第一章:ノーパーソナルマシン

 きのえ




 はるか遠くから見えていた壁が、ようやく目の前に迫ってきた。この壁が見え始めてからつくまでには、はや三日を要している。それはつまるところ、この壁がかなり高く積まれていることを現わしている。現にオレンジへと染まり、むしろ紫がかっている空の近くにまで、その壁は達している。これは明らかに通常の人間の肉体だけで作られたものではない。そのことからも簡単に推測できる事柄として、この国はそこそこの技術力がある、またはそれを操る特殊な人物がいることであろう。それか、もう一つの可能性としては石を簡単に持ち上げたり跳躍をしたりする力を持つ者がいるか、石を無重力状態にするような、超常能力を持っているか、それとも――――考え出したら一つどころではなさそうだ。

「……材質は、鉄? それも違う……。レンガ、でもない。不思議」

 頭一つ小さいところに立つ、シンちゃんの言葉につられ、私も高さに注目をするのではなく、石一つ一つに注目をしてみる。確かにこの材質は私の知るものとは異なっているようであった。

 無意識のうちにワクワクと胸が高鳴る。今回はどのような街でどのような人が待ち受けているのだろうか。もちろん、少しばかり怖いことが起きる可能性もある。というより、こうして旅人の一座に属している以上、事件に巻き込まれる、巻き込んでいくのどちらになるかわからないが、何かしらに出くわすということを、身をもって知っている。

「お待たせをいたしました。手続きの方を終了いたしました。一応、滞在期間は2~7日程度、目的は観光といたしました」

 小屋の中で手続きをしていた、レイ君がいつもの笑みを顔に浮かべたままこちらにやってくる。

 レイ君もシンちゃんも、その黒い髪を美しくたなびかさせている。

「ありがとう、レイ君」

「いえいえ、それに面白い情報がのっておりましたよ。なんとこちらの扉が開くそうです」

 レイ君の指す、その扉を見る。それは確かに扉のようではあるが、少々他とは姿が変わっている。しかし、どこから入ることが出来るのか分からない。

「さらに、こちらの手続きは全て機械で行っていました。入国に際して、持ち物に対しての注意も行われたのですが、液体物質は丁寧に扱うようにとのお触れがありました。理由は不明ですが、複雑なルールが存在するようです。とはいえ、それほど、厳しい検査があるわけでもないのですが――――さてと、そろそろ開くようです」

 ギギギと鈍い音が鳴り響く。

 ポカンとその扉を眺めていると、どのような仕掛けなのだろうか、徐々に扉の色が薄くなり、とうとう空気と同じ色となり消えていってしまった。ということは、これが扉のような形に見える……電磁バリアか、またはそれに近い何かということであろうか。試しに手を伸ばしてみるが、その手は空をきり、擬態をしているのではなく、物理的になくなっていることを現わしていた。

 試しに消えていない壁を触ってみるがしっかりとした手触りを感じる。これが消えるとはどうしても考えられなかった。

「ここは、科学技術が非常に発達をしている国、なんですかね」

「……まだ、何とも言えない。けど、その可能性がとてつもなく高い」

「見た目だけ、という可能性もありますが……、残念ながら機械ですので心を覗くこともできませんからね」

「まるで心を覗くことが出来るかのような言い回しだね」

「機械よりはわかりやすいところありますよ」

 肩を竦められても困るところである。その間にも先に会話をやめていたシンちゃんは、荷物を持って早く行こうということを示すかのように視線を扉に向けている。私たちもここで推測を語り合うよりも、この目で体験をしたのようがいいということは分かっている為、少し反省をして歩みを進める。

 街の中は……なんというのであろうか、近代的に見える。だが、人の賑わいや、喧噪というものは見えなかった。それだけではなく、人の気配、そのものが感じられなかった。

「二人とも、上を見てください」

「上……? あっ!」

 その行為によって壁がなぜ高く積まれているのかの謎は解決ができた。

 よく目を凝らさなければわからなかったが、天井はガラスのようなもので覆われているようである。光だけ通過しており、雨や雪などが町の中に入らないようにしているらしい。レイ君が入国手続きの際に液体に気を付けるようにとあったが、嫌に液体を嫌うみたいである。その理由こそ不明ではあるが……少しはこの町の理解が進んだ。

「……どこか、泊まる場所。野宿はできればしたくない」

 大いに同意である。何が悲しくて、ようやくたどり着いた国で野宿をしなければならないのか。どこか地図のようなものはと探しているとウィーンという機械音が近寄ってくる。咄嗟に戦闘態勢を取りかけるが……、現れたのは人型の機械であった。

『ようこそ、お越しくださいました。いくつもの宿泊施設がこの国にはございます。いかがなさいましょうか?』

 機械音声と人間の声を足して二で割ったような音だ。機械が人間の真似をしているような、人間が機械の真似をしているかのような、どちらの表現も正解に思わされる声。今回は機械が人間の真似をしている、が正解であろう。

 ちょうどいいですねとレイ君が小さく呟く。

「代金として一人当たりこれぐらいで――――」

 いくつか条件を出していく。それに合わせて検索がかけられているのか、明らかな機械音が流れる。数秒後、検索結果が出たようで『では、案内をいたします』と鳴り響く。

 その機械に連れられ、歩くこと数分で一つのホテルに着く。確かに条件に合っており、値段もリーズナブルなようだ。貧乏旅行というわけでもなく、むしろコンスタントに仕事をしている以上、通常の旅人以上にお金は持っているつもりであるが、何が起こるかわからない世の中、節約をするに限る。場所によっては異常に物価が高いという場所もあるのだから。

 そもそも野宿がデフォであるためによほど劣悪な場所でない限りはテントよりいいものであろう。

「しかし、奇妙ではありますよね。チェックインすら機械で行っている……。まったくもって人間の姿が見えない。どういうことなんでしょうか?」

「人がいないのであれば私たちの仕事もなさそうだよね」

「……うん。欲望というか、そういう気配を全く感じない。隠れているというわけでもない」

 シンちゃんがそういうのならばそうなんだろう。このメンバーの中で一番こういったことに鋭いのは彼女である。レイ君は僅差、私はまったくである。こういった能力が欲しいとは思ったことはあまりない。

 見えない物は見えないままの方が……きっといいはずである。うん、そうに違いない。

 仮に見えるのであれば、彼らのようにきちんとそれを活かすことが重要である。宝の持ち腐れで終わればいい方であり、力を持つものがきちんと対応しなければ恨みにまで繋がりかねない。

「それではこれからの予定を立てていきましょうか……。私としては博物館など、この町の特性を知りたいところなんですが」

「そうだね。そこに行けばさすがに人もいそうだし……もしかしたら旅人か、観光客かがいるかもしれないね」

 自分で行っててなんだが、その可能性も一縷の望みではあるが。しかし、ホテルなどが存在していることからも宿泊客が少なからず訪れるはずなのだが。そうでなければホテル業などすぐ廃業である。

 私たちが仕事をしながら旅をするのと同じく、人という生き物は生きる為にはお金が必要となる。食費に、衣服費など。

 極論を言うならば全員が誰かの為に働き、無償で物のやり取りをするのであればお金という概念も不必要となるが、人間は複雑な思考を持ち合わせていて、多かれ少なかれ利己主義な一面がある。理想論も甚だしい。

「……それじゃあ、今日はもう、寝る」

「シ、シンちゃん。せっかくホテルに泊まれたんだからせめてお風呂ぐらい入ろうよ」

「……もう、疲れた。明日の朝入れば問題ない」

「シンは体力面が脆いですからね。私も……少しくたびれてるくらいですから。ヒカリさんは入られますか?」

「うん、やっぱり数日入ってないと気持ち悪さもあるからね。いくら慣れたと言っても」

「その辺りは育ちの差がありそうですよね。私達双子と、ヒカリさんでは」

「も、もう。そういうのは無し。行ってきます。すぐ、上がってくるから」

 からかうようなニュアンスが混じっているように感じたため私は少し怒った口調となる。唇を尖らせて見せたが、レイ君は気にしたそぶりもなさそうだ。

 洗面具一式と着替えを手にして脱衣所に向かう。

 育ちが違うということは自分でも認めるところではあるが、それでも随分変わった方だ。レイ君に対する恥じらいというものも、徐々になくなってきている。下着姿や裸を見られることに関しては抵抗があるとはいえ、同室で眠ったり、洗濯物を頼んだりぐらいならば何も思わなくなってきたのだ。そうでなければ、野営などで暮らしていくことなどできるはずもない。

 キュッキュッと音を立ててシャワーを出す。冷水から温かくなるまではさほど時間がかからなかった。やや高い温度のそれを頭から浴びる。

 疲れがお湯と共に流れ出る。暖かなお湯はリラックス効果があると思う。ここで湯船にローズマリーの香りでもあれば、さらにリラックスできそうな気がするのだが……そこは贅沢の極みというものだろうか。

「とはいえ、入浴剤の一つぐらいないかなぁ」

 なんてつぶやいて、少し探してみる。場合によってはそういったものが存在するかもしれない。浴室と脱衣所ぐらいしか探すところがないのだからすぐ終わる……だろうという考えだったのだが、その予想以上に早く終わった。見つからないと思っていたら見つかったときの衝撃と嬉しさはそれなりに高い。

「だけど……これは、ためらうな」

 そこに書かれている効能と思われるものは異様に長く、なによりも疑わしいのは『長命』という部分だ。いくつか入浴剤の種類があるが、その全てにこの効能が書かれている。まさか入浴剤一つで寿命が延びるとは思わないが、ここまで堂々と描かれて入れば警戒をせざる得ない。そもそも『長命』なんて言っている割には人っ子一人見えないのだ。『長命』を売りにするのであれば、老人も多くなり、国民の数もそれなりの数になるはずである。もちろん子供が一定数産まれ続けることが前提条件となるのだが。

 仮に、この条件を満たしておらず、徐々に国民の数が減っているのであったとしても、長命を売りにしているのであれば老人の姿が見えそうなものである……。

「なんだかきな臭いな……」

 なんとなく嫌な空気が漂うのは考えすぎだろうか。

 結局入浴剤は使わずに熱いシャワーを頭から浴びる。

『長命』とはつまり人の死をできるだけ伸ばす行為だ。そして同時に人の記憶に長く残り続けるということになる。人の記憶は……時として恐ろしい存在になりかねないことを学んでいた。

 ――――なんて、少しレイ君たちに毒されすぎているのかな。

 少々苦笑いを浮かべる。あとは丁寧に四肢を洗って体を温めたのちにレイ君らが待つ部屋へと戻る。

「お待たせ」

「いえいえ。シンも完全に眠ってしまっていますし」

「本当だ」

 クスリと笑う。彼女は頭まで布団を被っている為、寝顔を拝見することはできないが、上下に膨らむおなかが見える。一応布団をかけなおしながら持ってきた入浴剤を彼に見せる。

「もしかしたらキーワードになるかもしれないよ。この長命っていうのが」

「なるほど……。ヒカリさんもよくわかってきましたね」

「まぁ、っていう言葉が入っているからね」

「ちなみにヒカリさんはその入浴剤はご使用を?」

「まさか。ボディーソープとかも前の国で勝ったのを使った。こんなところでになんてなりたくないしね」

 自身のことを守るのは大切だ。気をつけておいて損はない。旅人というのは常に命の綱渡りなのだ。時に太い綱であったり、細い綱であったりするが。

「ふふっ。いいますね。では、私もお風呂に入ってくるとしましょうか……。あーそれから、ちなみにですが、その入浴剤には悪意のようななものは感じられませんでした」

「じゃあ、使ってみる?」

「この世には悪意のない悪というものに満ち溢れているんですよ。我々もその経験をしているように」

 その言葉を最後にして彼もお風呂場に入っていった。

 私もしばらくどうしようかと悩んでから、シンちゃんの布団の隣に座る。電気を消すなんていう、レイ君に対する鬼畜的行動はさすがにしない。ただ、彼に関しては暗闇であろうが迷わず歩けるのだが。

 予想でもなんでもなく、確信に基づいての言葉である。

 ――――ベッドに入ったらなんだか眠たくなってきたな。シンちゃんの寝顔を見てるせいでもあるかも。

 急激に襲ってきた眠気に身を任せる。長距離を歩いてきたこともあり、適度な疲労もやってくる。この国に関する期待もあるが、今はそれを超える眠気に身を委ね、そこに落としていった。




 きのと




 大きな壁に阻まれたこの国であっても、上空に浮かぶ太陽からの光はしっかりと届くようで、その朝日は私の網膜を焼き付ける。

 寝ぼける頭をフル回転させながら、ひとまず洗面台で顔を洗う。冷たい水が上気した顔の熱を奪っていく。

「あー……寝癖が」

 鏡に映る自分の姿に思わずうめく。紅色の髪の毛が無暗に跳ねていて、それに気が付いた紺碧の瞳が暗く揺らいだ。

 改めて考えてみればシャワーを浴びてから大して乾かすこともなく眠りについていた。詳しいメカニズムは分からないが生乾きのままの髪の毛はやたらと寝癖が付いてしまうものだ。

 それはさておき、早く髪を梳かしておこう。寝癖直しこそないが、あまり癖がない髪は水を与えてやると、すぐにしんなりとして長く伸びていく。その後、今日は髪を後ろでまとめてポニーテールとする。動きやすい髪形はやはりこれぐらいかもしれない。

「朝食の準備はしなくていいよね……。ホテル内での用意があるみたいだし。シンちゃんたちはもう少し寝かせておいてもいいかな。それじゃあ、せっかく洗濯機もあるみたいだし、ホテル内なら自由に動いても大丈夫だろうから……洗濯からかな」

 それに、ホテル内であればもしものことがあればすぐにこの二人が駆けつけてくれるであろう。暴漢ぐらいであるならばそこまで怖くはないが、やはり未来予測が行いにくい現象に巻き込まれれば、そうとはいかない。だからこそ、私はたとえ眠っていようがなんであろうが、この『あお数珠じゅず共感きょうかん』だけは絶対に手放さいようにしている。手というよりかは首回りにつけっぱなしにしているだけなのだが。

 形としては、チョーカーというよりかは首輪に近いけど、痛々しさとかはないから一応チョーカーと言い張ってみる。

 自由と引き換えに危険を受け入れるのが旅人だ。

 いくつもの『呪具じゅぐ』がカバンの中にあるため壊さないように丁寧にどかしながら、全員分の着替えを手に入れて洗濯機に叩き込む。

 この国は科学技術が発達をしているようで助かる。洗濯機に物をいれれば、あとは自動で乾燥をしてくれたのち、種類ごとに分けてたたんでくれる。

 そのため、思いのほか時間が余たので、旅に必要な準備やナイフなどの設備のチェックも済ませると、早くも私が起きてから一時間が経過をしていた。そろそろと思いシンちゃんたちを起こしに向かう。

「二人ともー、おはよう。そろそろ起きよう」

 ポンポンと起こし上げる。二人ともすんなりと夢の世界から現実へと戻ってくれる。二人は決して早起きはしないけども、寝起きが悪いタイプではない。なんていうんだろうか、たとえ身体が完全には起きていなくても、たぐいまれな精神力で体を突き動かしている、そんな感じだ。

「おはようございます。あー、洗濯物などをやって頂いていたんですね、ありがとうございます」

「うぅん。こういうところはやらないと。というよりこれぐらいはしないと私がニートになっちゃう」

「ずいぶんアグレッシブルなニートですね」

「……着替える」

 レイ君と談笑に興じていると、その横をシンちゃんがするすると抜けていった。素早い行動だ。そのいでたちはまさに黒猫を思い描かされる。レイ君も着替えてきますとベッドから這い出たので簡単にベッドメイキングを済ませて今日の行動を確認する。

 お金はまだずいぶんと余っているから無理やり仕事を引き受ける必要性こそないが……お金がありすぎて困るということはあまりない。唯一あるとすればお金に固執をしすぎることであろうか。それはお金があろうがなかろうが起こりうる出来事ではあるが。

 そもそもお金というのは特殊な存在である。お金というのは何かものを手に入れるための手段でしかない。にもかかわらず本当にお金にとらわれた人物は、その金を集めることにだけ必死となり、使わずに死んでいく。それでも満ち足りていると錯覚を覚えさせる。不思議な魅力の塊だ。これを私たちは『欲望の暴走』と定義づけている。手段と目的が入れ替わった存在だ。どのような欲望であれ、暴走を起こしうる可能性が高い。例えば愛という欲望が暴走すれば、いつまでも愛し続けるために、人をそのままの存在で凍り付け殺めるという結果になりかねない。

 ふと、この国のキーワードとなりうる言葉を思い出す。『長命』という欲望が暴走した世界は……。

 この世界の人々は良くも悪くも、欲望に忠実なのだから。

 身支度を整え終えたレイ君たちと合流し、まずは食という欲を減らすために行動を移す。どうやら、私たちは食に関しては欲の暴走を起こしていないらしいことを、適度な量を食べて満足している姿に納得をした。




 ひのえ




 ホテル内でロボットからの案内を受けて、初期予定通りに博物館へと足を運ぶ。

「予想通りですが、やはり入館に際しても、案内人に関しても全て機械で行っていますか。しかし、かなり高度な機械ですね」

「……AIの進化」

「人工知能も突き詰めれば人と変わらなくなりそうです。そうなれば魂が産まれるかもしれませんね」

 魂は産まれる物なのかという疑問こそあるが、この世は不思議と理解できないことであふれている為、気にしないことにする。そもそもレイ君も、産まれるかもしれないという、可能性を示唆しているだけであり確定ではないし、どちらかといえば、その存在には否定的だ。

 ――――それにしても、不思議な国……。人の気配は一切ないけど、文明はきちんとあるんだ。

 ガラスの中には、この国の繁栄を描いた物語が書かれている。この国の始まりというものこそ書かれていないが、それでも少しづつ文明を発達させていったことが理解できる。しかし、今から百と数十年前。この国にとある伝染病がはやる。病の名前は『急速性心身麻痺症状』と呼ばれるもの。ウイルス性の病であり、数月の潜伏時間の後に発症。手足のしびれなどから始まり、最終的には心臓などの重要器官がマヒを起こして死亡してしまうらしい。

 感染能力はそこまで高くないものの、発症をすればまず間違いなく死に至る病ということもあり、急速に医療の設備を整えていったらしい。その結果、まず症状を遅らせる薬の開発に始まり、手足を除去することによりマヒの進行を止め、最後にはウイルスの駆逐に成功をしたとのことだ。

 だが、その後の課題としてこの国の医療体制についてが残った。

「『長命』の暴走……かな」

「暴走している本人は気づけないものですが」

「……長生きを求めるのは悪いことではないと思うけども」

 シンちゃんの冷静なツッコミ。ほとんどの人間はそうでなかろうか。この世界を眺めるには、あまりにも人間という生命体の寿命――――正しくは健康寿命はかなり少ない。

 この博物館の巻物は唐突に終わる。義手や義足の技術力が上がり、人間のそれとの違いが徐々になくなっていき、そして重要な臓器すらも機械仕掛けで管理をされていく。

 しかし、その途中で、まるでこの国に人がいなくなったかのように突如として歴史が終わった。

「結局肝心なところがわからなかったね」

 博物館を出た私はそんな感想を伝える。なんだか、ラストが落丁したミステリー小説のようだ。いや、どちらかといえば中落しているような気もする。オチとしてこの国に人の姿が見えなくなっているのだから。

 レイ君たちの方を見ると、なにかを考えているような仕草をしている。こういうときは私には到底理解できないレベルのことなので口には挟まないようにしておく。

 その時間を別のことに活かそうと、視線を博物館の前の広場に移す。決められた時間だけでなく、自分で考え、汚れている部分を掃除する機械がいた。私たちを認めると一つ礼をして仕事を続ける。

 ここの機械たちは、人間に近しいところが多々あるように感じる。機械たちはプログラミングされた仕事を行うのは当たり前でもあるが、仮にここに人がいないのだとすれば、こうして働いている意味などないはずだ。もちろん、ここの機械たちが、レイ君が言うみたいに、魂や感情が産まれ、その中に意味を見出すのであればまた別問題ではあるだろうが。

 魂が産まれればその瞬間にそれまでの前提など、簡単に覆るだろう。

「やはり、この国はどこかいびつな様子を感じますね。シンはこの国に残滓ざんしは見えますか?」

「……人の感情とか、そういったものはまったく見えない、といえば嘘になる。だけど、なんだか薄れている、というか……硬質的というか。よく、わからない」

「同感ですね。ヒカリさんはこの国に対してはどのような印象を抱きますか」

「正直何とも。考えの一つとしては、なんらかの出来事によりこの国を捨てなければならなくなったとか、『長命』を求めるあまりに子どもを作るということを忘れ、衰退してしまったとか、そのあたりかな。ただ、惜しくもこの国を捨てなければならなくなったというのであれば、そういった思念がシンちゃんには見えてもよさそうだけども」

「……後悔の念、というのはあまり見えない。それすらもなんだか変な感じ。全く見えないわけでもなくて、まるで感情というものが作られたものであるかのような、そんな感じ」

「わかんないや」

「この辺りはシンの感覚的なところがありますらね。同じ、存在といえど、理解はできません」

 肩を竦める彼に対して私も笑いを返す。

 とはいえ、そう考えるとよほど特殊な理由でこの国を捨てる選択をしたということではない限り、国を捨てるということではなさそうだ。そもそも、国を捨てなければならない事態に陥ること、それ自体が特殊であるという事実は内緒である。誰に対しての秘密なのかは不明だが。

 そして、後者のパターン。『長命』があまるあまりに衰退したとしたら。

 ここが人間と、その他の動物の違いともいえる。生物学的に考えるのであれば生殖能力を失った動物に生きる価値はほぼない。しかし、人間はその人物がいるだけで、感情に影響を与え、健やかな発達のためには、たとえ生殖能力を失っても存在し続ける価値がある。

 しかし、そこが暴走を起こしたら……。食料やエネルギーといった有限の資源を分配することを考えた時、新たな子どもに与える余裕がなくなったのかもしれない。

 ――――確証はないし、解き明かす必要はないけどもね。ただ、この二人はそれをよしとはしないだろうし、私もこの国に起こった出来事を知りたい。

 そろそろ、おなかがすいてきたため繁華街の方向にあるレストランに入る。私は、オムライスを、レイ君はスパゲッティを、シンちゃんはカルボナーラを注文した。この二人の注文が少し似ていて、だけど微妙に違うのはいつも通りだ。双子だけど二卵性。それをよく示しているようだ。

 なお、やはりというべきだろうか、オーダーを聞きに来たのも、料理をしているのも機械である。

 料理の味はそこそこおいしかった。絶賛できるレベルとまでは行かないが、綺麗に並べられた、それは見た目的にもおいしそうである。

 その後、私たちは人間の姿を探し歩いてみたり、旅の備蓄のために店を訪れたりしたものの、人の姿などまったく見なかった。

 そうして、また、熱いお湯を浴びて翌日になる。その繰り返しで、特別進展のないまま数日が過ぎた。



 ひのと




 人の気配を探して、生存者がいそうな病院であったり、商店であったりを見て回ったが、結局人の気配を感じることはできなかった。機械に聞いてみるという古典的なことをしてみたが、この国の住人は私達です、としか返ってこなかった。そのことから、私たちの意見としては、何らかの原因でこの国の支配を機械に任せたのではないのかというものが上がっている。

 そんななか、唯一人間の跡を感じることが出来る場所を見つけることができた。ほとんどの国に、その場所はあるのだが、この国にもあるのか少し心配ではあったが、無事に発見をすることが出来た。

「人の気配は、しないけども」

「ヒトの魂は感じますね」

「……うん。ここにも機械的な心は感じる。だけど……純粋な人間の心も感じる」

 シンちゃんは呟きながらいくつか並んだソレ――――お墓に触る。

 お墓、それは人が生を終えた後に、眠る場所だ。しかし、本質的な意味はそれだけでは済まないと彼らは言う。

 冷静に考えるのであれば、人であろうと、なにであろうと、生命活動を終えた人間というのは、ただのたんぱく質の塊でしかない。人間の形をした、それだけの存在である。貴重なたんぱく源として食す、というのも手であるはずだ。ただし、この国に限って言えば、カニバリズムを行うほど、食料に困っている様子はなさそうであるが。

 そもそも、余計な土地を割いて、人を埋める必要性などないはずだ。もちろん、放置をすれば病気の発生源になりうる。しかし、いちいち大げさに葬式を行ったり、仰々しくここに眠るなどと称する必要性などないはずだ。だが、現実では。多くの国、地域において人の死に大きな意味を持たせお墓というものを用いる。

 それにはいくつかの説があるらしい。しかし、それらにあてはまるすべてとして、お墓というのは死者のためにあるのではなく、生者のためにあるものである、ということだ。

 お墓というものがあれば、どれだけ嫌でも誰かが手入れをする必要性がある。つまり、生者にとってみれば確実に記憶に残るということだ。また、生者にとってもその人を記憶に残し続ける、結びつきを得ることで生者が納得をする。

 ――――死した後にも、誰かの記憶に残りたいと私は思うけど……それも死んでないから、思うのかもしれない。

「さて、ココで起こった出来事を、教えてもらいましょうか」

「はい、これ」

「ありがとうございます。なかなかに便利なものですね、やはり。ガイスティック『念書日記』は」

 これこそ、、クロネコの十八番といえよう。シンちゃんの強力な霊能力と、技術師としても有能なレイ君が作り上げた、呪具。ガイスティックと呼ばれるこれらの呪具を用いる。その様は見ていて、ほれぼれしてしまうほどだ。

「では、始めるとしましょう。――――この場にいる、魂よ、記憶よ。我が呼び声にこたえ、姿を現せ。我が書式にその思いをしたためるがいい。さぁ、現れろ」

 バサバサバサと彼が持つ念書日記が激しく音を立ててページがめくられていく。そして、紫に怪しく発光する。耐えきれなくなり、思わず目を閉じる。

 吐き気も感じるほどの、気味の悪さを感じるが、なんとか胃からこみあげる、酸っぱさを飲み込んで目を開ける。

 発光は、終わっていた。

「……大丈夫?」

「う、うん。やっぱり、こういったものに耐性がない、みたい」

「ヒカリさんは、霊能力が全くないわけではなく、怪奇現象に好かれやすいタイプですからね。私たちが近くにいますので、悪質な霊にとりつかれるということはもうないでしょうけども」

 微笑んでから、念書日記に目を通す。私は口内の気持ち悪さを洗い流すために、ミネラルウォーターを口に含んで、吐き捨てる。昔では信じられないような行いだけども、仕方ない事情があるのだ。

「ふむ……面白い話が載っていますね。この国の顛末が描かれています。正しくは、このような事態になってしまったことへの嘆きですね。それが、この地面の下に眠る人たちが最後に残した記憶です」

 レイ君が語る内容は驚くべき、と形容すればいいのだろうか、私には考えもつかない世界での話だった。

 博物館でも見たように、この世界は長命を求めて、さまざまな技術研究を行っていった。その結果、人間の寿命はかなり長いものになった。

「しかし……精神の老化だけはどうにも止まらなかった」

 肉体改造をどれだけ行っても、どこかのタイミングで精神はすり減り、最後には廃人のような状態になってしまう。それは逃れようない事実だった。

 精神は肉体と違い、若返らせることが出来ない。そこで図った唯一ともいえる方法は、精神のAI化である。

 あまり深い思考はできないが、思考能力を全て機械化することで、精神を衰えなくさせたのだ。しかし、その時には体のパーツの肉体といえる部分もなく、精神すらも機械化している。それは人が完全な機械となったことを意味していた。

「機械には生殖能力もなにもありませんから、これ以上人が増えることもないでしょう。長命を求めるあまりに、人であることを忘れた、ということでしょうか」

「……一つの、単調な仕事しかできない機械のような人間。だから想いも機械的だった」

「それは果たして長命と言えるのでしょうか……。人の身体ころもに縛られる必要性はないとは思いますが……。生物であることをあきらめるのも、そうなのでしょうか」

「少なくとも、私は違うと思うな。それに、念書日記に書かれている想いもそうつづってる」

 念書日記には、徐々に自分が自分でない存在に置き換わっていく、その無念さを描いていた。この人物は、人間であることにこだわりをもったのだろう。いや、機械化を否定しただけで、こだわっていたわけではないのかもしれない。

 遠くから、お墓を定期的に掃除する機械がやってきた。正しくは機械に身を墜とした人間ということだろう。

 その声質は機械が人間の真似をしていると思っていたが、本当は人間が機械の真似を……いや、機械と同化した声ということであったのだろう。

「レイ君、シンちゃん。戻ろう」

「そうですね。この国にとどまる理由も思い浮かびません。今日はもう遅いですが……明日に旅立ちましょう」

「……その前に、これだけ」

 シンちゃんんは一つ、墓に近づくと、小さく何かをつぶやく。それは静寂にかき消されて、私の耳にまでは入らなかった。

 しかし、何を行っていたのかはわかる。

 私達は呪術師の一座だ。呪術師とは――――幽霊を退治するための存在ではない。清らかな世界に人々を導く存在だ。

 おそらく、ここにある負の感情を、負の記憶を……浄化させようとしたのだろう。

 シンちゃんの持つ指輪が淡く光る。それは気持ち悪さを感じさせることなく、空気に反応して清潔感があふれる。

 墓場に流れていた空気が変わったような気がした。体の異変があくなったかのように感じた。

「……この国に、幸せを」

 黒猫が過ぎていくかの如く、その小さな願いを最後に墓場を去った。さらりとした空気が私たちの身をつつんだ。

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