魔王の勇者

林 木森(はやし きもり)

第1話 勇者召喚

 水の跳ねる音、冷たいタイルが身体を冷やし右袖が赤い水を吸う。すでに身体から力が抜け汚れた果物ナイフが浴槽外に落ちている。


 死んだな。


 他人事のように私は乾いた涙跡の痒さと響くような痛みが身体中に流れるのを感じながら思った。


 薄暗がりの風呂場は肌寒かったが、気にならないくらい感覚が無くなっていた。


 透明だった水はすでに底が見えない。


 時間が止まったかのような静寂な空間。


 浴槽から音がなる。冷えきった腕よりもさらに冷たい手の感触。


「死にかけだね」


 幼い子供の声、下を向いた顔は上がることなく床を見るしかない。


 水気を吸った服の音がしてパシャ、パシャ。と足音が前から真後ろに回る。


「私なんて、悲しむ人間なんていないって思ってない? 両親も親戚も友達も悲しまないと思ってる?」


 冷たい両手が肩にかかる。感覚がなくなったと思っていたのに、更なる寒気を感じ身を震わす。歯の音がカタカタと


 生きてる。まだ生きている。


 だが、熱を失った身体は動いてくれない。


 顔の横になにかが近づき耳元に息が吹き掛けられた。


「あなたは悲しまれない。何故か」


 右手が顎に当てられ顔を起こされる。


 蛇口と一緒に付いている鏡に写る自分の顔、特徴もない平凡な顔。それよりも目がいったのは顔の横にある角の生えた子供の顔。無邪気な笑みを浮かべる。


「あなたはぼくの所有物になるから、今までの人生含めて全て」


 右腕が引っ張られる。抗うことができず、浴槽に飲み込まれる。


「じゃ、アッチであおう」


 浴槽には水が抜かれ、そこには何もなくなっている。


 汚れのなナイフが窓から入る光が当たり輝いていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る