第37話 最も大事な代償

「あ、あなたが……黒竜、様……なの?」


 震える声で、そう問いかけたのは私の隣にいたスイレンであった。


「うむ、その通りじゃ。ああ、ちなみにこの姿は仮の姿じゃ。本来の姿はお主らの想像通りドラゴンじゃが、その姿はあまり他人に見せたくないのでな。普段からこの姿でおる。まあ、今ではこちらの姿の方が馴染んでおるが」


 そう言って黒竜は近くの岩に座ると、私達を観察するように眺める。

 それは先程までの少女とは感じられる威圧感が全く異なっていた。


「さて、では儂の試練を乗り越えたことで、お主らの望みを叶えてやろう」


「ま、待ってください。試練って一体……?」


 上機嫌に話す黒竜に対し、私は思わず説明を求める。

 すると黒竜は一瞬、驚いたような顔を向け、すぐさま噴き出すように笑う。


「ふふふ、面白いことを言う奴じゃのう。先程のお主とあの竜とのやり取りじゃ。あそこでお主は出会ったばかりの儂と自らの望みを秤にかけて、儂を譲り渡すという選択肢をしなかったであろう? あれこそ、儂が求めた答えじゃ。というのも、あそこで自分のために少女を差し出すような軽い奴ならば、その者が求める願いも代償も儂の奇跡には見合わぬということじゃ」


 そう言って種明かしをしてくれる黒竜に対し、私は文字通り狐に化かされたような感覚を味わっていた。

 つまり、これまでの全ては私を測るための黒竜の試練。

 それにまんまと乗らされていたということであった。


 思わぬ試練の内容に惚けつつも、とりあえず黒竜のおメガネには叶ったようである。

 とは言え、騙されていたことに変わりはなく、どこか釈然としない部分はあったが、向こうにとってそれは愉快な部分であったのか、こちらを興味深そうに覗きながら、その口元には笑みを浮かべていた。


「では、改めてお主の望みを聞こう」


 そう言って、こちらのセリフを待つ黒竜に対し、私は迷うことなくここに来た目的を告げた。


「パパに、魔王につけられた傷を癒してください」


 私が告げたその願いに対し、黒竜は笑みを浮かべて告げる。


「いいじゃろう」


 その答えに私とスイレンは思わず顔を見合わせ、手をつなぎ、その場ではしゃぎ出す。だが、


「じゃが――」


 そんなこちらの歓喜を打ち消すように黒竜が人差し指を一本立てて告げる。


「その奇跡を叶える代償として、お主の『大事なもの』を捧げてもらう」


 それを口にされた途端、私は全身が強張るのを感じた。


「……ええ」


 分かってはいたけれど、その『代償』という言葉に私は強い不安と恐怖を感じずにはいられなかった。

 それは一体、どんな代償なのか?

 やはり、私の命なのか?

 それを想像した途端、私は覚悟していたにも関わらず足が震えているのに気づく。

 だが、ここまで来て、それを撤回することは出来ない。

 私はなんとか震える体を支えながら、次なる黒竜の言葉を待った。


「そうじゃな、では――――」


 しかし、次の瞬間、黒竜から要求された『代償』に対し、私は思わず言葉を失った。


「そんな……!」


 見ると隣にいたスイレンまでもが、その代償の恐ろしさに全身を震えさせていた。

 無論、それは私も同じであり、スイレンと同じ、いやそれ以上に体が震えているのを感じていた。

 そんな私達の様子を黒竜はまるで楽しむかように眺め、問いかけてきた。


「どうするのじゃ? この条件を飲むのならば、魔王の傷を癒そう。もしも、出来ぬというのなら、諦めて今すぐ山を降りるがいい」


 そう言って山のふもとを指す黒竜に対し、しかし私は唇を噛み締め、迷うことなく一歩を踏み出す。


「――いいわ。その条件、飲んであげる」


「ほぉ」


「!? 七海、ダメ! ダメだよ、そんなの!」


 私が黒竜からの提案を受け入れると同時に、隣にいたスイレンが私の裾を掴んで、それを止めようとする。

 見ると、その顔は私以上に悲痛な痛みに耐えるようであり、瞳からは涙がこぼれ始めていた。

 そんなスイレンの姿を見て、私自身胸を痛める感覚を味わう。

 だけど、それでも私はこの場において何が重要なのかを噛み締めるように、スイレンへ、そして自分自身へと言い聞かせる。


「――大丈夫だよ、スイレンちゃん。こんな代償でパパが治るのなら安いもの。私にとって一番大事なのはパパが元気になること。それに比べればこんなの全然大したことじゃないから」


「……七、海……」


 そう言って自らの心に決別するように私はスイレンに告げ、再び目の前の黒竜に向かい合い、それを口にする。


「――やって」


「よかろう」


 そして、それを黒竜もまた受け入れ、彼女が右手を上げると同時に眩い光がこの場を照らし、そこから発生した光は天を貫き、遥か遠くの――魔王城のある場所へと消えていった。


◇   ◇   ◇


「……やはり、この城の守りを固めたのは正解でしたね」


「だな」


 一方、魔王城に残ったイブリスとグレンは城壁の上より、魔王城へと迫る軍勢を前にそう呟いていた。

 その数、まさに地を埋め尽くすほどであり、なによりも厄介なのはそれを率いる勇者にあった。


「ザインガルドの王にして、序列第二位の勇者クラトス」


 その名を呟いた瞬間、イブリスは自らの背筋が凍るのを感じた。


「少し前からザインガルドの勇者に動きがあり、軍を動かしているという話しでしたからね。しかも魔王様が傷つき動けない今、この機を逃すはずがありません」


「へっ、上等じゃねぇか。それくらいじゃねえとこっちも張り合いがないぜ」


 遥か地平を埋め尽くす軍を前にしてもグレンは恐るどころか、その身に武者震いを起こしながら両腕に燃え盛る炎を宿す。


「盛り上がっているところ申し訳ありませんが、あのクラトス相手に勝算はあるのですか?」


「……さあな」


 イブリスからの問いに対し、グレンはいつもとは全く違う冷静な態度でそう呟いた。

 彼を知る人ならば、そのような曖昧な答えをすることに驚いたであろう。

 しかし、それほどにこの地へ侵攻している相手が手ごわいことを意味していた。


「あいつは魔王様ですら認める強敵だからな。正直、オレでも相手するのが精一杯だろうよ。だからま、奴の相手はオレが引き受けるとして、あとの連中は……」


「ええ、わかっています」


 そう言ってイブリスはクラトスの隣に立つ白い羽を生やした天使を、これまでにない形相で睨みつける。


「他は私が相手致します」


◇   ◇   ◇


 一方で軍を率いて魔王軍と対峙するクラトスはその顔を不快に歪ませていた。


「その話は本当なんだろうな? 天使よ」


「はい~。事実ですわ~。今現在、魔王は聖剣の傷によって瀕死の状態です~。彼と魔王軍にトドメを刺すなら今しかありませんわ~」


 あれから転移した天使ラブリアは真っ先に軍を率いて移動をしていたクラトスと合流し、これまでの経緯を彼に話していた。


「まあ、その代償にあなたの弟さんが亡くなったのは残念ですが~」


「フンッ」


 しかし、ラブリアからのそんな訃報に対し、クラトスはくだらないとばかりに鼻を鳴らした。


「あのようなクズが死んだところで私には関係ない。私が興味があるのは魔王のみ。貴様のようなコウモリめいた天使の戯言を間に受けるほど私は単純ではない。奴が本当に生きてるのか、死んでいるのか、それはこの眼で確かめさせてもらう」


「どうぞご自由に~。私も、この機会に魔王軍を一気に殲滅するだけですので~」


 そう言って彼の隣で翼をはためかせ、移動するラズリアに対しクラトスは一瞥だけを送り、そのまま自らの愛刀を抜き、目の前にそびえる魔王城を指す。


「全軍、侵攻開始ー!」


 その宣言と共に、クラトス率いるザインガルドの軍と魔王軍とのかつてない苛烈な戦がここに幕を開けた。

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