二十七、沈思黙考

 十日も経つというのに、自然の力による回復は遅かった。アイルーミヤはルフス将軍の城に一室を与えられて養生しているが、周囲の力を使っては貯まるのを待ち、また使う事の繰り返しだった。なるほど、自然の力の信者が定住しないのも頷ける。しかし、彼女の今の状態では移動し続ける訳にもいかない。

 左手は肉が盛り上がり、指が分かれてきた。肌は、火傷の部分は回復したが、融けて貼り付いた鎧を剥がした部分の傷跡はまだ残っていた。焼けてしまった髪はようやく生えてきたが、まだ短い。額の目の痕跡は、肌の回復にしたがって目立たなくなり、光の加減によっては全く見えなくなった。

 ローセウス将軍が、とても希少な柔らかい布で出来たフード付きのローブをくれた。肌への刺激がほとんどなく、火傷や傷があってもよく寝られたのでありがたかった。

 ルフス将軍は仕事をさせてくれない。ずっとベッドで寝て、クツシタがやってきたらなでて話しかけている。


『にゃあ』

「皆忙しいんだよ。後始末で」

『みー』

「陛下も養生してるって話だよ。角は生えてきた。身体も、フラウムを吸収して胸まで出てきたよ。両腕もそろった。でも、やっぱり裸なんだそうだ」


 中央の罠は再起動されて元に戻った。穴は覆われ、収穫が終わってから本格的な工事が行われる予定だ。それまで警備部隊が常駐するとの事だった。


 闇の王に関する事、フラウムの領地の扱いなど、闇の勢力の動向は伝聞に頼らざるを得ず、仕方がないとは言え、物足りなかった。


 クツシタはベッドから跳び下り、どこかへ出かけていった。鼠獲りだろう。


 フラウムの領地はルフス将軍が治めている。遅れた収穫を急がせ、損害を繕うために巨人や獣人たちが働かされていた。そうさせながら闇の信仰への転向を呼びかけている。捕虜の立場ではなく、領民になれるぞ、と。


 ドアが叩かれた。ルフス将軍だった。あれでノックのつもりらしい。いつか扉を壊すな。


「どうぞ」

「どうだ、調子は? 退屈だろう。茶の時間だ」

「その通り、退屈だから仕事をさせてほしい」

 ルフス将軍は、手振りでベッドから起き上がろうとするアイルーミヤを制し、茶道具を置いた机を側まで運んだ。彼女はベッドを椅子代わりに座る。

「陛下は?」

「問題ない。ただ、女王陛下がつきっきりで困っておられる」

「つきっきり?」

「通信を繋ぎっぱなしだ。陛下は今自分の時間がない。私がいつ連絡しても女王陛下が近くにいる気配がする」

「南は?」

「静かになってきた。収穫はどこも順調。元からの住民は全て闇に戻り、捕虜は改宗する者が出てきた。巨人と獣人の内三分の一ほどだ。妖精は群れ単位で意思を決めるらしく、まだ意見がまとまってない」


 ルフス将軍は茶を飲んだ。

「それで、アイルーミヤ。お前はどうする」

「その話か」

「その話だ。自然の力の体験はもう十分だろう? そろそろ闇に戻れ」

「もうちょっと知りたい。この力がどういうものか。ヒコバエの説明どおりなのか。もっと奥深いものなのか、な。闇や光とはまったく種類の異なる力だ。この機会にきちんと調べたい」

「捕虜の尋問ではだめなのか」

「自分の中にその力がある事に意味がある」


 ルフス将軍はアイルーミヤをじっと見る。

「実は、陛下がご心配だ。この意味、分かるな?」

 アイルーミヤは頷いた。

「ならいい」


「この茶、いつもと違うな」

 気のせいか、ルフス将軍は赤くなった。

「アウルム僧正将軍からの見舞いだ。今朝届いた。受取と礼は私が出しておいた」

「私も出しておこう」

「そうだな、それがいい」


 茶の時間は終わり、ルフス将軍は出ていった。事務仕事でもさせてくれと頼んだが、養生しろと言われた。治りかけの傷が痒い。

 あの戦場で、闇の力を捨て、自然の力への信仰を得る時、そうすれば平和になるという信念があった。そして、その通りフラウムを完全に叩き潰し、闇と光、そして中立を保つ山と森の住民の間で均衡の取れた平和となった。

 そこで、私が再度闇の信仰を得るための信念とは何だろうか。ここに迷いがあり、転向出来ない原因であると分かっていた。

 なぜ、闇でなければならないのか。フラウムの言葉が思い出された。


(「では、今ではお前は私と同じ、自然の力の信者か。なら分かるだろう。自分の主が自分であるという事が。素晴らしいだろう?」)


 否定できない。奴の言葉など認めたくはないが。


(『なぜ、何のためにこんな事をしているのだ。争いや面倒事から距離を置いて、森の奥で静かに暮らそうとは思わないのか』

『難しい質問だな。考えるべき色々な要素を含んでいる。だが、答えは単純だ。私の主は私じゃないんだ』

『それがアイルーミヤさんなのか。では、さらばだ』)


 ヒコバエとの会話も思い出された。あの時、私の主は私ではなかった。そして、ヒコバエはそんな私に対して泣いた。哀れんだのか、悲しんだのか。


 他方、これまでの人生もある。陛下から生まれ、戦い、封印されていた五百年。闇の力のために生きてきた。ずいぶん生命を奪い、物を破壊してきた。それだって平和のためだった。良い悪いではない。もしも、の世界など存在しない。時間は遡れない。過去は全て今の自分に繋がっている。

 だが、未来はどうか。今の自分の決断が未来の自分になるのであれば、闇の信仰に戻るべきか。

 いや、信念なしに信仰は変えられない。では、私は裏切り者か。フラウムと同じ反逆者、陛下から生まれたのに陛下の下を去る恩知らずか。

 なぜ、私は考えることが出来るように作られたのだ。自分で考えられなければ苦しまずに済むのに。アールゲント僧正将軍との事だって無かったはずだ。


『にぃ』

 いつのまにかクツシタが戻ってきて、ベッドにもぐりこんできた。日が沈みかけている。暗くなると、風はもう冷たい。すぐに秋は終わり、冬が来る。

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