う。ら。ぎ。り。も。の。
喜多川 信
第一章「女勇者リエット」
第1話
破滅にも足音があった。
常に忍び足だが、間近に迫ると馬鹿みたいに良く聞こえる。
魔王国の大攻勢が始まると共に、人族連合国は国境をひどく押し込まれ、児戯のような容易さで国家存亡の瀬戸際まで追いつめられた。
国中の者が活路を見失う中、ある日、人族連合国の高名な聖女が神託を受ける。
『人族より奇跡の勇者あらわれて、魔の王を討ち滅ぼさん』
神託は瞬く間に連合国中を希望となって駆け抜けた。
「神はまだ人をお見捨てにはなってはいない!」
連合国の人々は口々にそう言った。しかし、魔王国にとっては下らぬ戯言、取るに足らぬ誇張宣伝、神の名を借りた小賢しい知恵にしかうつらない。
はずだった。
この神託がまったく同日、ほぼ同じ刻、寸分たがわぬ文言で、魔王お抱えの高名なる占い師から出されさえしなければ。
『人族より奇跡の勇者あらわれて、魔の王を討ち滅ぼさん』
実績ある二人によってもたらされた以上、それは偶然の一言で片づけられるものではなくなり、予言の領域を超えた力を帯び始める事になった。
破滅は常に忍び足で、意地悪で、しょっちゅう踵を返した。
1
魔王国中央情報局・勇者撲滅工作部。
それが、クルトンの所属する組織だった。
クルトンは威厳の無い顔立ちをしている。男らしくは成長してくれず、魔王軍入隊の身体条件も満たせない程、背も低く身体も細かった。
しかし密偵としてなら問題はない。
精悍さとはかけ離れた顔立ちも、年齢にまったく体の成長が追い付かなかった事も、相手を安心させるには十分だ。身体の作りがほぼ人族と変わらない事も役に立ってくれた。
「自らの弱さに苦しんで来た経験こそが、時として強みになるものです」
局長のローレル様はそう言って拾ってくれたのだ。
ド辺境の貧しい農家の五男坊で、礼法も知らず学もなく、飯を食うには軍に入るしかあてが無かったのに、その軍にすら入れなかった役立たずのクルトンを。
「どうして俺なんかに、よくしてくれるんです?」
かつてクルトンがそう尋ねると、ローレル様は微笑んだ。
「才能と生まれ、適性を重視するのは、合理的なことかもしれません。けれど私は、想いと志に重きを置きたいのです。それは時として、才能に匹敵するはずだから。あなたの魔王国への想いと志、私が見初めたそれを決して忘れないでくださいね」
ローレル様から慈愛に満ちたその言葉と声音を頂いたのは、もう何年も前の事だ。
だが、クルトンは昨日の事のように思い出せる。
魔王国の役に立ちたい――小さな志一つを胸にして故郷を飛び出し、帰る場所もなく、ごみ溜めの中でドブネズミと共に生きていく定めを、ローレル様が変えてくれた。
専門訓練や高等学問といった、本来なら決して触れる事の出来なかったものに、触れさせてもらえた。魔法が使えるようになったのも教育の賜物だ。
その恩を何としても返す。
誓いを胸にクルトンは訓練を乗り越えてきたのだ。
魔王様を倒すと予言された『奇跡の勇者』。その可能性のある勇者の卵を成長する前に叩き潰す事が、魔王様直属の組織である中央情報局の仕事の一つだ。
「小さな事からこつこつと。世の中を支えるのはそう言ったお仕事です。大きな手柄ではなく、地道な新人勇者潰しこそ、魔王国の平和につながります」
とは、密偵養成学校の卒業式でのローレル様の言葉だ。
クルトンは学校を卒業し、人族国家の集合体であるソタナフマ連合の地へと潜り込み、先輩の密偵に手ほどきを受けつつ、旅をしながら情報収集活動を行うこと、半年。
そんなクルトンの元へ、待っていた命令がやって来た。
『教会認定の勇者が確認された、その者に対処せよ』と。
女勇者リエット。
それが標的の名だった。
正しくは、リエット・アンジュ・ド・トゥールと言うらしい。
(貴族の娘、か……)
クルトンはセーフハウスで旅支度をしながら、どう取り入ったものかと思案した。
リエットの力量は未知数だ。そのため、まずは接触し、相手の懐に潜り込んで詳しい情報を調べねばならない。それがクルトンの仕事だ。
可能なら独力での排除、不可能なら内通者として同行し、刺客の補助に回る。
養成学校で学んだ、新米勇者撲滅の基本戦術だ。
(今回は初めての、一人での任務)
それも、クルトンのような新米密偵に与えられるには、勇者との接触は少々、格の高い任務だ。ローレル様から期待されているからこその、単独任務なのだ。
(何としてでも、応えて見せる!)
否が応にもクルトンは力が入った。
たった一人で臨機応変に仕事をせねばならないが、自らの力を示すチャンスでもある。密偵として経験を積み、ゆくゆくはローレル様のお側に仕える、その第一歩だ。
(よし、いくぞ)
クルトンは気合を入れて自らの頬をぱんぱんと叩き、旅支度を整えてセーフハウスより出立した。目指すは、神秘教会の東支部、ソタナフマ連合内陸の平野部と山脈の中間だ。郵便馬車で一日半、山道を踏破すること二日。クルトンはついにリエット一行を視界にとらえた。
一行と言っても、二人旅のようだった。
(まずは、自然に接触しないとな……)
練っていた数種の策のどれを使おうかとクルトンは考えたが、必要なかった。
茨で狭まった道に差し掛かると、リエット一行が野盗の襲撃にあったのだ。
金持ちの匂いがする馬車に、馬の装具。身なりの良い若い男女が二人きり。襲う側からすれば、ぱっと見はこれ以上ないほどの獲物であろう。
(助けに入るか?)
そうやってリエットの信用を得て、勇者一向に潜り込む。そのチャンスだとクルトンは判断し、身を乗り出しかけたが、クルトンが助太刀に入る時間などなかった。奇跡の力を宿した勇者リエットが、その実力をみせたのだ。それは異様な光景でもあった。
軽装の鎧を身に付けているとはいえ、可憐ともいえる乙女は体一つに剣一本。対するは、巨漢ともいえる野盗たちが十数名。手に持つ武器も多種多様。
にもかかわらず、リエットは剣を鞘から抜きもせずに振るい、襲い掛かる野盗どもを次々と打ち据え、涼しい顔で跳ね飛ばした。相手の動きが止まって見えているのか、流れるような素早さだ。剣を打ち込むその力も、片腕で振るっているとは思えないほどで、叩き落とされた野盗どもの武器はぐにゃと折れ曲がってしまっている。
野盗を蹴散らすまで、一分とかからなかった。
(これが……教会から認定された勇者の力、か……)
離れたところで戦いの様子を伺いつつ、クルトンは額の汗を拭った。
リエット・アンジュ・ド・トゥール。手ごわそうな相手だ。
(はてさて、どうやってあの二人に取り入ったものか?)
注意深く見ていたクルトンには、すぐその方法が見つかった。
クルトンは幸運だった。野盗の放った流れ矢が馬の脚に刺さり、驚いた馬が走り出し、馬車がイバラに突っ込んで身動きがつかなくなっていたのだ。
クルトンは通行人を装って助けを申し出て、馬の傷ついた足を、癒しの魔法によって治癒した。リエット一行が大変喜んでくれたのは言うまでもない。
その機を逃すクルトンではなかった。
「先ほどの見事な戦いぶり、もしや、勇者様ではありませんか?」
クルトンが二人の男女にそう聞くと、リエットが頷いた。
「ええ、そうですわ」
「実は私、駆け出しの護衛者でして」
クルトンはそう切り出した。
勇者の旅を補助する、旅の友。それが護衛者だ。魔王討伐は神の意志。それを補助するという功徳を積めるという事から、クルトンのような申し出は一般的だった。
「よろしければ、ご一行に加えて頂けませんか? 私の力及ぶところまで、お供させて頂きます。護衛者としての経験を積んでみたいのです」
クルトンが申し出ると、リエットの顔がほころんだ。
「まあ。わたくしたちも、勇者として旅に出たばかりでしたの。ぜひ」
リエットが両手を合わせて嬉しそうな声をだすと、隣の優男が頷いた。
「むしろこちらから、ぜひお願いしたい。癒しの奇跡の使い手が旅に加わってくれるなんて、ほんとうに幸先がいい。ね? リエット」
優男がそう言うと、リエットは頷いた。
「ええ、フォンデュ。きっと神が祝福してくださっているのだわ」
そう言うなり、リエットとフォンデュは空を見上げて跪いた。二人とも懐から数珠状の祈りの用具を取り出し、ぶつぶつと言の葉を唱え始めている。
切り株の前でお祈りを始めた若い男女を、クルトンは微笑ましく眺めた。
(ちょろいものだ……)
と。
リエットとフォンデュのお祈りが終わるのを待ち、クルトンは深く一礼した。
「急な事態に慌ただしく、礼を失しておりましたこと、お許しください。名乗りが遅れてしまいました。私はクルトンと申します。湧き水や浄化、癒しなどの奇跡を授かりました」
「わたくしはリエット。リエット・アンジュ・ド・トゥール。神の奇跡を授かり、長年の祈りが通じ、教会より正式に勇者と認められました。どうぞ、お見知りおきを」
リエットは丁寧に一礼し、クルトンも思わず頭を下げた。
飛び抜けて強力な奇跡の使い手のみが、神秘教会から勇者として認められる。
一見お淑やかで武芸など縁の無さそうなリエットにも、屈強な荒くれ野盗の不意打ちをあっさりと撃退してしまうほどの力が備わっているのだ。
護衛者フォンデュも、槍の腕前はかなりのもののようだった。
顔立ちだけなら優男だが、太い首筋やがっしりとした肩回り、何より足腰の強さが服の上からでもわかる。野盗の襲撃にもまったく動じず、見事な立ち回りで一人も殺めることなく、手や足のみを巧みに負傷させて野盗の戦力を奪い、撤退を促していた。
「僕はフォンデュ。フォンデュ・グリュイ・エメンタールだ。リエットの護衛者をしている。よろしくね、クルトン君……で、よいかな?」
フォンデュに聞かれ、クルトンは横に首を振った。
「いえ、私は平民の出。貴族のお二人とは違います。敬称など不要です。どうぞ、呼び捨てで構いません。その方が安らぎます。実は、一人旅でずっと心細くて……」
クルトンがほっと一息つく仕草をすると、リエットとフォンデュは顔を見合わせて笑った。クルトンの旅慣れぬ様子に、二人とも警戒心は抱いていないようだ。
「僕たちも同じさ、クルトン」
「ええ。駆け出し者同士、手に手を取り合っていきましょう」
フォンデュとリエットは優しい声音でそう言う。
今のところ目論見通りだと思いつつ、クルトンは頷いた。
「はい。……ところで、リエット様とフォンデュ様のご出身は、どちらに?」
「僕はタマニアル地方の奥だけれど、リエットは違う」
「魔王国との国境付近でした。しかし、奪われましたわ」
リエットは少し顔を曇らせていた。声の調子も落ちている。
「十年ほど前の事ですけれど、今なお、鮮明に覚えています……」
遠くの山脈を見つめ、リエットは思い返しているのだろう。
「素晴らしい領土でした。涼やかな風、一面に広がる緑と青。丘の向こうには美しい三角が連なり、川辺の水車小屋からはぱしゃぁ、ぱしゃぁと音がして。風車守りが仕事に追われるほど、いつも良い風に恵まれて。心地よい陽気の下、そこかしこから活発な民の声がしていました。それを……魔王軍がやって来て、すべて……」
戦いでは良くある事――
そう割り切っていかねばならないのに、クルトンには簡単ではなかった。弱い立場の苦しみは知っている。自らの力が及ばぬ悔しさも。
クルトンとフォンデュの暗い表情に気付いてか、リエットはぱっと明るい顔をした。
「しんみりさせてしまいましたわね。ごめんなさい。でもそのおかげ、といっては語弊がありますけれど、結果としてフォンデュのような素晴らしい婚約者に出会えました。すべてにおいて、悪い事ばかりであった訳ではありません」
リエットの気丈さに、フォンデュが溜息を洩らした。
「リエット……キミは本当に強く、美しい」
「神から奇跡を授かった勇者として、当然の事ですわ。さあ、ゆきましょう。魔王を倒す旅とはいえ、あまり背負いすぎてもいけません。道中はなるべく楽しみましょう」
そう言ってリエットは馬の手綱を引き、歩き出した。
かっぽかっぽと蹄鉄を鳴らし、車輪の回る音にも異常はない。
癒しの奇跡によって、馬の足取りは軽そうだ。
二人での旅路に刺激が足りていなかったのか、リエットとフォンデュはクルトンに興味津々のようだった。二人とも貴族としての品格を保ってはいたが、クルトンの出身地についてや最近の出来事など、笑い話を交えつつ談笑する。しばらく様子を見ながら一頭立ての馬車と並んで歩き、「これなら乗っても大丈夫そうですね」とクルトンは言った。
しかしリエットは首を縦には振らなかった。
「そうですわね。けれど、今日はタルタルに大事を取らせてあげたいのです」
「わかりました。リエット様」
馬の名前はタルタルというらしい。それなりの馬齢のようだ。馬車を引く足取りは力強く、多少の坂道でもぐんぐんと進む。恰幅の良い馬であり、軍馬か農耕馬だろう。
クルトンはリエットの答えに同意した。
「次の町までは距離があります。上り坂や下り坂が続きそうですし、どのみち今日は野宿となるでしょうから、このまま歩きましょう」
「ええ、そう言ってくれると助かりますわ、クルトン」
そう言って、リエットは優しくタルタルの首を撫でている。するとフォンデュがくすりと声を漏らし、クルトンへと意味ありげな目を投げかけてきた。
「ふふっ、タルタルとリエットとの付き合いは、僕よりずっと長いからね。生まれ故郷から一緒だそうだ。二人の仲は、時折、僕が妬いてしまうくらいなんだよ」
「それは厄介な恋敵ですね、フォンデュ様。幼馴染は強敵です」
「そうなんだ。ほんとうに油断ならないんだよ、タルタルには」
やれやれと首を振るフォンデへと、リエットがぱちくりと目を見開いた。
「まぁ、フォンデュもクルトンも……二人してからかって」
フォンデュとクルトンが笑い合っていると、リエットも口に手を当てて笑っていた。
丁度良い野営地を見つけた時には、クルトンは一行に上手く溶け込んでいた。
「僕は薪を調達してくるよ」
天幕を手早く設置すると、フォンデュがそう言った。
「わたくしはタルタルから馬具を外します」
リエットがそう言ったので、クルトンも手を小さく上げた。
「なら、私は煮炊きの準備と水の用意を。湧き水の奇跡が使えますから」
「おお、そうだったね。では、いってくるよ、二人とも」
フォンデュが林の中へと消え、クルトンは準備に取り掛かった。近場に川の気配はないが、岩や土壌、木の茂り具合から地下水は豊富なはずだ。
何事も水だ。
どんな場所でも水が無ければ始まらない。水魔法――ソタナフマ連合や神秘教会では『湧き水の奇跡』と呼ばれているそれを、クルトンは扱う事ができた。
ほかにも、浄化の奇跡で食品の保存性を高めたり、泥水を煮沸せずに飲料水へと変えたりできる。戦闘面では今一つのクルトンだが、旅のサポート能力ではかなりのものだ。密偵として有利になるであろうと、養成学校時代に死に物狂いで身に付けたのだ。
「おっと!?」
すこし予想外の事が起きて、クルトンは焦った。
奇跡の扱いに失敗してしまい、地下水を噴き上げさせてしまったのだ。
クルトンの湧き水の奇跡を見て驚いたらしく、タルタルが声を上げて大きくのけぞり、首を激しく振った。その拍子に、手綱がひゅんっと大きく弧を描く。そして、外した馬具を馬車へと乗せていたリエットの、その背中をぴしゃりと強く打ち鳴らした。
「うひょぅふひぃあぁっ……!?」
実に奇妙な声が、リエットから聞こえてきた。
クルトンは少々困惑した。
「……り、リエット……様? だ、大丈夫ですか?」
「ええ。なんでもありませんわ、クルトン」
おほほっ、とリエットは答えた。
一瞬、可愛らしい悲鳴などとは違う、首を傾げてしまう様な奇声が聞こえた気もしたが、リエットの顔はいつもの淑やかさだ。何かの聞き間違いだろうと、クルトンは思った。
そうこうする内にフォンデュが薪を抱えて帰って来た。食用のキノコや山菜まで取って来てくれたおかげで、夕食はそれなりに贅沢なスープとなった。
食事の前にも、寝る前にも、リエットとフォンデュはお祈りを欠かさない。
「天にまします我らの主よ。その名をあがめさせたまえ。天にそうあるがごとく、地にもそうあるようになさってください。日々の糧を、本願を遂げる力を、どうか我らにお与えください。クルトンとの出会いと、タルタルの無事、これまでの旅の息災に感謝します」
リエットの声音は柔らかく美しい。跪いて目をつむる姿は、高潔そのものだ。
クルトンも二人に倣ってお祈りした。
夜風が頬を撫でると、冬の残り香がまだ抜けきっていないと感じる。
地上には薪の火、見上げれば雲一つない星空。
リエットとフォンデュが聖歌を歌った。タルタルのいななきや、弾ける薪の音すら伴奏と思わせてしまうほど、それは美しい歌声だった。
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