第三部

望海祭(1)

 急に秋らしい寒さがやってきて、前夜興奮と期待で眠れなかった私はいつもより早く設定した目覚まし時計のアラームに反応するのに億劫さを覚える。当日朝に最後のリハーサルをするのだそうで、私も呼ばれていた。携帯に、ショートメールが届いていた。翔太君からだった。


 少し用ができると電話ばかり掛けてくる彼を見かねて、その方法を教えたのだった。彼は不思議な写真をたくさん撮って送って来た。十年も前に人のいなくなった廃屋、ゴミ袋をつつくカラスの群れ……それが何であれ、彼にストレス発散の方法ができたのは嬉しいことだった。しかし今回は要件だけ。『十時ごろ行く』だそうだ。


 私は冷たいワイシャツに袖を通し、スカートのファスナーを上げてプリーツを整えた。やはり見に行きたいという母親を必死に止めて、――それでも結局来るのだろうが、とにかく恥ずかしいので止めて、私は家を出る。


 寒い体育館について、私より早く来た人が道具の準備をしているのに混じる。そこに、やはり新堂君の姿はなかった。彼は私に暴力をふるったことによる自宅謹慎処分の後、学校に顔を出していない。気楽に今日くらいは、顔を出してほしい。そう簡単な話ではないのだとも感じる。


 彼らしさをなくした彼は、クラスでどういう顔をすればいいのか分からないのだろう。気にする必要はなくて、そうなった彼に居場所を与えないほど、厳しいクラスでもない。要は、彼自身がそこでうまくやっていける自信を取り戻せるか、なのだと思う。


 舞台を完成させたのは初めてだった。演者たちの、この学校のものではない制服も、なんとなく様になっているように思える。彼らが団結して取り組んだ証拠のように思えた。


 リハーサルが始まる。クラスで目立つ存在にスポットを当て、その後牛乳瓶のようなメガネを掛けて読書する生徒に明かりが移り、最後に『雑草族』へ。どことなく小馬鹿にしたようなナレーションで、彼らの生態が紹介され、それにしたがって演者が動いていく。なんども練習して、ダメだしされていくうちに彼らのバカっぽさは洗練されていて、笑ってしまう。美薗ちゃんに初めて脚本を読ませてもらったとき以来だった。最後に雑草族の一人がクラスメイトに恋をして、告白をしようとして、盛大に邪魔をするラストで締めくくられる。


「みんな、ここまでよく頑張ったよ。本番も、同じようにやれば大丈夫だよ、頑張ろう!」


 いつの間にやら監督役も任されていた美薗ちゃんの言葉で、その場は拍手に包まれた。その中で、彼女に熱のこもった死線を投げかける男子が一人いた。ラストシーンで告白する役の彼は今日、美薗ちゃんを屋上に誘うのだろう。誰にも茶化されず、しっかり想いを伝えて振られることができたなら、彼も幸せだな、と思った。


 劇は通しで三十分程度。午前十一時からと午後二時からの二回、公演をする予定だった。私たちは教室に戻り、ホームルームで浅田先生の激励の言葉を聞いた。その後解散することになったのは午前九時。私の役目は、後片付けまでなくなった。完全に自由行動だ。


「周りとうまくやっていけるかなんて、心配すること、なかったんじゃない?」


 私が机についてぼうっとしていると、浅田先生が話しかけてきた。


「そんなことありません、いろいろ考えて、悩んでやってきましたよ。――新堂君、結局今日も来ませんでしたね。彼が今ここにいないのも、私のせいな気がしてます」

「松野さんは自分に暴力をふるった人の肩を持つの?」

「そういうことじゃないんです。彼が怖い感情とか、そういうのを持てたのって、進歩なんじゃないかって思って。もっとおおごとにしない方法はあったんじゃないかと思います。例えば彼の神経を逆なでする話を、この教室の中でするべきじゃなかった」

「いずれにしろ、悪いことをしたのは新堂君だから、あなたが気に病むことはないわ――あなたは、人の悩みを背負いすぎよ」


 私は腹を立てる。浅田先生の言葉の、当たり障りのなさ。


「私でないと変えられないことは、あると思うんです。よそ者の私でないと」

「松野さんは――もうクラスの一員よ。よそ者なんかじゃないわ」


 これでは堂々巡りになると思い、私を待ってクラスに残っているのであろう美薗ちゃんのほうを向いた。


「じゃあ、美薗ちゃんと出し物を見て回るので失礼します」


 浅田先生は何も言わなかった。ほんの少しだけ、気まずさが私の首周りに纏わりついて、喉を絞めた。しかし、それは気のせいだ。


 私は美薗ちゃんと、約束していたように校門の前に出た。


 彼女はすでにそこにいた。


「やっほ、久しぶり」


 私は親友――唯奈の姿を見ると、来校する人々の流れに逆らって速足で彼女のところに行って、思いっきり抱きついた。

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