第16話 ハートにズキュンっ!

 あの凄惨な事件から少々の時間が経った。

 どの事件かって?

 ああ、そうだな。あのあともけっこういろいろあったもんな。

 二日で残党の襲撃は収束したものの、今度は商工会が潰れたという事実を正しく認識しただけの馬鹿どもが暴れ出したので出撃し、商工会に首根っこを掴まれていた各ギルドや弱小商会なんかが利権を巡って騒ぎ出したので鎮圧に向かい、混乱する一般市民は放置し、酔っ払いが喧嘩を始めれば殴りに行き、ひったくりがあれば腕を斬り落としに行き、迷子がいれば親を探しに行き……


 ……後半はどうでもよかったな。

 もっとも、全部おれ以外の四人にやらせたんだけどな!

 そう、夜ならクレアも単独で向かわせた。血は使うなといってあるがそれ以外は本人の裁量に任せてその場を収めさせている。

 なんでかって?


 面倒だったんだよ!

 おれはおれでやることが山積みなんだ。だいたいこれだけの量の問題をたったの五人で全部処理できるわけないだろうが。だから途中からほとんどやけになって四人に任せっきりだった。

 その間おれがなにをしていたのかというと、書類整理だ。

 なんせこっちも膨大な量だからな、誰がどれだけ借金しているとか、期日はいつだとか、どこになにがあるとか、商工会主導で行われていた事業の進捗とか、潰れたことでの影響とか、とかとかとか!

 そいつをいまだにおれ一人でさばいてるわけだ。少しは尊敬してくれ。

 ああ、もちろんこいつはクレアにいったんだ。

 なんせあいつはおれが一人部屋でのんびりお茶を飲みながら下僕に鞭打ってその成果報告だけを聞いていると思ってやがる。おれが一番大変だっての。


「ねえ、まだ終わらないの?」

 ソファーに寝転ぶクレアが不満そうに訊いてきた。これで今日何回目だろうか。

 ああ、そうそう。

 今おれたちがいるのはおれの店の二階だ。

 外や一階と地下室ではまだ改装工事が続いているが、二階から上は商工会もほとんどそのまま再利用するつもりだったようで即日入居することができた。おれたち五人の住居は最上階に定めたんだが、ゼルーグたちや大工たちとの連絡を考えると面倒だったので二階の一番大きな宿泊部屋を仮居室としている。

 で、今のところ暇なクレアはおれの仕事内容も理解せず構え構えと甘えた声で攻撃してくるわけだ。

 もういい加減「あと少しだ」といってあしらうのにも飽き、無言をとおしていると、やつはすっと立ち上がり、机の前までやってきた。

 書類に手をかざす。

 少しはこういうことに興味が出てきたのかなんて思っちまったのは、きっと疲れていたせいだろう。

 やつは、手に炎を灯しやがった!

「おいっ!」

 慌ててその手を振り払う。

「その紙切れがある限り相手をしてくれないなら全部燃やすわ」

「ヒューレが作ってくれたフセッタスがあるだろう、あれでも食ってろ」

「とっくに食べたわよ! 何時間も前にこのやり取りしたし!」

 いかん、そうだった。

「とにかくもう少し待ってくれ。今ゼルーグたちに信用できそうな事務方を探してもらっているところだ」

「いやよ。美味しいお店に連れて行ってくれるって約束したじゃない。今日行くの。今行きたいのっ!」

 ガキか、こいつは……

 いや、まあ、ある意味そうだな。

 人間社会の常識なんか持ち合わせちゃいないし、これから馴染むにしてもまだこいつの教育にまで手が回らない。

 とにかく今はこいつを黙らせなきゃならないんだが、いったいどうすればいいんだ?

 世界最強の怪物だぞ?

 だだをこねたら文字どおり世界一の破壊力をもつやつだ。


「仕方ない」

 おれは最終手段としてずっと封印してきた手を試すときがきたと判断した。

 たぶんそいつは成功する。

 やつは満足するし、おれは邪魔されず静かに仕事ができる。

 パーフェクトプランだ。

 ただし、おれの良心がちょっと痛む。

 だが仕方ない。

 通用するかどうかも一度は試しておかないといけないだろうしな。

「クレア」

 おれは席を立ち、クレアの隣まで行って肩に左手を置いた。

「ようやくその気になってくれたのね」

「先にいっとく。すまん」

「えっ?」

 クレアの驚きの声は、二度上がった。

 一度目はおれを見上げながら。

 二度目は、違和感を覚えた自分の豊満な胸を見下ろしながら。

「あッ……」

 ふらり、とよろめいて、おれにすがりつくように膝を折る。

 クレアの胸には、おれのダガー。

 そこからポタポタと、赤い雫が落ち始めた。

 おれの腕を握るクレアの手が、ぎゅっと強まったかと思うと弛緩し、を繰り返し、心なしか上気した顔で見上げる。

「鬼畜……鬼畜よ、あなた……!」

 目が潤むのはわかる。

 しかし、なぜそうも嬉しそうな顔をするんだ……

「黙らせるために刺し殺すなんて、悪魔の所業よ……」

 正直、おまえにだけはいわれたくない。

「あっ……あッ……」

 手の握りと一緒に体と唇も小さく震え、おれを見上げるその白い顔にどんどん赤みが増していき、同時に表情は緩んでいった。

「でも、いいわ……本当に邪魔なら、このままにしておいて……心臓が再生されなければ、ちゃんと死ぬから……」

 そういって、ずるりと倒れ込んだ。

 とびっきりの笑顔だった。


 ……どうしよう。

 おれは今、猛烈に後悔している。

 こいつがヴァンパイアだとかほぼ不死身の化け物だとか死にたがっているとか、そんなのはどうでもいい。

 一回試してみようという軽い気持ちでやってみただけだったのに、

「本当に邪魔ならこのままにしておいて」

 といわせてしまった。


 邪魔になるくらいなら死を選ぶと、女にいわせてしまった!


 おれは慌ててダガーを引き抜いた。

 一度だけ派手に出血したが、すぐに煙を上げて再生が始まったのでおれは大きく息を吐く。

 いくら怪物とはいえ、勘違いとはいえ、おれを愛するといってくれた女にやっていいことじゃあ、ないよな。

「すまん」

 もうするまい。

 お互い生きる目的を失って彷徨いながらも共通の目標を見つけられたんだ。

 死にたがるより生きたがるような美味い飯を出す店を、早く作らなければ。

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