異端司教のアスクレピオズ

八冷 拯(やつめすくい)

第1章 4月5日

第1話 星空からキミへ



「ありがとうございました〜っ」



 店員のきもちのいい見送りを受けている彼、薬袋みない唯斗はスーパーの特売品を数多の主婦達と競い、その戦利品を手に街の郊外にある自宅へと向かっていた。



『いい?今日こそはいい食材を手に入れて帰ってくるのよ?私は一足先にあなたの家にお邪魔してとりあえずくつろいでおくから』



 ほんの三週間ほど前からか。お節介なタダ飯食いに命令されるがままに赴いていた戦場スーパーも今となっては我が家のようにも思えてきた。


 初めのうちは、それまでに入っていたコンビニとの雰囲気の違いにあたふたしたものだ。



「今日は卵とネギを勝ち取れたぞ。さて、帰って何の料理にするのかが重要となってくる訳だが」



 ホクホクの卵焼きにするか、はたまた長芋も擦ってちょっと豪華な卵かけご飯にするかと、思考を巡らせる。


 ふと、陽の落ちた空に目をやると一本の飛行機雲が走っている。


 三日間降り続いた長雨のおかげで綺麗に澄んだ星空に架かるそれは天の川のようであった。



「はあ〜、こんな星空が拝めるのもオレの日頃の節約生活のおかげなのかもな。おっ、一番星だ」



 ぐんぐんと伸びていく天の川の中にひときわ輝いている、文字通り『一番星』がある。


 平時ならばいつまででも見ていられるような数億年越しの星の輝きなのだが、この時ばかりはそういう訳にもいかなかった。


 唯斗が一番星と捉えたその輝きは少しづつ、でも確実にその輝きと大きさを増していく。


 星の一つがーー落ちて来ているのだ。



「おいおい、これは何の冗談なんだ……そうか、お星様がオレをからかってるんだな。くそっ、エイプリルフールはとっくに過ぎたっつーの」



 脱兎のごとくその場を逃げ出す唯斗。その独り言の間にも一番星はグイグイと地上との距離を詰めていく。



「うおおおおおおおおおお……っこれヤバいんじゃねえの(泣)」



 熱くなる目頭を放置し、地を蹴り飛ばし、腕を振り抜き、ひたすらに駆ける。


 数秒後。


 ドゴオオオオオオオン。今しがた唯斗が走って来た道が星の衝突によってえぐれその破片が辺り一面に飛散する。



「……いっって。はあ、はあ、よっしゃぁ……生きてるぜ」



 衝突と同時に巻き起こった旋風に煽られ走る勢いをそのままに地面に倒れ伏していた唯斗は顔面を強打しつつも何とか立ち上がる。


 辺りにポツンとあった電柱は隕石が直撃したのか奇妙な方向にねじ曲がってしまっている。



「何の前触れもなしに隕石とかマジで神様って何考えてるんだよ」



 突然の超自然的災害に唯斗はやり場のない理不尽さを神様に投げつける。


 手で視界を遮る粉塵を払いのけながら、唯斗は先ほど自分をぺしゃんこにしようとした隕石が創り出したクレーターの中心部へと恐る恐る近づく。


 それは年頃の男子によくある「怖いもの見たさ」によるものだった。


「エイリアンか?未知の鉱石か?」なんて期待を膨らませてのぞく土色の煙の向こう側。衝撃波の中心地から現れたのは……



「女の子……だよな」



 それは全身を土に汚し、身に纏う純白のワンピースは所々焦げ付いていたが、お日様のように輝く金髪を生やしたまぎれもない人間の少女だった。


 先ほどの電柱との衝突の影響からなのか、気を失っているようでピクリとも動かない。



「はぁ…………隕石の次はラピュタですか?オレは今から飛行石を巡る闘いに身を投じなければいけないんですかねぇ?」



 空から女の子。そんな某有名アニメ映画のようなシーンが実現しているのに唯斗は正直ちっとも嬉しくはなかった。


 それは空から降ってくる少女はお姫様抱っこでキャッチできるという儚い妄想が、地面にクレーターを穿うが隕石少女メテオガールによって書き換えられてしまったからだ。


 少女を穴から引き上げるでもなく、立ち去るでもなく。唯斗がただ呆然と立ち尽くしていると少女の薄い瞼がゆっくりと持ち上がった。


 小動物のようにキョロキョロと辺りを見渡すと目の前で棒立ちしている唯斗をジッと見つめて、視線をそらすこと無くよろよろと立ち上がる。


 その不気味さに少しずつ後ずさりを始め、その拍子に買ったばかりの卵を踏み砕いてしまった唯斗にヨロヨロと力なく近づく。


 唯斗はそのゾンビ映画にも似た恐怖に足が止まり、なす術なくシャツの端を掴まれる。


 そんな彼女の乾燥した唇が初めて声を紡ぎ出す。



「…………わかった」


「はい?今なんておっしゃったんですか?」


「怖かったんです!ねぇ分かりますか?怖かったんですよ⁉︎」


「へ?」


「私、あんな高いところから落ちたの初めてで……開くとか言われてたパラシュートは途中で燃えて無くなっちゃうし」


「ちょ、ちょっと待て。一体何の話をしているのか初見のオレにも分かるように説明を…………」


「……そう言われてみれば……私ってなんで今空から落ちてきたんですか?」


「それをオレに訊かれてもなぁ」


「……それも…………そうですよね……………………」



 この問答の限りどうやら少女はこれまでの経緯に関してサッパリ憶えていないようだった。


 辛うじて言語力や自分自身のことは理解しているようだが……


 唯斗はこれ以上ナゾの金髪少女などと関わり合って人生が好転するとはとても思えなかったのでなんとか離脱を図ることにした。



「申し訳ないけど今日のオレはちょい急ぐんだ。てな訳で後はまあ上手いことやって下さいな。それじゃ……」



 できるだけ自然な言い回しで会話を終了させる。


 しかし、くるりと踵を返して改めて自宅への道を辿ろうとした唯斗の足は、おもむろに加えられた怪力によってさらにもう半回転させられた。


 少女は先ほどと変わらぬまま服の裾を掴んでいた。



「あの……私この辺について全然わからなくて……もしよければ案内して頂けませんか」


「げっ……」



 今にも溢れそうな涙をそのつぶらな瞳に浮かばせている少女の頼みを断ることは唯斗の雀の涙ほどしかない良心も流石に痛んだ。(すでに怪力の件は頭から消えていた)



「ダメ…………ですか…………」


 それが最後の一押しとなった。唯斗のなけなしの良心はその他雑多の感情をいとも容易く飲み込んでしまっていた。



「だ、ダメな訳ないだろ!イイぜ、オレがお前を安全な場所にまで連れて行ってやるよ」


「わあ!ありがとうございます。私は、ええと…………シャロン。シャロンと申します」


「オレは薬袋みない唯斗だ。まあ短い付き合いになるとは思うけどよろしくな」


「ミスターユイトですね。こちらこそどうぞよろしくお願い致します」


「ミスターは要らねえよ。唯斗だけでいい」


 シャロンの方から差し出された右手に唯斗も同じく右手で応える。


 唯斗が握ったその手はまるで氷の女王と握手をしているのかと思うくらいに凍てついていた。

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