望海祭(2)
清楚な白ワンピースの上からでもわかる、美しいふくらみに、顔をうずめる。
「唯奈、唯奈ぁ」
「おぉーよしよし、寂しかったねえ」
唯奈は私の頭を、赤ちゃんをあやすように撫でてくれる。心地よくて、足に力が入らず、その場に座り込んでしまいそうになる。自然と涙があふれて、いい肌触りのワンピースを汚していた。そんなの気にしないで、唯奈は私を抱きしめ続けてくれている。
「待ってよ澄香……あっ、お取込み中かな」
我に帰って、私はピシッとその場に立った。耳が熱い。
「ちがうよ、大丈夫だよ」
「なるほど、男の子に興味ないなーって思ってたら、そっちだったか」
「納得しないでよ!」
「あはは、冗談だよ。唯奈さん? 私、野辺美薗です。よろしくね」
「細田唯奈です。澄香と仲良しなんだって? ありがとうね、この子変わってるからいつも大変だよね」
私はまだ顔が熱いのを感じたまま、唯奈をにらみつけた。
「唯奈ちゃん、会ってみたかったんだ。すごくかわいくてびっくりしちゃった」
「そんなことないよ」
唯奈はやや照れたように言った。意外と褒められるのには慣れていないのがまた、いじらしい。
「私は劇が始まる前――十時半までしか自由時間ないけど、一緒に出し物見て回れてうれしい」
「劇、見せてもらうね! 澄香が出ないのは残念だけど」
「そういう柄じゃないって知ってるでしょ!」
「でもしっかり、劇を作り上げた一員になれたんでしょ。本当によかった」
唯奈はにっこりと笑って、また私を抱き寄せた。唯奈のにおいを胸いっぱいに吸い込んで、心からの安堵感を覚える。美薗ちゃんも朗らかに笑っていた。
「私も、寂しかったんだからね」
今度は私が、彼女を撫でる番だった。目をつぶって、柔らかく微笑みながら、私のささやかな愛情を受けていた。
「そういえば、十時からもう一人増えるから。翔太君って言って、同じアパートに住んでる中三の子」
「へえ、仲いいの?」
唯奈が尋ねてくる。私は平静を装いながら、
「まあまあ。どうしても来たいって言うから、仕方なくだよ」
私は深く詮索される前に、校門の中に向かって歩き始める。古びた校舎に、『望海祭』という大文字がデザインされたポスターがかかっていた。この前中庭に置いてあったものだ。学校に、校外の人々も出入りしている。普段から変化した雰囲気に、少し不思議な心地がした。そう感じること自体、私がここになじんだ証拠だという気がした。もう一人きりで家に帰るときも、寂しくない。
「じゃあ一緒に劇見ようか」
「ありがとう! 翔太君? と唯奈さんは来場者席からになって悪いけど……」
美薗ちゃんが言ったけど、唯奈はすごい勢いで首を振る。私たちは出しものを見て回ることにした。
一階の教室は、飲食物のコーナーとなっていた。中庭にテントが並べられていて、その中で生徒たちが食べ物の調理をしているのだった。私は怜美先輩のクラスに寄ってみることにした。パンケーキなどの甘いものを提供する喫茶だと聞いていた。
「いらっしゃいませ!」
模擬店に入ると、女装をした線の細い男子生徒が、中性的な声を掛けてきた。
「うそー、男子なんですか!? かわいいですねーすごいすごい!」
彼は唯奈にはやし立てられて、まんざらでもなさそうに俯いた。
「でも最近って中性的な男子のほうがもてるから、きっと普通に制服来たらかっこいいんだろうなー」
「ご、ご注文は」
次にその男子生徒が唯奈を見た、その目はすでに蕩けていた。恋をする人間の目だ。唯奈は人たらしで、無自覚なところがよくない。
「パンケーキと、ストレートティーでお願いします」
私たちも満面の笑みでそう告げる唯奈に同調した。案内され、三つの机が並べられたスペースに通される。普段の学習机に明るい黄色のクロスを敷いただけの簡素なつくりで、いかにも学園祭らしい。
「改めて紹介するね。この子は細田唯奈。私の親友で――えっと、唯奈、この子は野辺美薗ちゃん。同じクラスなの」
「知ってるよ、いつもメッセージくれるから。美薗ちゃんのこと大好きだよ、こいつ」
美薗ちゃんが照れくさそうに顔を掻いた。私もなんだか、体がこそばゆい。
「将来、小説家になりたいんだって聞いてるよ」
「うっそ、そこまで伝えてんの? やだ、恥ずかしいな」
「進路はやっぱり、大学で文学をやりたいの?」
私の予想に反して、美薗ちゃんは首を振った。
「私は心理系の勉強がしたいかなって、最近思ってる」
以前、知りあって間もないころに聞いたのは、国文学科に入って学びながら新人賞への投稿をしていきたい、という話だったのだが。
机に紅茶が運ばれてきて、美薗ちゃんは真っ先に口を付けた。
「小説では、文学以外の専門知識も扱えるし。そう考えるようになったのは、実は澄香のおかげなんだよね……照れくさくて今まで言えなかったけど」
小さな声で、しかし確かにはっきりと発音をしていく美薗ちゃんに、思わず襟を正した。そう言えば、二人で劇に使う道具を買いに言ったとき、彼女が私なら、カウンセラーになりたいと言っていた。
「澄香と話していると、私胸のつかえがとれるんだ。だけど、その取った分のつかえって、結局澄香が背負いこんでいるような気がする。――澄香だけじゃないと思うんだそういう人って。だから私は、お人よしな人々を助けたいなって。それって勿論、小説でもできるんだろうけど」
美薗ちゃんの言葉に、私は思わず涙を流しそうになる。これは確かに、私が人に与えた影響なのだと思い、胸がなにかあたたかいもので満ちる。
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