二十二、フラウム

 翌朝、晴れて気持ちの良い朝になるはずだったが、アイルーミヤは慌ただしく帰国の準備をしていた。夜の明けない内に届いた緊急通信のせいだった。ルフス将軍からで、フラウムとの連絡が取れなくなったと簡単に書いてあった。

 ただ事ではない、と感じた。詳細が一切記されていない点と、将軍という肩書が省かれている点が彼女の心を波立たせた。


 朝も摂らず、驚きを隠せない様子のアウルム僧正将軍に馬上で礼と別れを告げた。

「今は細かい事はお伺いしませんが、我々で助けになる事があればなんでも仰って下さい。これは私直通の緊急連絡先です。面倒な手続きは不要、部下を通しません」

「ありがとうございます。無礼をお許し下さい。それでは」


 外交交渉の報告書は旅をしながら仕上げて送信した。返事はなく、緊急通信のその後の経過は不明だった。


「急がせてすまない。そのままでいい。すぐ会議だ」

 城に着くと、ルフス将軍と、驚いた事にローセウス将軍も来ていた。闇の王への送信用の水晶玉が置かれている執務室で、顔を合わせての会議が始まった。外交交渉については報告書の内容をさっと再確認しただけで、他には何も聞かれなかった。二人ともそのような事にかまってはいられない様子だった。その理由はアイルーミヤにもすぐに分かった。


「反逆だ。巨人、獣人、妖精が加わっている。全部族ではないようだがはっきりしない」

 ルフス将軍がいつもの簡単な言い方で説明してくれる。フラウムとの連絡が取れなくなり、ローセウス将軍が使者を送った所、その遺体に建国を宣言する文書がくくりつけられて送り返されてきたと言う。

 その文書によると、フラウムは闇でも光でもない独自の魔法による集団の王となるとし、新国家『山と森の王国』を建国するとしていた。


「フラウム……王、という訳だ」

 ローセウス将軍は、汚らしい単語を発音するように言った。

「でも、どうやって? 我々は闇の王の分身です。陛下の御力なしには」

「原理的に不可能ではない。信仰を変えるのと同じで信念さえあれば手間はかからない。生きるための魔法の源を闇から別の存在へと切り替えたのだ。『山と森の王国』というふざけた国名に手掛かりがありそうだな」

「理屈ではそうですが、信じられない」

「いや、ローセウス将軍の言う通りだ。信じようと信じまいとこれが現実だ。フラウムは信仰を変えた。いや、変えさせられたのかもな」


「返答はしたのですか」

「もちろんだ。そのような宣言は認められない事と、すぐ出頭するよう命令した。通じたかどうかは分からんがな」

 ルフス将軍は頭を振って言った。

「また使者を送って殺される訳にもいかない。通信文をやり取りするたびに死体を作られてはかなわぬ」

 ローセウス将軍が蝿を追うように手を振った。


「では、私が」

「いや、そのために呼び戻したのではない。我々はその点についてはもう話し合ったし、陛下は別のお考えをお持ちだ」

 ルフス将軍がそう言い、ローセウス将軍は頷いた。彼は言葉を続ける。

「陛下のお言葉だ。不届き者フラウムの一党は無力化せよ。フラウムは捕らえて余に戻せ、とな」

「帰還、ですか。説得はしないのですか」

「しない。フラウムの存在そのものは陛下に帰還する」

「昔のままの戦争を行うのですか」

 アイルーミヤがそう言うと、二人の将軍は頷いた。


 戦争の準備が始まった。敵の勢力は不明な点が多かったが、直近の統計から戦闘可能な人間は三百人足らずと見られた。

 他の勢力については、幸いフラウム側につかなかった巨人部族の一員、ヒコバエを呼び出す事が出来たので、事情を説明し、推定してもらった。

『おおよそだが、巨人が五十。獣人が狼四十、熊四十、山猫二十。妖精が群れ三つで三千といった所かな。巨人と獣人の一割程が魔法を使えるだろう』

『ありがとう。助かる。ついでだが、彼らがなぜそんな行動に出たか分かるか』

『想像だが、『不安』だな。光と闇が結びついたのが伝わってきた時、もう我々をそっとしておく理由が無くなったんじゃないかという懸念は皆が抱いた。我々の部族は、それでもじっとしているべきだと考えたが、そうではなく、自分たちの居場所は自分たちで急いで勝ち取らなければと考えた連中がいたのだ。本当に自分たちの考えか、吹き込まれたのかは分からんがね』

『そうか。残念だな。情報をありがとう』

『いや。アイルーミヤさん。ところで、ひとつお願いしたい事がある』

『どうぞ』

『我々はこの戦いにも中立を守りたい。しかし、そこを曲げてフラウムについた勢力の情報は流した。代わりと言っては何だが、報酬として今後も我々をそっとしておいてほしい』

『あなたたちも心配なのか』

『光と闇が結びついたのだから、不安にもなる』

『前と同じで約束は出来ないが、上に伝えよう。感謝する』

『それでいい』

 枯れ草の臭いの巨人は、呼び出した時とは逆に、森の奥へ去って行った。


「そうか、良かった。奴らは一枚岩ではないのか」

 ローセウス将軍はほっとしたようだった。

「彼らの要求はどうしますか」

「もちろん、守る。しばらくはな」

 ルフス将軍も安心したようだった。フラウムとの戦いにおいて二正面になる可能性が無くなっただけでも助かると計算しているのだろう。

「そうだな、ルフス将軍。今となっては奴らはいつでも潰せる。フラウムへの対応のみ考えよう。アイルーミヤ、良くやってくれた」


「フラウムの動きは?」

 アイルーミヤは漠然とした不快感を表に出さず、話を変えた。ローセウス将軍が答える。

「まだだ。情報が正しいとすれば、討って出られるような戦力ではない。立てこもって防戦に徹するつもりだろう」

「動きを取れないのは我々も同じだ。収穫が終わるまではな。戦は冬だ」

 机を指で叩きながらルフス将軍が付け加えた。将軍たちは石のように無表情だった。

「しかし、お二人ともそうは思っていないのでしょう?」

 アイルーミヤが言うと、二人とも苦笑して頷いた。光と闇が結びついた現在では持久戦には何の意味もない。多少持ちこたえた所でじわじわ押しつぶされるだけだ。彼女は前の包囲戦を想像していた。

「何か切り札か、奇策でもあるのかもな。ルフス将軍はどう思う?」

「そうだな。アイルーミヤ、ヒコバエとやらの情報は信頼できるのか」

「嘘や裏切る理由がありません。前とは違います。陛下だけならまだしも、さすがに光の女王を敵に回しはしないでしょう」

「そうか。奴らには手こずらされたものだが、本当にじっとしていてくれるのであればそれでいい」

「では、奇策か」

 ローセウス将軍は天井を見上げた。

「フラウムは勝てると踏んでいる。何をする気だ」

「奴らがどんな魔法を使うのか分からないのが心配ですね」

「どういう事だ、アイルーミヤ」

「前の時は、我々と力の源が異なるだけの攻撃と防御魔法でした。それだけなら恐れはしないのですが、彼ら独特の魔法があって、それが切り札にならないでしょうか」

「あり得るが、情報不足だな。想像に過ぎん」

 ローセウス将軍は腕を組んだ。そこへ、興味を惹かれたように、ルフス将軍が口を挟む。

「もっと詳しく言ってみろ。根拠など無くていい、想像でいいぞ」

「奴らに大損害を与えられた戦いを思い出して下さい。どこからともなく現れてはさっさと逃げる敵にいいようにされました。山や森の住人はそのような戦い方が得意なのだと思っていましたが、考えてみれば、そういう術なのではないでしょうか。神出鬼没の魔法です」

「そんな魔法が使えるのに、我らを滅ぼさなかったのか。追い払っただけで」

「そこは分かりません。何らかの制限があるのかも知れません」

「作業仮説として、アイルーミヤの言うような魔法があったとしよう。それでもフラウムの戦力不足はどうにもならないな。緒戦で有利になるだろうが、物量が違いすぎる。A帝国に援軍を頼むまでだ。そう出来るのはアイルーミヤのおかげだな」

 冗談を言うローセウス将軍を見ながら、ルフス将軍が茶を言いつけた。

「休憩にしよう。考えすぎだ」


 アイルーミヤは茶を飲み、菓子をつまみ、いつの間にか膝の上にいたクツシタをなでている。毛がよく抜ける。冬毛になりつつあるのだろう。


 作業仮説として、か。私ならどうする? 神出鬼没の魔法があったとして、防戦ではなく、積極的な攻撃に使いたいとしたら。

 暗殺だな。指揮官を狙う。戦いの最中に隊長、司令官、将軍が死ぬ。大変な事態だ。戦闘の勝敗を決めるだろう。

 しかし、と、アイルーミヤの考えは先程のローセウス将軍の発言に戻る。物量の問題は片付かない。戦力差はそんな小手先の戦術でひっくり返せる程ではないのは明らかだ。フラウムだってそこは分かっている。


 膝が軽くなったと思ったら、クツシタは気づかない内にどこかへ行っていた。もし私を殺す気になったら簡単だな、と微笑む。魔法なんかいらない。いや、猫そのものが魔法なのだ。


「どうした、アイルーミヤ。ご機嫌だな」

「ええ、菓子がおいしくて」

 ルフス将軍は笑った。

「嘘をつくな。何を考えていた?」

「さっきの話です。神出鬼没の魔法を暗殺に使ったとして、誰を狙えば一番効率が良いかな、と。でも、戦力差をひっくり返せるくらいの対象はいませんね」

「私を殺してもか。このルフスにはそんな値打ちはないか。まあ、そうだな」

 彼は大笑いして茶を飲み干した。その瞬間、アイルーミヤは閃いた。当たり前だが、彼女の立場では畏れ多くてかえって考えつかなかった事だった。


「いました」

 将軍たちは彼女に注目した。


「陛下だ。陛下を狙えば」

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