海と血と儀式(1)


 部屋の模様替えに夢中になっていたので、寝たのは真夜中だった。それで、目が覚めたのは十一時半。リビングに行くと、母親の姿はなかった。


 朝食を取ろうと菓子パンの棚をあさっていると、インターホンが鳴った。


「おーい! うちに遊びにおいでよ」


 玄関先を移すカメラには、昨日見た顔があった。相変わらずダサい服装。夏なのに、どうしていつも伸びきった長袖を着ているのか不思議だった。


「お母さんも、うちに来てるからさ! 来いよ。お土産ありがとな、バナナみたいなのうまかった!」

「あ……その」

「あっ、ここにいた! 勝手にインターホン鳴らしちゃ失礼でしょう!」


 怜美さんの声も響いてきたので、私はやっとそれを信用した。


「小学生のガキ扱いするんじゃねえ」

「そうでした、翔太は小学生よりたちが悪いわ、全く普段から……」


 私はきょうだいげんかが始まると面倒なので、


「今母がお邪魔してるんですか? どうもすみません」

「いや、いいのいいの! うちのお母さんも強引なところがあるから」


 寝間着から着替え、身支度をして、私は家を出た。二人にちやほやとされながら、やや古臭い廊下を通り、203号室に足を運んだ。私たち家族の部屋は、201。隣の隣だった。


「お邪魔します」


 玄関から入ると、リビングのドアが開け放たれていて、母親が怜美さんのお母さんらしき人と紅茶を楽しんでいるのが見えた。


「いらっしゃい」


 怜美さんのお母さんがカップを口元に運ぶ手を止めて、上品に微笑んだ。そこから玄関まで歩いてきて私を迎え入れる動作も優雅で、気品があった。顔は、怜美さんと翔太君とでは、どちらかというと翔太君に似ている。翔太君に、おっとりした雰囲気が引き継がれなかったのが面白い。


 来客用のスリッパに履き替えた私は、リビングに招かれた。


「澄香ちゃんね。何もないですけど、まあゆっくりしていってください」

「そんな、丁寧にしてもらわなくても」

「な、うちのおかん、丁寧すぎるよな。だいたい、土産受け取って、そこでバイバイでいいのに」

「こら、翔太」


 怜美さんが弟をにらみつけた。しぶしぶうなずく翔太君。彼女らの力関係は一目瞭然だった。やんちゃそうな弟が逆らわないのが、面白いけど不思議だった。怜美さんに何か弱みでも握られているのかもしれない。


「お母さんたちはお話があるでしょうから、澄香ちゃん、私の部屋に連れていっていいですか?」


 いいわよ、とやはり上品な声で、お母さんが言った。私の母親も、特段品がなく見えることはないが、所作はどこか子供っぽい。私はそれを受け継いで、童顔だった。大人になりたい。


「こっち」


 リビングの隣の洋室が、怜美さんの部屋だった。机の上もきれいに整っていて、本棚には何やら難しそうな本が並んでいる――そして、衣装かけにかかったそれが目について、そこに集中してしまう。


「怜美さん、S高校の卒業生だったんですね」


 私が九月から転校する高校の制服がかけられている。自然に出た一言だった。すると怜美さんは表情をみるみるうちに曇らせ、目を泳がせる。よくわからないが、事情があるのかもしれない。


「ごめんなさい、なにか気に障ったなら……」

「ううん……澄香ちゃん」


 冷たい声で、怜美さん。私は息をのんで、鋭い言葉を覚悟した。


「私ってそんなに老けて見えるかな? まだ私高三よ、ばか」


 ころりと表情を変えて怜美さんはそう言い、キョトンとしている私の様子に大笑いした。


「あはは。澄香ちゃん面白い! お腹痛いわ。大人っぽいと思ってくれてありがと」

「じゃあ、怜美先輩なんですね」

「そういうこと! 昨日自己紹介しなかった私も悪いけどね……先輩か! いい響き」

「じゃあこれから怜美先輩って呼びますね!」


 部屋を眺めると、確かに勉強机の上は、受験生らしく参考書だらけだし、よく見ると大学の過去問なども机に置いてある。


「K大学、受けるんですか。すごく頭いいんですね」


 そんなことないない、と怜美先輩は謙遜するが、K大学はこの近辺で最難関の国立大。机の上にもプリントやノートがたくさんあって、かなり勉強をしているのだろう。


 怜美先輩に、しばらく高校生活について教えてもらった。田舎の小さな学校だから、大きな事件も起こらないし、平和だという。うちの学校では妊娠して中退した人や、放火をした人がいた、と言ったら、怜美先輩は笑って、そんなことを起こす人はいない、と断定した。新生活への不安が少し和らいだ。


「お昼ご飯、お母さんがごちそうするって言ってて。それまでゆっくりしよう。ゲームでもして遊ぶ?」

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