第24話 愛の巣は死の香り――それと黄金水

 念のためにいっとくが、おれとクレアの寝室は別だ。

 まあ、しょっちゅう潜り込んできてるから分けなくてもよかったのかもしれないが、本当に夫婦というわけじゃないし恋人というわけでもないから、おれとしてはちゃんと区別しておきたい。

 リエルとヒューレがブチ切れたってのもある。

 そんでもって、おれの部屋は五階の一番奥にある一番広い部屋なんだが、これがまあ、貴族屋敷風と豪華でな。以前の経営者の趣味とは思えないから、きっと商工会が上客用の客室としてあつらえたんだろう。そのくせおれの部屋以外の家具はたいして揃ってなかったんで市内の店で購入するなり注文するなりして整えてある。

 もうあれから三ヶ月近く経ったから身内は全員が五階の個室を拠点とする生活を営んでる。各階に簡易的だが厨房がついてるってのもいいね。

 そういう環境だから、おれとしては非常に快適な暮らしに満足しつつ、今日の仕事を終えてベッドに潜り込んだわけだ。

 朝から晩までやることは多いからベッドに入ればすぐに眠れる。

 しかし、その日は途中で目を覚ましてしまった。


 不意の目覚めにも関わらず頭がしっかり冴えていることから、緊急事態であることを瞬時に理解した。

 こういう感覚のときは必ず危険が迫っているのだということを、経験で知っている。

 だから枕の下に置いてあるショートソードを取ろうと、左手を伸ばそうと思った。

 しかしその直前、首になにかが触れたような気がした瞬間、おれはシーツを吹き飛ばしてベッドを飛び降りていた。

 剣を取っている暇はなかった。

 なによりもまず命を確保しなくてはならなかった。

 やりやがる、おれになんの気配も悟らせずいきなり刺しにきやがるとは!

 しかし、どこだ?

 いくら灯りのない夜の室内だからといっても、もともと闇の中にいたんだから目は慣れてる。

 まさかベッドの下に隠れたんじゃないだろうな、そんな馬鹿にここまで忍び込まれたとは思いたくないぞ。

 おれは掌に火を灯し、それを部屋の四隅に飛ばしてあたりを見回す。

 ……いない。

 まさか本当にベッドの下か天蓋の上なんじゃないだろうな。

 しかし、そんな間抜けな予想は背筋に走った悪寒によって消し飛ばされた。


 背後!


 壁を背にしていたのに、その背後に違和感が!

 そう感じたときにはもう前方に跳んでいた。

 ベッドを弾むように転がり、そのときうしろの壁に黒ずくめの刺客の姿が見えて、消えた。

 なんだありゃあ?

 闇と同化した?

 いや、影に呑み込まれた?

 わからん。

 わからんがやつは、言葉以上の意味で闇にまぎれることができるらしい。

 探しても見つからんわけだ。

 こいつは厄介な能力だぞ。

 とりあえず闇が出入り口なら背後に影を作るわけにはいかない。四隅に飛ばした炎をおれの背にもってきて、影が前方に伸びるよう調節する。

 その間にそばにあった机に手を伸ばし、引き出しからないよりましなナイフを取り出して身構えた。


 ……で、どうすりゃいいんだ?

 もう不意打ちは受けないはず。

 やつが出てこれるのはおれの視界の中だけ。

 つまり、正面からやり合うしかない。

 この状態は暗殺者にとっては失敗に等しいはずだが、まだいるのか?

 それとももう逃げたのか?

 仲間を呼んでもいいが、ドアが開いた瞬間逃げられても困るしな。


 って、そもそもあいつら生きてるのか……?

 クレアはまだ起きてるだろうし寝ていてもあいつがやられるとは思えないが、ゼルーグたちはちょっと心配だ。

 暗殺者がおれだけを狙っていることを願うしかない。


 ん?

 そうか、狙いを絞ればいいのか。

 そこに気づいたおれは次々炎を生み出し、室内に浮かべていく。

 極力壁際に配置し、影が部屋の中央に集まるようにすれば、やつの出入り口はそこしかなくなるわけで、出てきた瞬間はこっちが断然有利だ。

 やつもそれを察したらしい。

 床に落ちるベッドの影からにゅっと生えてきた。

 まだいてくれたことに一安心。

 そいつは本当に全身を黒で統一していて、体のラインから女であることはわかったが、それ以外の情報はなにも汲み取れない無個性の塊だった。

 能力といい、皆無な気配といい、身のこなしといい、間違いなく一流のプロだな。

 問題はどこから送り込まれてきたかだが、それはあとでいいだろう。

 姿を現したならやりようはある。

 おれはふつふつと湧き上がるやる気を両手に宿し、変化した左腕でやつの足元を薙ぎ払った。

 もちろん接近はしない。ゼルーグほどじゃないが気術を使っての遠距離攻撃だ。

 やつは案の定跳び上がってそれをよけた。

 闇――というより、影に潜り込む能力であるなら宙に浮かせるのが得策だ。

 おれは既に振りかぶっていたナイフを空中のやつ目がけて投げつけた。

 さすがに刺さりはしないが、やつは自分のナイフでそれを弾き、あとは着地することしかできない。

 そこをおれが見逃すはずがない。

 一瞬だけ殺意という名の狼で全身をまとい、やつの首に手を伸ばす。

 やつはナイフで払おうとするが、そんなもので防げるはずもなく、きっちり掴み上げてやった。

 あとは気絶させれば捕獲完了――


 だったのだが、やつはまたもや姿を消してしまった!

 おれの手の中で!

 能力を読み違えたのかと一瞬焦ったが、どうやら違ったらしい。

 やつを掴んだことでおれの腕の影がやつの体にかかっていたのだ。

 なんとも厄介な能力だ。これじゃあふん縛ったところでまったく意味をなさない。影ができない状況なんて作れるはずがないんだからな。

 どうしようか思案していると部屋の外が慌ただしくなり、おれは咄嗟にドアを塞いだ。

「ルシエドさま、いかがなされましたか!?」

 よかった、全員生きてたみたいだ。

「暗殺者だ、逃げられたくないから入るな。やつは影の中に潜り込めるからそっちも気をつけろ」

 もっとも、密室だろうと影が室外にもあったら移動できる、なんていうならとっくに逃げてるだろうけどな。

 もしそうなら非常にまずい。

 捕えるのがほぼ不可能な能力である以上、そして事前に襲撃を察知することも侵入を防ぐことも不可能な能力である以上、この場で確実に殺さなければいつまでも狙われ続けることになっちまう。

 もしまだいて、姿を現したら、そのときは全力をあげて殺しにかからなければならない。

「生意気ね」

 真後ろで、クレアの不機嫌そうな声がした。

 と思ったら、おれはドアごと吹っ飛ばされてベッドに逆戻りになっていた。

「なにしやがる!」

 叫んだ瞬間、ぞっとした。

 初めて遭遇したときのように、全身と思考を硬直させるような殺気を放って、クレアは怒りを顕にしていた。

 そして室内を自分の血液と魔力を混ぜたあの赤いオーラで塗り潰していく。

 いや、これはただのオーラじゃない。

 魔力を物質化した、膜だ。

 その膜がみるみるうちにおれの豪華な部屋を真っ赤に染め上げていっているんだ。


 あれ?

 あいつ、まだいるんなら詰みじゃねえか?

 この赤い膜が室内に行き届いたら、膜と壁や床との間には影がなくなるぞ?

 なるほど、こういうやりかたがあったか。

 おれにはできねえけどな!

 果たして、やつは最後に残った天井の隅から落ちてきた。

 しかも地面に接触する前にクレアの血の槍が飛んで、腹を貫通させていた。

 致命傷を受けてなお呻き声すら上げないのはさすがだな。

「お陰で助かったぜ、クレア」

「私の愛しい愛しいあなたを狙うやつは全員ブチ殺してあげるから、いつでも呼んでね」

「それはともかく、一応訊いておこう。誰に雇われた?」

 瀕死のそいつは覆面の奥で光を失いかけている緑の瞳をおれに向けることもなく、閉じた。

「さすがに喋らんか。心当たりが多すぎて絞るのは苦労しそうだな」

「あら、だったら簡単よ」

「拷問なんて効かないぞ?」

「もっとイイことよ」

 そういって、クレアは刺客の首に噛みついた。

「あっ」

 そうか。

 眷属にしちまえばいいのか。

「ひぎゅうッ!?」

 刺客は初めて口を開き、おれの耳に意外と可愛い声を届けた。けっこう若そうだ。

 いったいなにが起こっているのかおれにはわからんが、そいつはびくんびくんと体を揺らし、完全に開き切った瞳孔でどこでもない宙を見据えている。

 そしてクレアの口が離れ血の槍も引っ込むとぺたんと座り込み、腹の穴から煙を上げ始めた。

眷属ロウアーって便利なのよね。ハイアーには絶対逆らえないの」

 ホント、眷属化されなくてよかった……

「眷属化するときって気持ちよくなるか苦痛を覚えるかのどっちかなんだけど、この子は前者だったみたい。なかなか見込みがあるわ。さあ、喋りなさい。誰に命じられたの?」

「あぐっ、ああぅ……ラジェル商会のっ……頭取……ひぎゅッ」

 ラジェル商会か。商工会の背後にいた、南隣のシェラン王国を拠点とする大商会だな。主に金融を生業として近隣諸国とも手広くやっているが、裏では別のところとつるんで人身売買で大儲けしてるとかいう……

 よかった、故郷からじゃなくて。

「狙いはおれだけか? いつから探っていた?」

「ぐううぅ……!」

「彼にも絶対服従よ」

「はぎゅッ! ぁい……狙いはルシエド・ウルフィス一人……半月前から……」

「そんなに前から……」

 色んなところから探りが入っていること自体には気づいて泳がせていたが、こいつに半月も張りつかれていたことには今の今まで気づかなかった。本当に恐ろしい能力だ……

「あッ、あッ、あッ……!?」

 刺客は座ったまま激しく痙攣し始めた。

「お、おい、大丈夫なのか?」

「大丈夫よ、すぐに馴染むわ。ただ、あまりの気持ちよさに全身が弛緩して失禁しちゃうかもね」

「勘弁してくれよ……」

 クレアの膜の上でなら一向に構わないが、もう室内はいつもどおりの内装に戻ってしまってる。

「そういえばあなた、名前は?」

「ウィラっ……グルナイ……あッ、あああッ……!?」

 そうしてウィラなる暗殺者は、標的たるおれの部屋の中で海老反りになってひっくり返り、大股をかっ広げたまま見事に撒き散らしてくれたのだった……


 くそう、お気に入りの絨毯が!

 こういうのは取り換えるにしても業者を呼ぶんだぞ!

 いったいなにをやらかしたのかと勘繰られるじゃねえか!


 ラジェル商会、許しまじ。

 逆にこいつを送り込んで皆殺しにしてやる……

 ふはははは……

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る