずかしいことだ、と笑い声をあげた。

 わたしは小さなブランコに座り、両親の庭に植わる木々のあいだでちょうど休んでいた。

 絶えず柵の前を通り過ぎて行った。早足の子どもたちは一瞬にして走り去って、穀物車に積まれた藁に男や女たちが座って辺り一帯の花壇に影を落とし、夕暮れ時には一人の紳士が杖をついてゆっくりと散歩をしていると向かいから二人の少女がやってきて、挨拶とともに傍の草むらに足を踏み入れた。

 そして鳥たちは飛沫のように飛び立ち、わたしは目で追って、一息に昇っていく様子が見えると、彼らが昇っていくのではなくて、自分が落ちているのではないかと思うようになり、しっかりと縄を掴んで、心細く少しブランコを揺らしはじめた。まもなく揺れは烈しいものとなり、もう冷たい風が吹いていて鳥たちは姿を消すと顫える星々が現れた。

 蝋燭の灯りで夕食を頂いた。私は木板に両腕をついて、もう疲れて眠くなりながら、サンドウィッチに齧りついた。粗い透かし編みのカーテンが暖かい風にふくらんで、ときおり外を走り去る誰かがそれを手で掴み、わたしをよく見ようとし、話しかけようとした。たいていすぐに蝋燭が消えて暗い煙のなかにまだ暫くのあいだ蚊の集まりが浮かんでいるのだった。誰かが窓からわたしに質問してきて、わたしも彼をみつめて、まるで山地をあるいは単なる風を眺めるように、そしてまた彼にも返事は大して重要なものではなかったのだ。

 窓枠を飛び越えてきた彼が家のまえにみんな来ているのだと報告すると、わたしはもちろん溜息を吐いて立ち上がった。

 「やだなあ、どうしてそんな溜息を吐くんだい? 何かあったのか? 特別なこと、ぜったいに良くないとても不幸なこと? そこからわたしたちは決して立ち直れないの? すべてほんとうに失われてしまった?」

 何も失われてなどいなかった。家の外をわたしたちは走った。「やれやれ、みんなやっと来てくれたんだね!」「いつも遅れてくるんだから仕様がないな」「どうして私が?」「一緒に来ないなら、家にいろよ」「情けなんていらないよ!」「なんだって? 情けなんていらない? なんて口の利き方だい?」

 わたしたちは夕闇を頭で突き進んでいく。昼も夜もなかった。あるときはチョッキのボタンが歯のように接し合い互いに擦れ合わされ、あるときは一定の距離をあけてわたしたちは走り、熱帯に棲む動物たちのように口から火を吐くんだ。古い戦争の胸甲騎兵のように、地面を踏みつけ、空高く飛び上がり、小路を互いに追い立て、降りていくと、助走がついて、街道へ駆け上った。ひとりひとり側溝に踏み出して、斜面の翳に隠れると、もう上の畦道に立っていて見知らぬ人々のように見えるのだった。

 「降りて来いよ!」「まずは上がれって」「おまえらに放り落とされになんて誰がいくもんか、それくらいわかってるんだ」「おまえたちは臆病だってことだろ。いいから来いよ、来いって」「ほんとうに? おまえらが? 落とそうとしてるんだろお? どうしてそんなにわかりやすいんだい?」

 わたしたちは襲撃し、胸を突かれ、落ちてゆき、自分から側溝の草原に横たわった。みんな一様に火照っていたけれど、草原のなかでわたしたちは熱いとも、寒いとも感じなくて、ただ眠くなっていった。

 右の脇腹をしたに向きをかえると、耳の下に手を宛てて、そこで眠りに入りたかった。ふたたび心を決めて下顎をもちあげたのだけれど、そのためにさらに深く溝へと落ち込んでいった。そして片手を水平にさしだし、両脚をななめになびかせ、空中へ身を投げようとするのだけれど、ふたたびより深くへと落ちていってしまうのだった。ぜんぜん止まろうとしないのだった。

 溝のもっとも深いところに落ちたら眠るのに身体を最大限に伸ばしてやろう、とくに両膝を伸ばそう、そう考えるまもなく、涙が溜まって、病人のように仰向けに寝そべった。まばたきすると、男の子のひとりが両肘を腰へ宛てて、わたしたちの頭上にその靴底の影をみせて土手から街道へ跳ねたのだ。

 もういくらか高くにあがった月を見て、郵便車が一台その光のなかを過ぎ去った。そよ風がいっせいに起きて、溝のなかでもそれが感じられ、近くで森がざわめきはじめた。そこでは、ひとりでいることはもう何でもなかった。

 「みんなどこにいるんだ?」「こっち来いよ!」「もう郵便が通ったのに、わからなかったの?」「とんでもない、もういっちゃったのかい?」「もちろん、きみが眠ってる間にね」「わたしが眠ってた? そんなことないよ!」「黙れよ、きみを見ればわかるさ」「けどたのむよ」「来いって!」

 わたしたちはびっしりと一緒になって走り、幾人かは互いに両手を組んでいたし、道を下っていくので頭をたっぷり高くもたげずにいられなかった。ひとりが、インディアンが戦争をするときのような雄叫びをあげ、わたしたちの脚には経験したことのないギャロップがくわわり、跳躍すると風がわたしたちの腰を持ち上げた。わたしたちを止られるものはなにもなかっただろうし、そんな走りようは追い越すときにゆったりと振り返って腕をふることができるくらいだったのだ。

 わたしたちはヴィルトバッハ橋のうえで立ち止まった。さらに先へ走っていったものたちは、こっちへ戻って来た。水の流れが石や植物の根っこを叩いているのが眼下に見え、まだ夜遅くではないように思えた。どうして誰も橋の欄干に昇らないのか、それに理由はなかった。

 背後の茂みの遠くを一台の列車が発進し、全ての車室に灯りがともされ、ガラス窓は降ろされていた。わたしたちのひとりがある流行歌をうたいはじめ、そこでみんなが歌おうとした。わたしたちは電車のスピードよりも速く言葉を発し、声では満足せずに手を振って、わたしたちは声の雑踏となり、そこは気持ちが良かった。自分の声が他人の声のなかに混ざり合わされると、人は釣針にかかったようになるのである。

 このようにしてわたしたちは背後の森へ、遠くの旅人たちの耳へ歌った。村では大人たちが目を覚ましていて、母親たちが夜のためにベッドをきちんと整えた。

 もう時間だった。わたしは隣に立っていた子にキスをして、すぐ近くにいた三人にはただ手をさしだし、来た道を走りはじめ、わたしを呼ぶものはいなかった。もう彼らの姿が見えなくなるはじめの十字路でわたしは曲がり、畦道を駆けてふたたび森のなかへ。わたしが目指すのは南の街、そこはわたしたちの村でこう噂されていた。

「あそこの奴等は! いいか、眠らないんだ!」

「どうして眠らないんだい?」

「疲れないからさ」

「どうして疲れないんだい?」

「馬鹿だからさ」

「馬鹿は疲れないのかい?」

「馬鹿が疲れるかい!」



 ***


 『観察』所収。

 む、難しかった……。単純に前回とは長さが違うし、身体的な用語や不可思議な比喩が多く、どういう形象なのかわからないところが多くあった。

 まずタイトルから困った。Kinder auf der Landstraße 新潮版全集では「国道の子供たち」吉田仙太郎訳では「街道の子どもたち」角川で出ている『流刑地にて 他』本野訳を所持していないのでどうなっているかわからないが、おそらく「街道」か「国道」のどちらかだろう。実際ここでは「街道」にしたわけであるが(辞書的な意味でも正しい)しかし「田舎」Landという意味も含み持たせたい。というのも『観察』に限っても「田舎」と「都市」というテーマが見いだされ、全作品でいえば『城』と『審判』にまで敷衍することが出来るだろう。カフカには「田舎」と付く作品が二つある。「田舎の婚礼準備」と「田舎医者」であり、「街道の子どもたち」もとうぜんだが「田舎」の系列に含まれるものとみられる。

 舞台はマインツであると推定される……Googleで検索しただけだがWildbachbrücke 〈ヴィルトバッハ橋〉はドイツ中部のマインツ(グーテンベルクの出生地らしい)にあり、近くにFinther Landstraße〈フィンター・ラント通り)が存在する。列車も通っているようだ。

 南の街とはどこなのだろうか。不眠の街は現代的にも大都市を想起させる。不眠はカフカのテーマでも重要なもののひとつだ。〈馬鹿〉Narrは古くは道化師という語だったそうであり、道化もまたカフカの作品に頻出する。そして火を吐く熱帯の獣やギャロップなど、動物への〈変身〉、〈わたし〉→〈わたしたち〉→〈わたし〉という人称の変化は後にブランショらによって指摘されるような非人称、中性的なものや、『変身』によって確立された彼の「体験話法」などを思い起こすだろう。

ゆえに「街道の子どもたち」はカフカ作品の原型ともいえる。

 南、といえば方言がいくつか混じっているらしい。〈夕食〉Nachtmahlや〈整理した〉richtenが南ドイツやスイス、オーストリアの方言だと辞書に載っている。NachtmahlはNachtmahr〈悪夢〉にかけているのだろう。そのあとの〈疲れている〉müdeとつながっている。ここから家を出る展開や、結末もちょうど不眠の主題であるように、妥当性もあるように思える。

 形象的な分析ではあるが、このテクスト内では〈通り過ぎるもの=横運動〉と〈飛び上がるor降りていくもの=縦運動〉が組み合わされている。この縦と横のイメージは〈庭の格子〉das Gartengitterや〈粗い透かし編みのカーテン〉Die stark durchbrochenen Vorhängeに統合されて登場し、それぞれあげれば、柵の向こうを過ぎていく車や通行人、食事の際の〈木板〉die Holzplatte(テーブルのこと)、〈郵便車の一台〉ein Postwagenや〈列車〉ein Eisenbahnzug(鉄道列車)などが横運動の系列にあたり、〈鳥たち〉Vögel や、蝋燭の〈煙〉der Kerzenrauchに集る〈蚊〉Mücke、飛び上がる〈わたしたち〉、釣針にかかる比喩などが縦運動の系列に関わっている。単語の復習も兼ねているので見にくくて申し訳ないが、これらの縦と横の運動は、最後の〈十字路〉der Kreuzungに結実するまで加速していく。辞書ではder Kreuzwegをカトリック用語で(キリストの)十字架の道と書かれているため、宗教的な意味を増すならばこちらを用いたと思われる。ちなみにder Kreuzungは〈交差点〉という意味とされている。〈十字路〉は新潮版の全集を参考とした。吉田仙太郎訳では四辻。これら縦横の運動を十字架につなげるのは、『変身』における三の主題を三位一体に接続したりするのと同じような解釈ではあるが、ナボコフが嫌いならばこちらの線をとってもいいような気もする。

 カーテンや木の葉という遮蔽物を通して、縦と横の運動を〈わたし〉Ichは見ていて、そこから子供たちによって引きずり出され、〈わたしたち〉になり、「山への遠足」同様に歌をうたう。(しかしここの「歌」は〈流行歌〉ein GassenhauerでありLiedではない。これはなぜかよくわからない)歌は水平方向に走る列車に送られる。この列車はまた〈茂み〉Gebüscheという遮蔽物に覆われている。遮蔽物=媒介物=文字ということがいえるかもしれないが、遮蔽物を超えて子どもたちに含まれるところから、自発的に遮蔽物の〈森〉der Waldに入っていくところは感動的でさえある。

 森、カフカはしばしば自分のことを森に棲む子ども、あるいは獣であるというふうに表現する。1903年に友人のオスカー・ポラックに宛てられた手紙には「僕たちは森に見捨てられた子どもたちのようだ」と書かれているし、恋人のミレナ・イェンスカには「僕はいつだって森に棲むものでしかない」と書いている(「ミレナの挫折」モーリス・ブランショを参照のこと)作家はじぶんの未来に起こることを書いてしまうというが、その点で言えばカフカは世界史的に来るべきあらゆる災害とともに、自身の幸福と不幸を書いてしまったと言える。つまり人生が書くものに影響するのではなく、書いたものが人生になってしまうのだ。ここらへんはブランショもドゥルーズ=ガタリも同じ見解だろう。潜勢的なものということか。

ミレナとの愛に満ちた森での休息は、カフカ文学の一系列に含まれてしまうのである。

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