第16話:戦い前のひと時
間もなく日が沈もうかという時間、私は森の高い木の枝に座っていた。
別に遊んでいる訳ではなく、ビル並の高さのあるこの木の、この高さまで来てやっと遠目に森へと攻め込もうとする軍勢が見張れるからだ。幸い、ここには見張り台としての足場がきちんとあるし、万が一落ちても下には蔦を編み上げて作ったセーフティネットがあり、私自身の魔法や咲夜が試しも兼ねて作った魔法の道具も合わせればこの高さから落ちても怪我する心配はない。精々、相当どんくさいか運が悪ければ足を挫く、といった程度だろう。
普段は私はここにはいないけれど、今日に限っては見張りを引き受けています。なぜなら……。
「様子はどう?」
「あっ、常葉(とこは)兄さん」
常葉さんが何時の間にか傍へと来ていました。手にしているのは湯気と匂いから紅茶でしょうか?
……紅茶もコーヒーもココアも、そして砂糖も常葉兄さん準備しちゃったんですよね。確かに全部植物原料ですけど、加工まで出来ちゃうとは……。さすがに塩だけはどうにもならなかったみたいですけどね。
「はい、どうぞ。この時間帯は冷えるからね」
「ありがとうございます」
確かに。
時間帯もですが、高い樹木の上というのは……ある程度は木の葉で遮られるといっても風が地上より強めな事もあって冷えます。言われて、自分で思っていたより体が冷えている事に気づいて、少し体を震わせて紅茶に口をつけました。温かいお茶が体にじんわりと染み通ります。
「動きはないか」
そう言って敵陣をどこかほっとした様子で見る常葉兄さん……。ここまでは順調、ティグレさんやカノンさん、そして常葉兄さんの立てた予想通りに動いてる……けど。
「あの、常盤(ときわ)さん」
ちょっと驚いた顔で私を見る常葉にい……いえ、常盤さん。ぐっと力を入れて話を続けます。折角、他の人に邪魔される事ない状況なんだもの。
「えっと、偶には名前を呼ばないと忘れちゃいそうで……」
「そっか、じゃあ僕も摩莉夜ちゃんて呼ぼうか」
常盤さんの笑顔にこくりと頷いた。
なんだかじんわりと心があったかくなる気がした。だから、思い切って聞いてみた。
「怖く、ないんですか?」
ああ、馬鹿な質問をしてる。
この後、常盤さん達は相手に夜襲を仕掛ける。その為の仕込みも十分にしてきた。私が見張りをしているのもその為。本来、見張りをしていたエルフの人達は今晩の夜襲に備えて、休息や仮眠を取り、食事を取らないといけない。
他のエルフの人達も料理を準備したり、私同様見張りを引き受けたりで忙しい。
少数と多数では夜の闇の混乱は少数に有利に働くそうだけど……。
「そうだね……正直に言えば、怖くない」
でも、返って来た答えは予想外の言葉でした。
え。
てっきり怖い、そう返って来ると思っていた。
だって……。
「僕たちは本当の殺し合いの、戦いの場になんて出た事はない、そう言いたいんだろう?」
黙って頷いた。
そう、私達は元の世界ではしょせんは学生で、私達の国は世界で見ても平和な国だった。
戦場なんてものは遠い向こうの世界の話で、現実に身近で起きるのは精々喧嘩ぐらい。VRMMOの発展で戦いは体験出来るようになっても、あれは結局の所ゲーム。敵を倒しても、本物を倒したような生々しい感触はないし、血もエフェクトとして一瞬出現するだけで残ったりしない。ダメージを受けてもHPのバーが減るだけで傷は残らず、敵を倒した後は死体すら残らず、自動的にドロップ品がその場に残るか、或いはアイテムボックスに入るかする。
これで本当の意味で戦いを実感しろというのは無理がある。
あくまでゲーム。それを私はこの世界に来て初めて行った狩りで知る事になった。斬りつければ血が飛び散り、怪我は骨が折れたり、肉が裂けるといった形で残る。ポーションを飲めばHPが回復!で済んだりするような事ではない。命を失った肉体が横たわり、それを解体して初めて肉となり、素材となる。
そんな事を考えていた私に常盤さんは敵陣へと視線を向けたまま口を開いた。
「これは僕とカノン、ティグレさんで話し合って感じた事なんだけど多分、僕らにはゲームでの経験が「本来ならこういう経験を積んでいたはず、」という想定の状態で、貼り付けられてるんだと思う」
だから、僕らは長年部下を用いて統治の経験のある君主であり、幾度も戦場に出た歴戦の将軍という訳だ。だから戦場に出るという事にもそこまで恐怖を感じない。
一方、摩莉夜ちゃん達は『ワールドネイション』で戦場を体験していないから、これが初めての戦場、って事になる。だから戦場というもの自体に対して恐怖を感じている。
そう言われて、呆気に取られて思わず常盤さんの顔を見た。何、それ?
「でも、摩莉夜ちゃん達も同じような事は体験してる」
「えっ?」
「ほら、狩りをしてみた時の事だよ。君達は当り前のように獲物を追跡して、狩って、血抜きをして、皮を剥いだ。……そんな経験何時積んだんだい?」
あ……。
そうだ、私達は確かに獣を仕留めた際、特に同行してくれたエルフの狩人さんから言われずともそれが出来た。
私、翡翠、香香、陽菜。
どこで動物の痕跡を発見して追跡するなんて技術を身に着け、仕留める事に躊躇いを持たず、解体する事が出来たんだろう?
言われるまで、それがおかしな事に気づいていなかった。それだけ今の自分にとっては自然な事だったんだ。
「どこかぎこちない所はあったけれど、特に問題なかった、とは同行してくれたエルフの言葉だけど」
きっと貼り付けられたものだから、ぎこちない所があったんだと思う。
……怖い。
常盤さんの言葉にそう思った。
一体この記憶ってどこから?
体が震え出しそうになった時、常盤さんが口を開いた。
「……きっと世界の修正、そう思う事にしてる」
世界の修正……?
「僕らには統治者としての記憶があり、前線に出た記憶がある。……例え、それがゲームの中のものであってもだ。その記憶がおかしくならないよう不足分を埋めた、そんな所じゃないだろうか?」
……世界を渡る時に、記憶と齟齬(そご)が生じないよう私達の記憶に補整が行われた。そういう事なんでしょうか?
私が考え込んでいる間に常盤さんが立ち上がっていました。……そういえば常盤さんは夜襲の主力の一人でした。長々と話に付き合わせてしまった。
「じゃあ、行ってくる」
「はい。……行ってらっしゃい」
ちゃんと帰って来て下さいね。
そして、おかえりなさい、そう私に言わせてください。
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