第49話 醜男の意地

 ルシエドさまがお留守の今、私が責任をもって店を守らねばならぬ――そう自らに言い聞かせ、私リエル・クザンは日々店に立っていた。

 幸いなことに元娼婦の年長者たちがよく心得ており、イクティノーラどのが毎日手伝ってくださることもあって営業についてはこれといった問題は今のところ生じていない。

 ただ、この日私がひとつだけ気になったのは、私を睨むように見据えてくる一人の客の存在だった。

 歳のころは三十前後だろうか、一見して冒険者とわかるその男の顔に見覚えはない。ただ、その目つきには嫌というほど覚えがあった。


 ……嫉妬だ。


 この町に辿り着いてから今までも、それ以前も、ああいう目で私を見てくる人間は数え出せばきりがない。

 幼少のころより私はずっと、憎しみと一種の侮蔑を込めたあの嫉妬の視線に晒され続けてきたのだ。

 いちいち気にしていては身がもたないので、私はすぐに忘れることにした。

 ……ところが翌日、思いもよらぬ形でその客と関わらざるを得なくなってしまった。



 夜はレストランと宿両方の客が増えるので、いつでもホールの手伝いができるようこの時間帯は店の入り口横にある宿の受付に入るようにしている。それゆえに、外の騒ぎもすぐに察知することができる。

 どうやら男女が言い合っているようなので街娼と客が値段のことで揉めているのかと思い、私は外に出た。

 店のそばで客引きすることは禁じてあるが、もし面倒な客に絡まれたときはこの店のほうへ逃げてくるよういってある。今回もそれだろう。

「どうしましたか?」

 声をかけると案の定、女性は私に飛びついてきた。

「あん、リエルさん、助けてくださいよ、この人がしつこくって!」

「どういった事情ですか」

 尋ねながら男のほうを見ると、昨日私を睨んでいた男だった。

 男は答えず、また睨んできた。それも、昨日よりよほど強烈な眼光で。

「娼婦だってその気にならないときぐらいあるのに、もうしつこくって!」

「はっきりいったらどうだ」

 男が口を開いた。

 その声は明らかに怒りに震えていた。

「おれのツラが醜くて金をもらっても抱かれたくねえってことだろ!」

 私はその声に、悲壮なまでの真実が込められているように思えた。

 女性は少し怯んだように声を詰まらせ、否定も肯定もしない。

 おそらく肯定なのだろう。

 確かに特徴的な顔ではある。

 鼻が低く潰れていて唇は厚ぼったく膨れており、えらが張り両目はやけに左右離れていて血走っている。冒険者だけあって肉付きは立派だが、背が低く今私に抱きついている女性よりも低いかもしれない。

 こういった容姿を、一般的には醜いと呼ぶのだろう。

 しかし私には、それがよく理解できない。

 かつて、ルシエドさまにいわれたことがある。


「おまえは自分の顔が嫌いすぎて、一般的な美的感覚が養われなかったんだろうな、もったいない」


 正直、私は得をしたと思っている。

 なぜなら、見た目で人を判断せずに済むから。

 この世の中、人を見た目で決めつけてかかる輩のなんと多いことか……

「さぞ幸運なことだろうよ、おれみてえなバケモンから逃げて飛び込んだ先がそんなハンサムならよう! 気に入らねえ……!」

 どうやら、矛先が私に向いたらしい。

「あんた、強いんだってなあ……昨日も見かけたぜ、女どもにきゃあきゃあいわれて囲まれてよう、そのうえたった五人でこの町を落としちまうぐらい強いんだってなあ」

「あなたは酔っている。今日のことは忘れますから宿にお帰りなさい」

「しかもキザな台詞まで吐きやがる。あいにく素面だよ、もう我慢ならねえ!」

 素面なのは見ればわかるが、男の動きは思いのほか速かった。制止も間に合わぬ速さで剣を抜いたのだ。

「もう我慢ならねえ! 我慢なんぞするものか! 勝負だ、色男!」

 私は断れなかった。

 その男は、泣いていたのだ……



 ……もう一時間にはなろうか。

 人通りの少ない時間とはいえ店の前で、もう一時間もこの男の相手をしている。

「クソがあッ!」

 乱暴な言葉とは裏腹に、男の剣は冴えていた。おそらくドルグどのと同等か、あるいはそれ以上の腕前だろう。冒険者として一人で生き抜くには充分だと思われる。

 だがそれ以上に驚くべきは、彼の根性だった。

 勝負はとっくについているのだ。

 私はもう何度も剣の腹で彼を打ちのめしている。しかし彼はそのたびに起き上がり、決して剣を納めようとはしない。

「まだだ、まだやれるぞ、どうしたオラアッ!」

 まるで斬ってくれといわんばかりに隙を晒して立ち上がる。

 間違いない。

 彼は、死ぬ気なのだ。

 理由は明白だ。

 醜い容姿を蔑まれ、その屈辱に耐えて生きることに疲れてしまったのだろう。

 彼はいったい、今までどのような人生を歩んできたのだろうか……

 私には彼が、屈辱にまみれて生きねばならないような人間には見えない。

 彼には意地がある。

 死を決意したとて易々と斬られてなるものかと。決闘相手に死を乞うてなるものかと。

 死ぬなら全力を出し切って死んでやると。

 彼は本来、高潔な人間のはずだ。

 性根の捻じ曲がった人間が、このような死に方を選ぶはずがない。

「どうした色男! ハンサムが嫉妬に駆られたブサイク野郎を成敗すりゃあ絵になるだろうが!」

 私を怒らせようと煽り立てる。

「てめえのような恵まれたヤツはおれのようなのを踏みつけて笑って生きてくモンだろうが!」

 ……これは少し、腹に据えかねた。

「生まれながらに恵まれたハンサムさんにゃあわかるわけねえもんなあ、惨めな人間のことなんてよう!」

 人は誰しも、触れられたくない領域があるものだ。

 きっと私や先ほどの女性は、彼のその部分に触れてしまったのだろう。

 しかし彼もまた、私のその領域に踏み込んでしまった。

 だから私は、一瞬で間を詰めた。

 これ以上、彼に自分自身を貶めさせたくはない。

 剣を気でまとい、鳩尾を突く。

 気が人体急所を突き抜け、一瞬にして彼の身の自由と意識を奪い去った。

「店を頼みます」

 ずっと見守っておられたイクティノーラどのに告げ、私は彼をピリムどのの家に運んだ。

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