十三、平和の意味

 流れる水の音。涼しさ。背に感じる柔らかい何か。


 アイルーミヤは目を覚まし、ずきずきする頭だけをそっと動かして周りを見回した。


 水の音は右側の小川だった。自分は日陰になった平たい岩の上に寝かされている。頭が上流側で、敷物がしいてあった。


 右腕が肩から無かったが、まったく痛みはなかった。


『気づいたな。具合は?』

 小川の向こう岸にあの巨人が座っていた。向こう岸と言っても手が届く。今の彼女を捻り潰すのは簡単だろう。

『無理に話さなくていい。でも聞いてほしい。闇の将軍たちが交渉部隊を送っているのは知っている。しかし、我々は下らない争いに手を貸す気はない。闇にも光にも味方しない』

 巨人はアイルーミヤが無くした腕をちらりと見たのに気づいた。


『それは止むを得なかった。『悪い舌の乙女』よ。殺された狼獣人の一族から賠償請求があってな。右腕で納得してもらったのだ』

『構わない。また生やす。それと、アイルーミヤと呼んでくれていい』

『それは便利でいいな。アイルーミヤさん。私はヒコバエだ』

『ヒコバエ、私をどうする気だ』

『私と話をしてほしい。そして帰ってその話を伝え、我々をそっとしておいてほしい。お前らは勝手に殺し合っていればいい』

『闇でもなく光でもない生き方が出来るのか。それはこの世の根本原理に反しているだろう』

『そうだな。この世の全ては光か闇で、知性ある者はどっちに属するか決めないといけない、というのが原理という事になっているな。でも、本当かね』


 巨人は大きな澄んだ目で寝ているアイルーミヤを見下ろしている。枯れ草の臭いが強くする。髪や体毛は伸びっぱなしで櫛を入れた事など無いだろう。そのせいで性別ははっきりしない。

 しかし、どこか安心できた。枯れ草の臭いの中に嗅ぎ慣れた臭いが混じっている。なんだろう、と考えてすぐに分かった。クツシタの後頭部の臭いだった。


『あの襲撃は何だ?』

 アイルーミヤは話を変えた。巨人の要求にはすぐに答えられない。それより今知りたい事を片付けておきたかった。

『二つ目的がある。アイルーミヤさんのように話が出来る者をさらい、我らの立場を説明して送り返すのが第一。第二は我らの力を誇示するため。力がないと要求を無視されるだけだからな』

『他も襲撃したのか』

『山と森に接する周辺地域は全てだ。そうしないと力を見せた事にならない。お前らは、我らを少数と誤解していただろうが、そうじゃない。我らは潜んでいるのが得意なのだ』

 そして、十分組織化されている。アイルーミヤはかなりの危機感を感じていた。この話が本当だとすると、闇でも光でもない強大な第三勢力がある事になる。

 アイルーミヤは、もう立ち上がれるくらい回復していたが、あえて寝たまま話をした。ここは相手より弱い振りをしておいた方がいい。

『それほどの勢力が、中立を守り続けられるのか』

『今までだってそうしてきた。五百年前もお前たちの侵略を退けたが、それ以上は追撃しなかっただろ? 我らは必要以上に増えないし、多くは望まないからな』

 侵略を退けた、か。かなり控えめな言い様だ。彼らは山と森では神出鬼没だった。今考えてみると、あの大損害は敗北への道を決定づけた原因の一つと言ってもいい。それなのに、我々はこいつらを少数だが手強いとしか分析しなかった。本当は多数で強大、だった。


 川の流れる音だけがしていた。森の木は日差しをさえぎり、涼しく心地良い。しかし、アイルーミヤはそれを楽しんでなどいられなかった。

 巨人の要求に従うべきか。それとも元将軍としての意地を張り通すか。


『王は何を焦っているのだ。素直に結婚しておとなしくしていれば皆幸せになるだろうに』

 アイルーミヤが黙って考えていると、巨人があきれたように言った。

『結婚とはどういう事だ』

『知らなかったのか。本当に?』

 彼女は頷いた。巨人は説明してくれたが、あの文書と大きな違いはなかった。光の女王が預言した所まで同じだった。

『封印については皆疑問に思っていたから、女王も説明の必要を感じたのだろう。それほど闇の王とお前らのやり方はひどかったからな』

 巨人は淡々と話した。他人事のようだし、今さら蒸し返しても、という感じもする言い方だった。いずれにせよ、彼女に怒りを向ける気はなさそうだった。

『だが、信者に黙っていたのなら、王は婚約を破棄するつもりなのか。それはまずいぞ』

 巨人は初めて感情を込めた。

『説得できないか。我らは平和を望む。戦う能力はあるが、嫌だ。私は森で寝ていたい』

 澄んだ目が彼女を見ている。射抜かれるような力を感じた。額の目は開いているが、魔法言語以外の力は検知されない。話を有利に進めるために何らかの力を使ってなどはいない。これは心の底から出てきた真だと感じた。

 アイルーミヤは迷ったが、自分も真を言おうと決めた。さっきは知らない振りをしたが、相手が真剣で打ちかかってきたのだから、こちらも真剣を合わせよう。


『分かった。話を伝え、説得してみよう。しかし、私の今の立場ではそれが出来る精一杯だ。何か指示したり命令は出来ない。判断は上層部や王が行う』

『それでいい。では、帰り道の分かる所まで送ろう。ああ、最後に一つ聞いても?』

 彼女は頷いた。

『アイルーミヤさんは平和を望んでいるか』

『その言葉の意味による』

『では、さっき言ったようなのが平和だと思え。森で寝ていられるって言うのが』

『すまない。分からない。それが良い事なのかどうか』

『分からないんじゃない。多分、アイルーミヤさんは平和について真面目に考えた事が無いんだろう』

 巨人はため息をついた。

『では、送ろう。申し訳ないが、また眠ってもらう。また何かあったら森のそばで私の名を呼べ』


 いつの間にか妖精がそばに来ていた。避ける間もなく、左側から首をちくりと刺され、真っ暗になった。

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