まさかのお隣さん

「煮物、持ってくかい?」

「うん。ありがと」

 帰り際、お祖母ちゃんからタッパーに詰めた煮物をたんまりと貰い、私は自宅マンションへと向かいながら、いい祖母孝行ができた、と一人ご満悦。

 お腹も満たされ気分もよくなり、私は自宅マンションへ戻ると、ふかふかの布団の中でもふもふとしながら深い眠りについたのだ。

 そうして、翌朝の日曜日。ドタバタと騒がしい外の気配に目が覚める。

「もうっ。静かにしてーー」

 ガバリとベッドの上で起き上がりながら、スマホで時間を確認した。

 もぉ、まだお昼前じゃない。

 休日には、いつまでものんびりと布団の中にいたい私は、眠りを邪魔されて少しばかり不機嫌だ。

 渡り廊下を行き交う足音や人の話し声が気になり、私は外の様子を窺うために玄関へと向かう。

 部屋履きをひっかけリビングから廊下へ出たところで、既視感を覚える。

 ん? デジャヴか?

 自分の行動を振り返り、前にもこんなことあったよね、とぽりぽり頭をかいた。

 前回と同じようにうすーくドアを開けて外の様子を伺ってみれば、引越し業者の人がお隣に出たり入ったり。どうやら、とうとう新しい入居者が越してきたようだ。

 あれ? けど昨日のお祖母ちゃんの話しでは、来週末ではなかったか? なんともいい加減な情報元だわ。

 櫂君。残念だけど、キャンセル待ちは無理だったよ。

 忙しなく荷物を運ぶ業者さんを見ながら、がっくりと項垂れる櫂君の姿を思い浮かべて、週明けにランチでもおごってあげようかな、なんて思ってみる。

 外の様子を、いつまでも覗いていても仕方ないし。覗き見しているお隣さんなんて、気持ち悪がられても困るので、私は早々に首を引っ込めて洗面所へ向かった。

 歯を磨きながら鏡の前で、どんな人が越してきたんだろうと勝手に想像を膨らませる。

 私と同じOLさんかな? でも、お祖母ちゃんの話だと家賃はそれなりにするらしいから、普通のOLさんじゃあ無理か。

 じゃあ、稼ぎのいいサラリーマン? となると、結構年配? おっさんで一人暮らしって、う~ん。

 あ、でも。若くても、出世している人もいるしね。うんうん。

 それとも、新婚さん? 二人で暮らすには、ちょっと手狭な気もするけれど。狭いほうが親密度もアップ? むふふ。

 勝手にえっちい妄想を繰り広げていると、「ご苦労様でしたー」というわりと若い男性の声が聞こえて来た。

 おっと。若い男の声ではないですか。男前かしら?

 思わず、ワクワクしてしまう。

 想像通りの男前が万が一にもお隣さんだった場合には、こんな起きたての貧相な素顔で挨拶なんてことになっても困るので、即効で化粧を施し一番のお気に入り服に着替えてみた。

 櫂君、私にも春が来るかもしれないよ。ひゃひゃひゃ。

 偶然のように外へ出て、何気なーくお隣さんのドアの前を通り過ぎてみたのだけれど、住民は既に部屋の中に引っ込んでしまったようで見当たらない。

 ちっ。タイミングを誤ったわ。

 仕方なくそのまま下まで降りて、お祖母ちゃんのコンビニに行ってから戻ることにした。


 店中に入ると、もう随分とここのバイトを長く続けてくれている、大学生の翔君がシフトで入っていた。

「あ、菜穂子さん。こんちはー」

 笑顔で迎えられると、気分がいい。

「こんにちは、翔君」

 私がカゴを手にすると、他にお客がいないからか、カウンターを出てついて回る。

「売上協力ですか?」

「うん。何か珍しい商品、入荷してない?」

「ああ。カップ麺ならありますよ」

 一人暮らしにカップ麺とは、まさにまさじゃないですかい。こういうの買っちゃうと、本当に何にも作らなくなっちゃうんだよねぇ。

 とかいい訳してみても、正直料理するのは面倒なので買っちゃうのだ。

 カップ麺の棚へ行き、新商品と他にもいくつかカゴへ入れる。

「それから、ビールとー、お菓子」

 冷蔵庫から缶ビールを三本取り出し入れてから、やっぱりもう一本と、重さに耐えつつお菓子も入れる。

「相変わらず、ジャンキーですね」

「一人暮らしなんて、そんなもんでしょ」

 レジにカゴを置くと、私の言葉に翔君が笑っている。

「そんことないですって。ちゃんと自炊している女性もいますって」

 翔君は、ピッピッと軽快に音を鳴らして商品をポスへ通し、レジ袋へ手際よく詰め込んでいく。

「女に夢をもっちゃーいけないよ」

 私は、ケタケタと声を上げる。

「俺の夢を粉々にしないでくださいよ」

 レジ打ちしながら情けなく笑っている翔君は、大学二年生。一年生の頃からからずっとここのバイトをしているから、もう一年以上経つベテランさんだ。

 色々と気の利くいい子なんだけど、なかなか彼女ができなくて、女の人に多大なる夢を抱いているんだよね。

「女に期待しちゃいかんのよぉ~」

 ヒラヒラと翔君に手を振り店を出て、今度こそお隣さんを確認したいとウキウキしながらマンションへ戻った。

 コンビニ袋をブラブラ振り回し、どんな男前がお隣さんなんだろう。と想像してニヤニヤしてしまう。

 妄想を繰り広げながらエレベーターで三階に着くと、畳んだダンボールを持った男性が丁度部屋から出てきた。

 おっと。ナイスタイミング。

 ニヤニヤした顔を引き締め、ススッと慎ましやかに歩いていく。相手もこっちへ向かって一歩踏み出した。

 すると――――……。

「あっ……」

「えっ!?」

 私たちは、同時に驚きの声を上げた。しかし、その驚きの内容は、片や驚愕で片や驚嘆だった。

 相手は、恐ろしいものでも見るみたいに私を見て驚き。

 私は、余りの運命に信じられないほどの嬉しさに驚いたのだ。

 けれど私の運命は、ものの数秒で木っ端微塵に砕かれる。

「お前……、ストーカー女。こんなところにまで……」

「えっ?! なんですかそれ……」

「電車で一緒になるたびに、こっちをちらちら観察してただろ。気づいてないとでも思ったのか? それに、この前は会社にまで着いてきてたじゃないか。完璧、ストーカーだろう!」

「ちっ。違いますよ。あ……いや、ちょっと違うけど凄く違うわけでも……って。いやいや、違いますよ。うん」

「何がどう違うんだよ。しまいには、引っ越し先にまでついてくるなんて。警察呼ぶぞ!」

「ちょっ、ちょっと待って。それこそ、違いますっ。ここ、元々は私が随分前から住んでるんですから。追いかけてきたわけじゃありませんっ。それに、このマンションの持ち主、私のお祖母ちゃんですっ」

 何とかわかってもらおうと、機関銃のごとく言い返すと、やっとアツヒロさんの勢いも治まりだし。

「お祖母ちゃん……?」

「そうです。だから、けっして追いかけてきたわけではなくてですね。だから、ストーカーだなんてそんなこと言わないでください……」

 好きな人にストーカー呼ばわりされるなんて、最悪だよ……。

 泣きそうになりながら訴えかけているそこへ、丁度お祖母ちゃんが現れた。

「あれあれ。何の騒ぎだい」

 のんきに言いながら、お祖母ちゃんがやってくる。

「あら、こんにちは。三〇四に越してきたー、神崎篤紘さんですか? 大家の川原です」

「あ、どうも。お世話になります」

 フルネームは、カンザキアツヒロっていうんだ。こんな時だというのに、恋心は冷静だ。

「うちの菜穂子が、何かご迷惑をおかけしているようで、申し訳ございませんねぇ」

「あ、いえ。そんな、別に……」

 大家を目の前にして、さすがに孫をストーカー呼ばわりはできないらしい。

「何かありましたら、少し先に住んでおりますので、ご連絡くださいね」

 お祖母ちゃんは、深々と頭を下げると、有無も言わさず私の手を引いてエレベーターへ向かう。

 ドアが閉まるまで、カンザキアツヒロさんは、私たちのことを見ていたけれど。お祖母ちゃんは、にこやかな笑顔を崩さずに、エレベーターの中からお辞儀をしていた。

「まったく、菜穂子は。一体、何をやっているんだい。ストーカーなんて」

 エレベーターのドアが閉まりきるなり、叱られた。

「違うよ、お祖母ちゃん。ストーカーなんてそんな大それたこと、ちょっとだけだよ」

 縋るように言うと、「ちょっとだけってなんだいっ」とお尻をペチンとひっぱたかれた。

 昔から、私が悪さをすると、お祖母ちゃんはこうやって私のお尻を引っぱたいていた。なんだか久しぶりだ。

 感慨に浸りつつも、私は彼に出会った経緯や何かをお祖母ちゃんに説明した。

「落し物を拾ったまではよかったがねぇ、会社まで着いていったのはいただけないね。恋心は否定しないが、今のご時勢、ちょっとしたことで直ぐに警察沙汰だからね、気を引き締めて暮らしなさいよ」

「はーい」

「返事は、はいっ」

「はいっ」

 櫂君と同じように注意され、私は気を引き締める心積もりで返事をした。

「このあとになってもお隣さんから苦情が来るようなことがあれば、菜穂子には別のマンションへ引越ししてもらわなければならないからね。ちゃんとしなさいよ」

 そ、それはいや。絶対にイヤ。

 だって、運命的にもお隣さんになったというのに、私が遠くへお引越しなんて、まるでロミオとジュリエットじゃない。

 ん? ちょっと違うか。

 とにもかくにも、私はしゃきっともう一度返事をしてから思う。

「そういえばさ。お祖母ちゃん、凄くグッドタイミングで神様かと思うほどの助け方だったけど、私の危険信号でも察知したの?」

「おバカだねぇ。偶然ですよ、偶然。コンビニに顔を出したら、さっき菜穂子が来たって言うから、昨日のタッパーでも貰って帰ろうかね。と思ったのよ。それで来てみれば、あの有様だ」

 有様だなんて、そんな。

 嘆かわしいと首を振るお祖母ちゃんに、タッパーは今度の時に持って行くから。と大通りの先まで見送った。

 くれぐれもおかしな行動は起こすんじゃないよ。と釘を刺されたのは言うまでもない。

 とは言うものの。真隣にあの愛しの彼がこれからずっと住むとなれば、おとなしくもしていられないのが乙女心というものなのです。

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