第19話 お金……?
食器を片付け、ソヘイラーは食度の入り口に誰も来ていないことを確認するようにさっと目を向けてから、また席についた。
「少し、実際的な話をしましょう」
「改まってどうしたの」
ピーシャもまた向かいに座る。肩が疲れるので、胸をテーブルの上に乗せた。
「私は身体を得た。この身体を健康に保つためには、栄養ある食べ物、清潔な衣服、外気外敵から身を守れる住居が必要なの」
「そりゃそうだね」
「で、それはどう用意すればいいのかしら」
「…………あ」
ピーシャの顔がみるみる青くなる。
「お金……?」
「端的には、そうね。この世界、少なくともこの近辺は安定した貨幣経済が機能しているようだし」
「え、え、え、え、えっっっと、その、ね?」
「動揺しすぎでしょう……その態度で察したわ」
「実家から毎月もらってるし、バイトもしてるけど、さすがにもう一人分は……ごめん!」
「ここまでは確認みたいなものだからいいのよ。それでも、この世界にはあなたのほうが詳しい。アイデアをちょうだい」
ピーシャは、目の前の少女を見る。見た目も要領もよく、きっとどこでも上手くやっていけるだろう。街に出れば、働き口はすぐに見つかるはずだ。でも、
「ソヘイラーちゃんはなにかしたいこと、ある?」
「夢や目標という意味で?」
「そうそう」
「ないわね。こちらの世界でなにが出来るのか知らないもの。興味はもちろんあるけれど、私が言ってるのはそれ以前の問題よ。明日の食べ物の心配をしながら、魔法使いになりたいと思ってもしょうがないでしょう」
「魔法使いなりたいのっ? 一緒に勉強するっ?」
「だから……ここの学費だって、あなたの親が出してるんでしょう」
「うっ……う~~~~~~~ん、召喚魔法の成功例ってことで学園に保護してもらおう!」
「それも話したじゃない。私はどう見てもただの人間よ。証明は難しいわ」
「ちっちっち。ソヘイラー君はわかってませんなー」
「……」
「こわっっ。目! ドラゴンでもショック死しそうな目になってるよ!?」
「魔王にふさわしいわね。いいから早く言いなさい」
「うひぃ……ソヘイラーちゃんの剣あるでしょ。おっきいやつ」
「ペンタチュークね」
「あれって精霊の力を借りずに呼び出せるんだよね。呼びかけたりしてないでしょ」
「こちらの世界の流儀に従って言うなら、ゾハルと直結している魔法になるわね」
「魔法使いからしたら、それだけでもの凄いことなんだよ。あり得ないって言ったほうがいいかな。完璧な証明にはならないかもだけど、ただの人間ってことはないよ」
「そう……なのね」
ソヘイラーは眉根の寄った顔でテーブルの端をじっと見る。
「なにか考えてる? なんでも言って」
「そんな特異な存在になるつもりはなかったから少し戸惑っただけよ。あなたの言う通りね。この世界のことわかってなかったわ」
「魔法使いとしてはかなりヘンだけど、ソヘイラーちゃんの個性のひとつってことでいいんじゃないかな。ミュティアさんだって相性が火に偏りすぎててヘンでも、立派にやってるし。私だって正体不明の精霊と相性いいし。……うん、大丈夫。たぶん」
「そこはちゃんと励ましなさい」
呆れと脱力半々でソヘイラーは軽く首を振った。
「私の認識が甘かったの。そんなに個性的なら、相応の立ち回りがあるはずよ。上手く活かす道を考えましょう」
「その意気だよ! ……んっ? いやいや待って。それだと魔法使い業界から離れられなくなるよ。この世界のこともっと知ってからでも遅くないはずだよ」
「召喚魔法の関係者として保護してもらおうって言い出したのあなたでしょう。もう少し考えてから口を開いて」
「しゃべりながら考えてるの~っ」
「この世界を見て回るにしても資金がいるわ。話が進んでないのよ」
「うぐぐぐぐ……あっ、じゃあアルケイン先生に相談しよう!」
「アルケイン……確かミュティアも名前を出していたわね。ロードの尊称を付けて呼んでいたということは、それなりの人物なのね」
「頼りになる先生だよ。もともと召喚魔法の本は先生から借りたんだから興味はあるはずだし」
「信用していいの? ミュティアのように襲いかかってきたりしないかしら」
「大丈夫だよ~。教団の関係者でもないし。先生いい人だってば」
「昨日のあなたなら、ミュティアに対してもそう言っていたでしょうね」
「いまだって悪い人とは思ってないよ。ただちょっと、主張が違うところがあっただけで」
「……そうね。アレはアレで悪くないわ」
「アレとか言っちゃダメだよー。でも安心した。ソヘイラーちゃんは、ミュティアさんのこと嫌いだと思ってたから」
「あなたを殺した時、つらそうにしていたわ。本物の狂信者ならあんな顔はしない。それでも信義のために生きると言い切った強さがある」
「そんなに評価してたのはさすがに意外かも」
「人を簡単に信用してはいけないと勉強になったところも含めてね。アルケインはどうなの」
「先生のこと全部は知らないから断言はできないけど、私は信じてる。キマイラを一人で倒した伝説もあるけど、いまはおじいちゃん一歩手前だし足も悪いから最悪襲われてもやっつけるし」
「相性のいい精霊や得意な魔法は?」
「そこまでは知らないってば。戦闘になると思ってるの?」
「最悪の最悪を考えておくのよ。特に魔法は、私からすればまだまだ未知の部分が多いわ」
「最悪の最悪はないよ」
ピーシャは目を合わせて、きっぱり言い切った。
「今度こそ守るから」
「ふふふ。あなたの『守る』ほど信用できないものはないわ」
「ひどいっ!」
「事実よ。でもそれを飲んだ上で、あなたに巻き込まれたのも事実。いいわ、アルケインに会いに行きましょう」
「よーっし、決まり!」
食堂を出て一旦ピーシャの部屋に戻る。アルケインから借りていた、教員用図書の召喚魔法の冊子を取って、また廊下を進む。木造の校舎に、二人分の足音が小さく響く。
「いままであったこと、全部正直に話すよ。こっちの言うこと信じてもらわないと始まらないもん」
「……ねえ、あなたと出会ってまだ一日半ぐらいだって信じられる?」
「信じらんない! 密度濃すぎだよ。大冒険だったよー」
「突拍子も無い話よね。いきなり異世界や神と言って信じる人がいるかしら」
「私たちが見落としてたことでも先生なら教えてくれるかもだし、下手にはしょったら相談する意味ないよ」
「説明は任せるわ。私は補足しつつ、最後に証拠としてペンタチュークを見せる係。あとは……」
「名前!」
「名前?」
「ソヘイラーだけだとヘンだよ。家名も考えたほうがいいと思うな」
「……盲点だったわ。この地域は名前と家名の組み合わせでいいの? 親の名前を取ったり、出身地を組み入れるような風習はない?」
「遠くの地方だとあるらしいけど、ここは普通に名前と家名だけ」
「じゃあ……マスターのをもらって、マルキスとしましょう」
「ソヘイラー・マルキス。いいと思う!」
「勝手に使ってマスターは怒らないかしら」
「お母さんみたいな人なんでしょ。怒るはずないよー。喜ぶに決まってるってば」
「……そうね。そう思うことにするわ」
ソヘイラーは、愁いを噛み締めるように小さく笑った。
アルケインの研究室の前に到着する。ドアには小さなメモがピンで留めてあった。
『アルムヒンへ出ています。夕方には戻ります。 ランボルト・アルケイン』
「アルムヒン……山の麓の街だったかしら。どうでもいいけれど、アルムヒンとアルケインって似てるわね」
「アッカンベーでもアップップ~でもどうでもいいよー。拍子抜けだよ~~」
「携帯電話も電子メールもない世界……改めて凄いところだわ。帰ってくるまで待ちましょうか」
「街に行こうよ! 案外あっさり会えるかもしれないよ。それにソヘイラーちゃんだって、早く世界のこと知りたいでしょ。街には色んなモノがあるんだからっ」
「お金はいいの?」
「ちょっと遊ぶぐらいならあるよ」
「遊ぶって言ったわね……さっそく目的の順番が入れ替わってる事実は無視して、とりあえず行きましょうか」
「細かいことは気にしなーい」
また部屋に戻り召喚魔法の冊子を置いて、今度はお金を詰めたポーチを肩からかける。ストラップは胸の谷間に通しておくと楽でいい。
「風リンゴって覚えてる?」
「あなたの好物だったかしら」
「にゅふふ。いっぱい食べさせてあげるね!」
「ひとつで結構よ。食べ物が大事とは言ってきたけれど、他にはなにがあるの」
話しながら学校を出た二人は、山の麓へ続く道を歩いていた。
「劇を見るとか」
「なるほど」
「魔法の触媒買ったり」
「魔法使い以外にはガラクタにしか見えないわ」
「服買うとか?」
「いいわね。触覚の演算は複雑で限定的なものしかなかったから、色んな生地のものがあると嬉しいわ」
「でもソヘイラーちゃんのその服似合ってるよ」
山道に沿って立つ木々を透かして注ぐ陽光が、ソヘイラーの白い肌を柔らかく彩っている。それを、黒いワンピースが引き締めることで美しいコントラストが生まれていた。
「ふふふ。なら同じようなものを探して買いましょう。あなたこそ、いつも制服を着ているわね」
「一応校則で決まってるから、って本当は楽なだけなんだよね~。ブラウスもスカートも調整きくし」
「あまりいい理由ではないわね。いくつか見繕ってあげましょう」
「もうパターン読めてるんだからね! 絶対私のことオモチャにするでしょ!」
「以心伝心というものね。喜ばしいわ」
「こんなので友情確かめたくないよぉ……」
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