冬に夏の約束

 気がつくと、廊下のソファで転寝していた私の体には、コートが掛けられていた。見てみれば、それは櫂君のもので、彼の姿を視線で探すと直ぐ隣のソファでスマホを見ていた。

 廊下は相変わらず人通りも少なく、落ち着いた音楽が静かに流れている。ベランダに出てすっかり冷え切っていた体も手も、眠っている間に少し温もりを取り戻していた。

「櫂君?」

 そっと声をかけると、櫂君がこっちを見て優しく微笑む。

「大丈夫ですか?」

「うん。これ、ありがとう」

 掛けてくれていたコートを差し出し、いつの間にか脱いでいたヒールに足を入れた。

「ねぇ、私、どのくらい寝てた?」

 もしかして、パーティーはお開きになってしまったかな?

 私の呟きにスマホの時刻を確認した櫂君が、「大丈夫ですよ」と立ち上がる。

「菜穂子さんが寝ていたのは、ほんの十五分程度です」

「あ、なんだ。そんなもんなんだ」

 うっかり翌朝、なんてことになっていてもおかしくないくらい、深い眠りだったな。

「よく寝たー」

 うーっと伸びをして呟くと、櫂君が笑う。

 その笑い顔にとても安心している自分がいた。櫂君は、怒っているよりも、やっぱり笑ってくれているほうがいい。

「会場に戻りましょうか」

「うん」

 少し寝たおかげか、頭も体もすっきりしている。櫂君は、再びコートをクロークへと預けに行き、それから二人で会場に向かう。

 扉を開けると賑やかな雰囲気が一気に押し寄せ、ビンゴ大会が盛大な盛り上がりを見せているのがわかった。舞台の方に注目すると、残された景品ボードが目に入る。まだ一等のところだけ、商品が隠されたままになっている。

「最後に、一等が残っているみたいですね」

「なるほど。それでこの盛り上がりなんだ」

 納得してさっき座っていた後ろの席に戻ると、テーブルの上に置かれていたビンゴを知らない社員の人が変わりにやってくれていた。

「あ、ここまで開けておきましたので、どうぞ」

 なんとも気の利くお人だ。どこの課の人だろう?

「ありがとうございます」

 ぺこりと頭を下げて私が受け取ったビンゴカードは、あと一つで揃いそうな状態になっていた。

「ねぇ、見て。次に四が来たらビンゴだよ」

「あ、ホントだ。一等の景品、GETできそうじゃないですか。そしたら、念願の参加賞からの脱却になりますよ」

 喜ばれているのか、からかわれているのか微妙なところだけれど、社長の引く番号に注目する。

「えーっ。三一番。三一番です。どなたか、ビンゴの方いませんか?」

 マイクで番号を告げる社長秘書の声に、櫂君が反応した。

「僕、一つ開きました。次に六番が来たらビンゴです」

「えっ。櫂君もリーチなの?」

 これは負けられない。

「さー、出ました。次の番号は――――」

 ゴクリと唾を飲み込み、社長秘書がマイクで告げる番号を待ちわびる。

 四番、来い。四番、来いっ!

 私が祈るように見ていると、番号が告げられた。

「番号は、六番です。六番でビンゴの方いませんか?」

「はいっ。はい、はい。僕、ビンゴですっ!」

 やたらと張り切って立ち上がり声を上げた櫂君を、私はうらめしぃ目で見るのでした。

 今年も参加賞、脱却ならず……。

 それにしても、櫂君。去年に引き続き、運がありすぎでしょ。できる男は、運も持ってるのかな。

「で? 一等の景品は、何?」

 舞台上から一等の景品が書かれた封筒を手にして戻る櫂君へ、私が不貞腐れたように訊くと、「拗ねないで下さいよ」と笑いながらも内容を教えてくれた。

「えーっと。キャンプセットです」

「キャンプセット? これまた、アウトドアをしない人には、邪魔なだけの代物じゃないのよ」

「ですね」

 私が呆れながら笑うと、櫂君も苦笑いを浮かべている。

「でも、ワンタッチテントとランタンとテーブルに椅子もついてますよ」

 櫂君は満更でもないのか、景品の詳細を見ながら私に嬉しそうに話して聞かせる。

 ついてますよって。そんなの貰っても、保管場所に困るから。大体、今冬ですけど。

「じゃあ櫂君。この寒空の下、キャンプへ行ってらっしゃいな。くれぐれも凍死しないよう、気をつけてね」

 掌を向けて、満面の笑顔で提案すると、「菜穂子さんも、一緒に行きましょうよ」なんて誘ってくる。

 そんな嬉しそうな顔して誘われてもね。誰がこの寒さの中で、キャンプにノリ気になんてなるのよ。

「えーっ、イヤだよ。寒くて死んじゃう」

 自分から振ったのに、私は速攻で冬のキャンプを断った。

「いっぱい着込んでいけば、大丈夫ですよ」

 悪戯な顔を向ける櫂君の仕返しに、私は頬を膨らませる。

「そんなわけないじゃん。絶対に死ぬって。凍死だって。こんな季節にキャンプするなんて、ただの苦行だって。翌朝カチンコチンの死体になって発見されちゃうじゃん」

 身振り手振りで大げさに断ると、櫂君がおかしそうに笑う。

もう、笑い過ぎ。

「じゃあ、夏になったら行きましょうよ。ね」

「夏かー。だったらいいかな」

「約束ですよ」

 子供みたいな顔をして誘う櫂君は、「楽しみだなー」なんてワクワクキラキラした表情をしている。 

 夏のキャンプかー。まだまだ、遠いなぁ。

 けど、櫂君とキャンプに行ったら、きっと楽しいだろうな。

 今から夏の照り付ける太陽や二人でバーベキューをする様子を想像して、私の心もウキウキとしていた。

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