第二章 後宮での生活6

 その翌日の朝のことだった。

 パーンという音とともに、わたしの部屋の戸が勢いよく開け放たれた。わたしはシェンインに身支度を手伝ってもらっている最中で、髪がまだ結えていなかった。

 その闖入者はわたしに一直線に向かってきたかと思うと、まだ結えていないわたしの髪の毛をむんずと掴み、思い切り引っ張った。


「きゃあ!」


「この、使用人ふぜいが……!」


 頭が千切れてしまうのではないかというほどの痛みは、その人の憎しみの強さの表れのようでもあった。


「おやめください! 皇太后様!」


 シェンインが悲鳴のような叫び声を上げる。


「やめるものか! この娘、こんな娘がリーシンの妃になど! 絶対にわたしは許さない!」


 痛みの中で見えた皇太后の顔は、鬼のように恐ろしく、わたしは恐怖を覚えた。

 騒ぎを聞きつけた女官たちが部屋の周りに駆けつける足音が聞こえてきたが、相手は皇太后。彼女を力で制することのできる人物は、そこにはいなかった。

 皇太后は、わたしを髪の毛ごと振り払い、床にたたきつけるようにした。

 頭の皮膚がもげそうにじんじんと痛んだが、わたしは怒り狂う皇太后に向かって平伏した。


「皇太后様! お怒りはごもっともでございます! このたびのこと、皇太后様におかれましては、とても承服できかねることと存じております!」


 わたしは必死にそう叫んだ。とにかく、彼女の怒りを鎮めねばならないという一心だった。


「なにをわかったような口を! ならば、なぜ後宮にまだ居座り続けているのか!

 自分の立場がわかっておるのなら、さっさとここから出ていくのが筋というものだろう!」


 きっと彼女の目には、わたしは汚らわしい虫けらのように映っているのだろう。当たり前だ。一国の王母たる皇太后と、わたしとでは、天と地ほどに差がある。こんなふうに同じ空間で過ごすことは、あってはならないことなのだ。


「わかっております。重々承知しております。もちろんそのことは考えておりました。すぐにでもわたしはここから出ていきます!」


 そのわたしの言葉を聞いて、皇太后はようやく少し怒りがおさまったようだった。


「そう。わかっているのなら話は早い。今回のことは、リーシンのとんだ茶番にお前がたまたま選ばれただけなのだ。そのことをよく理解しておくがいい」


 わたしは頭を伏したまま、皇太后の顔を見ることができなかった。


「いいかい。お前が王妃になるなんてことは、夢物語なんだよ。生まれ持った血がわたしたちとは違うんだ。わたしたちとお前が同じ人間だとは思わないことだね」


 冷酷無比なその言葉は、わたしの胸をひやりと冷やした。

 そして、そのときに、なぜかわたしは王リーシンの顔を思い出していた。


 ――こんなに触れられるほどの距離にいても、おれとお前とでは住む世界が違うと?


 そう言ったリーシンの真剣な表情。

 同じ人間なのに、ただ生まれが違うというだけで、差別され、蔑まれる。

 王と自分。

 身分には天と地ほどの距離がある。

 けれど、わたしと二人でいるときのリーシンは、わたしと対等であろうとした。住む世界は同じだと、わたしに教えようとしていた。


「それじゃ、今日明日中にでもここからお前は出ていくんだよ!」


 そんな声が聞こえ、皇太后のものであろう足音が部屋から遠ざかっていった。

 わたしはしばらく伏したまま、動くことができずにいた。


「メイリン様……」


 心配そうなシェンインの声が聞こえる。

 わたしは悔しさなのか悲しさなのかわからない感情に胸を浸し、しばらくその状態のまま泣き崩れていた。

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