Hello! World
淡々
第1話こんにちは、異世界
青い空に、穴が空いたのはもう何十年も前のことだった。
その穴は全てを飲み込んでしまいそうだと錯覚させるほどの漆黒であり、日常の中に飛び込んでくるには、あまりにも『非日常』が過ぎたものだった。
その穴が空いた――空いてしまった――時、我々はただ見上げることしかできなかった。
その日はとても気温が高く、空を見上げるには太陽の光が強すぎていたはずなのに、皆その穴に文字通り目を奪われていたのを今でも覚えている。
太陽のすぐ横に現れた真っ黒な穴。
道を行く人々の全てがその穴の存在に気づいていおり、あまりにも異質過ぎる光景に足を止めるしかなかったのだ。
穴が空いてしばらくすると、そこから『何か』がずるり、と落ちてきた。
はるか上空から落ちてきた『それ』はべしゃり、と何かが潰れるような音を立てて我々の地上に降り立った。
――いや、侵入を許してしまった。
『それ』は一目見ればこの世のものではない異形だと誰もが理解した。
成人男性の頭ほどの大きさはあり、食欲が全て消え失せるような青色のゼリー状の塊。その塊の奥には握り拳一つ分ほどの、うっすらと光る球体のようなものがあった。
顔と呼ばれるものはどこにも見当たらず『それ』が前を向いているのか、後ろを向いているのかも分からない。
ただ、その場にいた誰もが理解していることは、一つだけあった。
――逃げなきゃ、食われる
理屈ではなく、本能で。
幸か不幸かはともかく、その認識は誤りではなかった。
『それ』は落ちてきたときの衝撃で潰れてしまった自身の体をゆっくりと元の形に復元し終えると、さながらナメクジのように移動を初めた。
ずり、ずり、と。
移動した後には得体の知れない粘液のようなものが残っており、強い日差しの下に晒されていようとも一向に消える気配はない。
その時の人々は危険だと認識しながらも、その場を離れられずにいた。
単純に恐怖で動けなかったのか、唐突過ぎた非日常の出現に脳が処理をしきれていなかったのか、それとも単純に好奇心故なのか――
その男は、好奇心が勝ってしまったのだろう。
あろうことか、男は携帯を片手に『それ』に無謀にも近づいていった。
誰も止めるものはいなかったし、止める気も無かったのだろう。
自分以外の誰かが『それ』が何なのかを確認してくれる。そんなある意味感謝にも似たような気持ちだったのは想像に難くない。
男と『それ』は互いにじわりじわりと歩み寄り、程なくして『それ』は男のつま先にまで近づき、そこで移動を止めた。
男は息を荒くしながらも徐々に身をかがめ携帯を『それ』に近づけていった。
――後はシャッターを押すだけ。
男が震える指先でシャッターを押そうとした瞬間、『それ』は先程までの移動の速さが嘘だと思えるほどの速さで男の腕を飲み込んだ。
一瞬の沈黙の後の、絶叫。
男がどれだけ叫んでも、どれだけ腕を振り回そうとも『それ』は離れることはなかった。
『それ』は徐々に男の腕を
目指してる場所は――頭部。
食べられているはずの腕にまったく痛みを感じないことにも恐怖していたが、このまま頭に来られたらどうなるのか想像してしまったことに対しての恐怖もあった。
男は無理やり引き離そうと自由になっているもう片方の手で『それ』を掴もうとしたが、ずぶずぶと中に手が吸い込まれていき両腕を捕食されることになっただけだった。
男は更に泣き叫び無我夢中で『それ』を地面に叩きつけるが少し形が変わるくらいで決して離れようとはしなかった。
鼻水や涙でぐしゃぐしゃになった顔で周りに助けを求めるも誰も応じることはなく、男は文字通り目の前に迫った死を待つことしかできなかった。
長いようでいて、短い時間。
『それ』は男の頭部にたどり着いた。
たどり着いてしまった。
ゆっくりと男の頭を飲み込んでいき、全てを飲み込むと男の声はぴたりと聞こえなくなった。
男が一瞬体を震わせると、そのまま地面に鈍い音共に倒れた。
倒れたときの衝撃で『それ』も一緒に飛ばされたが、さっきまで男の頭があった場所には、まるで最初から何もなかったかのようになっていた。
男の死。
その現実離れしすぎていた死には、受け入れ入るまでに時間がかかりすぎた。
しかし、『それ』はそんなことを知るはずもなく知っていたところで待つ理由もない。
次の食料を求めて再び鈍重な移動を開始した。
「――――――――――――――――――!!!!!!!!!」
誰かの叫び声が合図となって、次々と逃げ出す。
ある者は他者を押し倒しながら。ある者は無様に地面を這いながら。
たった一匹の『スライム』にすら、人類が為す術を持っていなかった時代の出来事であった。
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