第17話 とある受付おやじの華麗なる出世街道

 ……私はドミ・タンバル。バリザード市の商業ギルドの受付だ。

 ……受付、だった。

 いや、そもそもそれ以前は副ギルド長だったんだ。


 本来ギルドには格付けがある。

 この町で例えるなら、商工会はすべてのギルドを統括する最上位組織の大ギルド。

 その下に商業、手工業、貿易、金融、医療などの中ギルドがあり、大工ギルドやら製パンギルドなどは小ギルドとなってそれぞれ商業や手工業の中ギルドに属する。

 都市の規模によっては小ギルドがなくすべて中ギルドだけで運営されていたりもするし、そもそも大ギルドなんてその国を代表する大都市にしか普通はない。

 町の規模を考えればバリザードは中小ギルドはそれなりにあっても大ギルドなんてあるはずのない町だが、ここは領主の手すら入らないかなり特殊な町で、商工会という絶対的な支配者が絶対的な支配を行っていたから、格付けはきちんとなされていた。

 つまり、商工会さえ考えなければ中ギルドが実際の最上位で、私はそこの副長だったのだ。

 ところが、前のギルド長が商工会と年々反りが合わなくなっていき、直接的な制裁を受ける前に家族ともども姿を消してしまったのが、私の運のつき。

 私が繰り上がるのかと思ったら新しく商工会からシャバンという男が派遣され、こいつが前ギルド長と親しかったからという理由で一方的に私を毛嫌いし、受付にまで降格されてしまった……


 当時私は五三歳だったんだぞ。もう充分長になっていい年齢だし、実績もあった。こんな町に生まれついてしまったんだからと商工会の支配もそれなりには受け入れ、それなりに貢献してきた。

 家族だっている。妻と、娘は嫁いでさっさと町を出ていったが、貿易ギルドでこつこつ働く息子もいて、その息子にも妻子がある。

 ただでさえ商工会にむしり取られて満足のいく生活なんかできないというのに、この歳で一番下っ端の受付だと!


 最初はむしろ見返してやろうと奮起した。年季が違うんだ、そこらの若造よりよほど手早く正確に仕事ができる。

 実際、できた。

 だが、昇格はしなかった。

 シャバンに嫌われていたからだ。

 どんなに頑張っても、貢献しても、私の地位は上がらなかった。

 次第にやる気も失せた。

 頭も禿げてきた。

 こんな馬鹿なことがあるかと思っていても口には出せない。酒の勢いを借りようものなら次の朝を迎えることはできなくなるだろう。

 ここは、そういう町だ。


 そんなある日、いかにも金をもっていそうな若夫婦が店を出したいとやってきた。旦那はハンサムだし嫁のほうはもう、見たことがないくらいのべっぴんで、一瞬家内の顔を忘れそうになってしまったほどだ。血色がよくないのが気になったが、そこは深入りしていい領域じゃないし、私はいわれるままに資料を用意した。

 で、その客はシャバンに奪われ、あっという間に商談が進んでいく。

 ちらっと話を聞いていたが、どうやらあの若旦那、いいのは顔だけでまるで商売には向かないボンボンだね。こりゃまたシャバンを喜ばせるだけの哀れなカモだと思ったよ。


 ところがだ。

 違ったんだ。

 カモはシャバンのほうだったんだ。

 購入したばかりの店舗に火をつけられ、用心棒たちにがっちり囲まれて商工会事務所に入っていく彼を、たまたま泊りがけで仕事を続けていた私は、見た。

 すぐに騒がしくなって何事かと廊下に出てみたら……

 そこには、怪物がいた。

 いや、あの若旦那なんだ。

 ただ、両腕がどう見てもモンスターで、笑いながら用心棒たちを挽き肉にしていった。

 私は怖くてその場でぶるぶる震えることしかできなかった。

 そして気がついたときには、燃え盛る建物を外から眺めていた。


 それから少しして、ようやく私は事態の推移を理解した。

 一応は私も関わっていたし、現場を見ているし、町では彼らと商工会の残党が殺し合いをしていたから、そりゃ馬鹿でもわかる話だ。

 ようするに彼らは、この町を乗っ取りたかったのだ。それも力尽くで。

 私が一番に考えたことは、家族を連れて前のギルド長のように逃げることだった。

 妻と息子夫婦もそうしたほうがいいのかと納得しかけていた。

 そこに、今度はどえらい美男子が現れた。


「あなたは以前、商業ギルドの副長をなさっていたと伺いました。わが主は今優秀な事務員を求めておいでです。是非とも力をお貸しいただきたい」


 その美男子はどう見てもまるっきりどこぞの騎士で、その物言いは領主からのスカウトのようにしか聞こえなかったが、「わが主」が誰を指しているのか私は知っていたから、とても頷けなかった。

 だが、調子のいいことに妻はその綺麗な顔にコロっとやられてお茶を出し、そのせいでリエルと名乗る騎士からたっぷり口説かれることになった。

 これが美女ならよかったんだが、などと妻の前では口が裂けてもいえないが、しかし、話を聞けばどうやら「主」ことルシエド・ウルフィスはなにも商工会に成り代わろうとしているわけではないという。あくまでやられたからやり返しただけだと。

 ……で、どうせ逃げるならとりあえず一日でも仕事を受けてみてからでもいいんじゃないかと妻にいわれ、私は釈然としないまま彼のもとへやってきたわけだ。


 改めてまみえたルシエド卿は、まるで別人に見えた。

 顔がいいだけのボンボンでも血塗れの怪物でもなく、堂々とした威厳と洗練された雰囲気をまとう、物語の中の王さまのようだった。

 訊いてはいけないことだろうが、きっと本当はとても高貴な生まれなんだろうことが一瞬で理解できてしまうほどに。

 ソファーで血の跡のついた例の奥方が寝ていたのが気になってしょうがなかったが、私はともにやってきた大工ギルドのフリオスという男と割り振られた仕事に取り掛かる。

 むしろ、そこからが最大の驚愕だった。

 彼のあまりの速さに、私とフリオスはついていけなかったのだ。

 彼がこの町にきて何日だ? まだ一週間かそこらだろう?

 それなのにどうして、町の地理を完璧に把握している?

 どうしてギルド同士の関係を知っている?

 どうして、そんなにも早く町の秩序回復に効果的な策を思いつける?


 私が四十年近くかけて築いた実績と自負が、ほんの一時間足らずで跡形もなく砕け散ってしまったよ。

 この人は本物だ。

 本物の為政者だ。

 私が五六年間この理不尽な町で自分の地位と家族の安全のために這いずり回っている間、彼はもっと高いところでもっと広いものをその手で差配していたに違いない。

 この人に逆らってはいけない。

 この人はきっと、商工会よりも遥かに冷酷なことを遥かに容易くやってのけるし、商工会よりも遥かにまともなものをこの町にもたらしてくれるだろう。


 その日の仕事が終わった夕飯どき、彼にいわれた一言で、私は生き返ったような気がした。

「明日からはあんたが商業ギルドの長だ。よろしく頼む」

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