二十九、新年
関係者は皆分かっていた。これは時間稼ぎに過ぎない。判断に困り、誰も責任を取りたくない時によく行われる対応だ。
ルフス将軍は立会者からの提案にすぐ飛びつき、王と女王による診療という条件まで加えた。彼らに話をし、納得させ、都合がつくのを待っていたら年が明け、春になるだろう。
そうやって決定を先延ばしにすれば、向こうから解決が転がり込んでくるかも知れない。そう考えたのだった。
アイルーミヤはしばらく飼い殺しだし、ルフス将軍もローセウス将軍も、アウルム僧正将軍だってそれは分かっている。
関係者は、問題を今解決するより、先送りするという後ろめたさを取った。
アイルーミヤは、それが皆の思いやりだと言う事を分かっていたし、彼女が分かっているという事を他の皆も分かっていた。時間を稼いでおくから思い直せ、と。今なら間に合う。経歴は無傷のままだ。
「どうだ、調子は?」
ルフス将軍が執務室の窓から声をかける。珍しくよく晴れ、この季節にしては暖かい。アイルーミヤはクツシタに連れられて庭を歩いている。
髪がまた伸びてきているが、今までと異なる黒さだった。単なる黒ではなく、見る角度によっては濡れているようだった。それでいて軽く、ゆっくりした動きでも揺れ、弱い風にもなびいている。
子供のようだ、とルフス将軍は思った。アイルーミヤは最近、子供の雰囲気を漂わせるようになった。見かけは大人なのに、まとう空気は子供だった。その差に戸惑うが、表に現さないようにしている。
「クツシタと同じ。いい気分」
「猫の気持ちが分かるのか」
「今は」
「もうちょっと暖かい格好をしたらどうだ」
「これで十分。寒くない」
自然から力を得ているからか、と思ったが、口には出さなかった。尋問以来、アイルーミヤは自分の思想を隠さなくなった。言葉の端々に、周囲の自然と結びついていると滲ませるようになった。
アイルーミヤとフラウムの違いは何だろうか。ルフス将軍はいつの間にか庭の向こうに行ってしまった彼女を見ながら考えた。
「お前とフラウムとの違いは何だ?」
夕食後、見舞いの茶の残りを飲みながら聞いた。いつまで考えていても前に進まない。聞けば早い。それがルフス将軍だった。
「奴は力と権力の違いが分かっていなかった」
「お前は分かるのか」
茶を飲みながら頷いた。茶碗を傾けながら上目遣い気味にこっちを見ている。苦手な目つきだった。心まで見透かされているような気になる。
「何度も聞いているが、これからどうする?」
「何度も答えるが、私に決められるのか」
ルフス将軍は続けられず、黙ってしまう。
「それはもういい。年末年始はローセウス将軍の所で過ごさないか」
少しの沈黙の後、いきなり話を変えられて首を傾げるアイルーミヤを見、ルフス将軍は言葉を続ける。
「いや、誘いを受けていてな。行く積もりだが、お前を置いていくのも、と思って」
「しかし、誘いはルフス将軍だけでは?」
「いや、そうなんだが、そうじゃない。ローセウス将軍は、宴会にふさわしい客を連れてこいとも言っていた」
「私はふさわしいのか」
ルフス将軍は困った顔をした。アイルーミヤは微笑んだ。
「ありがとう。お誘いを受けるよ。よろしく頼む」
「クツシタもか?」
出発の準備をしている時、ルフス将軍にクツシタも連れて行くようにと言われ、アイルーミヤは聞き返した。
「クツシタもだ。新年のお祝いに置いてけぼりはかわいそうだ」
「お前と馬を並べるのはいつ以来だ?」
旅の途中、ルフス将軍が思い出したように聞いてきた。土産を積んだ荷馬車がゆっくりとついて来る。
「確か、突破作戦だ。あれを作戦と言うなら」
「そうだったな。お前から力が溢れ出て目に見えるほどだった。なぜあんなに怒っていた?」
「もういいだろう。今となっては思い出だ」
「しかし、私は楽しかった」
ローセウス将軍の本城に入り、年越しの宴会が始まった。昼は領内の代表者が次々と挨拶に訪れる。功労者を表彰し、報奨を渡すローセウス将軍を見て二人は感心した。
「ああやって統治するのだな」
小声でルフス将軍が言い、アイルーミヤは頷いた。
夜、三人で食卓を囲み、贅沢な食事と飲み物を楽しんだ。食事は菓子と茶に変わり、場所は私室に移っていた。
「年が明けた。統一歴二年だ。今年もよろしく頼む」
ローセウス将軍が窓を開け星を見てそう言うと、二人も挨拶をした。
「こちらこそ頼む。中央の修復を急がせないとな」
「ルフス、私の部屋だ。仕事は忘れろ」
窓を閉め、アイルーミヤの方を見る。ルフス将軍は頷いた。
「大丈夫か。ローセウス」
「確認は常にしている。この部屋は間違いなく閉じられている」
ローセウス将軍は座り、卓上のアイルーミヤの手に自分の手を重ねた。
「逃げろ。後は我々にまかせて」
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