第28話 絶対おもしろくなるよ!
アルケインは、キィルキュースが遺した金色の板を拾い上げる。屈んだ際に影になった顔は、刻まれたシワが怖気を振るう鬼面を象り、目だけは爛と輝く鷹の鋭さを備えていた。うなじの辺りがチリチリとする。目の前の相手が極めて危険な存在だと本能が警告を発していた。
「こんなことになって本当に残念だ。これは私が使う」
「先生……なにするつもりですか」
世界に、ソヘイラーを異物と認識させないためにここまで来た。なし崩し的に合流したアルケインも同じ目的だと思いこんでいたが、真意を隠していたらしい。
「裏切ったと思わないで欲しい。とてもつらいんだ。君たちは若くたくましいが……私には彼の、キィルキュースの心情が少しわかる。疲れた心は、慰めと許しを欲するものだ」
「なにするつもりなんですか!」
アルケインは大きなため息をついてから、力を溜めるように息を吸い込んで言った。
「エミリアに会いに行く」
「マスターに……」
「ソヘイラーちゃんが生まれた世界に行くってことですか? 召喚魔法でこっちに呼び戻すんじゃなくて」
「エミリアが黒い穴に消えて、無限の暗黒の中をさまよっていると思いこんでいた。だが、ソヘイラーさんが別の世界で新しい生活を築いていると教えてくれた。それをこちらの都合で召喚するのはまずいだろう。私のほうから行くさ」
「こっちの世界はどうなるんですかっ。ソヘイラーちゃんは命を狙われ続けるし、あの怪物の暴走だって止まらなくなるんですよ!」
「済まない」
「どうしても、ですか。それが最後の奇跡なんですよ。ソヘイラーちゃんがこれから安心して生きていくための、最後の希望だってわかってますか?」
「済まない」
「先生のこと、信じてたんですよ……?」
「本当に済まなく思う」
「謝って済む問題じゃっ……!」
ピーシャは詰め寄るが、
「やめてっ!」
「ソヘイラーちゃん……?」
顔色を失った少女が立ち尽くしていた。どちらに向けてでもなく、もう一度、「やめて」とつぶやく。
「ソヘイラーちゃんが嫌がっても、先生を止める。こんなの間違ってる。ソヘイラーちゃんだってそうでしょ」
「私は……」
思考を働かせることすら恐ろしいという顔で、ソヘイラーは地面を見つめている。
「生きなきゃダメだよ! エミリアさんはなんのためにソヘイラーちゃんを外へ逃してくれたの、『生きなさい』って言葉があったからここまで来たんじゃなかったの!?」
「エミリアには元気でやっていると伝えておく」
ピーシャが睨みつけても、アルケインは眉ひとつ動かさない。
「人を救う嘘もある。エミリアにはこちらの世界を観測する手立てなどないのだから、私の言うことを信じるさ」
「先生は、悪い人ですっ……!」
強くなじりながらも、じわりと視界がにじんでいた。怒りもあるけれど、それよりも霧雨のような悲しみに打たれる思いだった。
ミュティアとの対立は、多くの人を救う方法の違いでしかなく説得が通じた。アルケインとは、そもそも目的が違う。どちらか一方の望みしか叶わない。裏切られたことよりも、慕っていた人と決裂してしまったことがピーシャの胸の中を冷たく濡らしていた。
だけど、ソヘイラーのほうがショックを受けているに決まっている。この小さな友達を守れるのは自分だけだと、ピーシャは唇をきゅっと噛んで涙をこらえた。
「心外とは言わないが、少々傷つくな。ソヘイラーさんを救い、かつ私の願いも叶うならばそうしている。本当に、苦渋の決断なんだ」
冷酷なようで同情も誘うような語りをするアルケインのの意図が読めてきた。ソヘイラーを説得するつもりだ。
アルケインとの対決を避けるつもりはなかった。だが事実としてピーシャひとりでは、アルケインに到底敵わない。ソヘイラーと組んでも勝ち目は薄い。それでも、組まなければ万にひとつも勝てない。
一方でアルケインも、ソヘイラーという未知の戦力を敵に回したくない。身の丈を超える大剣を軽々と振り回す少女を危険な相手と認識しているはずだ。
ソヘイラーを取り合う戦いが始まっていた。
「しっかりして! 少しでも命救うんでしょっ、このままだと、どれだけ被害が出るか想像もつかないことになるよ」
「そうだけれど……」
「あの怪物が暴走してるのは、ソヘイラーちゃんを認めない世界が悪い。でもここでアルケインに先生を止めないのも悪いことだよ。えーっと、つ、罪だよ、罪!」
「無理に慣れない単語使わなくていいのよ」
ソヘイラーがようやく、くすりと笑う。
「と、とにかく私たちしかいないんだよ。ミュティアさんも教団も戦ってくれてるけど、ずっとは無理だよ。冗談抜きで世界の命運かかってるんだってば。だから一緒に、ね」
ピーシャが手を差し出すと、ソヘイラーの肩が小さく跳ねた。迷いに震えながらもソヘイラーが手が動き始めた時、アルケインがいかにも無念そうな声を差し込む。
「これは言わないでおくつもりだったが、ソヘイラーさん、喫茶店で渡した証書をまだ持っているかな。見るといい」
ソヘイラーは訝しむ顔でポケットから紙片を取り出すが、ふと思い出した顔になる。
「すみません、私はこちらの世界の文字が読めないのです」
「じゃあ私が代わりに……こっここここれ……ランボルト・アルケインの全財産をソヘイラーちゃんにぃ!?」
「売り払って構わない。しばらくは遊んで暮らせる額になる。向こうの世界では魔法がないのだろう。行けば戻って来られない。だが私は生涯を懸けた魔法を捨て、生活も捨て、エミリアを選ぶ。こんなことで償いにはならないだろうが、どうか悪党だなんて思わないでくれ。君を大切に思う気持ちに嘘偽りはない」
「そうですよ、償いならない! ソヘイラーちゃんに死ねって言ってるのと同じじゃないですか! ちょっと……じゃない、結構あるけど、いや、かなりあるけど……お金払ってなにかした気になってるだけの卑怯者だ!」
「承知の上さ。私は卑怯で残酷だが、邪悪ではない。それだけ誤解なく、信じてくれればいい」
「言葉遊びでごまかそうとしないでください。ソヘイラーちゃんも、たくさんの人も実質的に殺そうとしていることに変わりないじゃないですか」
アルケインの動かなかった表情はここで、仮面にヒビが入ったような奇妙な苦笑いを作った。
「恐ろしい子だな、君は。おじさんに少しの慰めも許してはくれないか。ならば言い切ろう。ソヘイラーさんも無辜の人々も見捨てて、私は妻エミリアを選ぶ。これでいいかな」
「ソヘイラーちゃんわかったでしょ! こんな人に気を遣うことないよ、止めなきゃダメなんだよ!」
ここまで言ってもまだソヘイラーは迷っていた。
ソヘイラーは自分の命の継続に執着しているし、ミュティアの指摘した通り他者の命を守るために必死になれる。それを覆すほどエミリアと、アルケインの存在が心の中で大きいということだった。感情は、単純な足し算引き算で計れない。
アルケインは、呆然としているソヘイラーを一瞥するとゾハルへと歩き出した。これ以上動きはないと判断したのだろう。
「待ってください」
走って回り込んだピーシャが、アルケインの前に立ちはだかる。すでに拳を握り、ややかかとを浮かせた戦闘態勢を取っている。
「本気かね。私に勝てるつもりか」
「勝てないと思います」
「なにが狙いだ?」
「なんにも。ただ、人を助ける時にためらわず立ち向かう。そう決めたからそうするだけです」
「この状況で手加減するほど優しくないぞ。冷静に考えてここで無駄死にするよりも、今後の世界をソヘイラーさんと生きていく術を探るべきではないかね」
「冷静に考えて、そう思います。でもしません! そんなことしたら私じゃなくなるから」
アルケインは呆れ返り言葉をなくしているところに、水晶の鳴るような声音の含み笑いが響く。
「ふふふ。ピーシャ、知っていたけれど、あなた性格最悪ね。破滅的に頭も悪い」
「ひどいっ!? 否定し切れなくもなくもないけど……」
「ロード・アルケインを断罪したその口で、私より、多くの人々よりも自分を取ると言ったのよ、理解しているの?」
責めるではなく、からかう口調でソヘイラーが言う。
「それはっ……うん。わかってる。じゃあ、こういうことにしようよ」
ピーシャは思いついた顔で、手を打ち合わせる。
「先生はエミリアさんを選ぶ」
「ふぅむ?」
「私は私を選ぶ」
「それで?」
「だからソヘイラーちゃんは私を選んで」
「そこを『だから』で繋げるのが、あなたの狂ってるところよね。そこがおもしろいのだけれど」
「私といたら絶対おもしろくなるよ!」
「思い出したわ、私の人生はあなたに巻き込まれたのだったわね」
ソヘイラーが得意の、妖しくも不敵な顔で微笑む。
「申し訳ありませんがロード、道往き阻ませていただきます」
「正気で言っているのかね」
「キィルキュースは邪悪で哀しい存在でしたが生きることについて示唆を残してくれました」
「興味深い。聞かせてもらおう」
教師としての習性なのか、この時ばかりはアルケインも穏やかに応えた。
「命を懸けてでも、おもしろく生きる、ということです。最も生存率の高い策は、ピーシャを連れてこの場から逃げることでしょう。その程度は、彼女の知性でも理解しているはずです」
「さり気なくバカにされてる気がするよぉ」
「ですが、ピーシャは対決を選んだ。ならばきっと、それはおもしろいことになります。私の考えるおもしろい人生は、ピーシャの隣に居れば達成されると信じています」
「愚かであることと違うのだろうか。私と戦えば、君たちは確実に死亡するが?」
「撤退しても、この先ネズミのように縮こまって生きていくしかないでしょう。だったら、賭けに出るのもいい。そのほうがおもしろい。負けたとしても、ロードとマスターが再会するのなら、その結末もまた私の望むところです」
「戦闘に勝っても負けても、君の望み通りというわけか。愚かどころか、驚きの狡猾さだ。……誰に似たのだか」
ソヘイラーは思わせぶりに微笑むだけに留めて、証書をポケットにしまう。
「あ、もらっちゃうんだ」
「人の厚意は受け取るものよ。それはそれとして、最後の奇跡も奪い取らせていただきます」
「やむを得ないな」
アルケインは、すべて飲み込むように一度目を閉ざし、再び開いた時には鷹の眼光が身の程を知らない少女二人を射抜いていた。
「ランボルト・アルケインの真髄、高い授業料になるぞ。その命で払いなさい」
「勝てば踏み倒せるってことですね!」
「勝利をもって請求棄却させていただきます」
二人同時に言い、にやりと同質の笑みを交わしあった。
「仲がいいのは結構だが、まとめて死なないよう注意することだ――始めるぞ」
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