短編集

秋風

はろうぃん


「とりっく、おー、とり〜!」


 口の中で上手く作り出せない外国語の発音はめちゃくちゃで、それは鳥なのかトリートなのか定かではないが(まぁ普通に考えればトリートであるが)幼女は手足を使って、目の前の男に体いっぱいでお菓子をねだってみせた。


「おかしちょうだいなの〜!」


 ナースだろうか、125センチの小さな体に似合わないミニスカの、白衣のスカートはしかしボロボロで、そこから胸元にかけて真っ赤な点が斑に穿たれているのが、夜の闇の中でも目に付いた。月明かりとカボチャの灯火が照らす幼く甘ったるい顔には、グロテスクな傷と痣のメイク。一見すると肌が剥け、腐った肉が空気に触れてらてらとしているのではないかという、実に精巧なメイクだ。リップとアイシャドウを使い、誰かに作ってもらったのだろう。

 そして目元にも魔女を思わせるよう黒のアイシャドウが引かれている……のだが、幼女の大きな青い目が意向を裏切り可愛らしいのが実にユーモラスで笑えてくる。

 ゾンビナース、という表現が今宵のイベントに相まってぴったりと言えよう。可愛いゾンビナースの手元には可愛いカボチャのバスケット、空のそれをふんっと前に出し、中にお菓子を入れろとドヤ顔をして30秒経った。

 一通りよくできた仮装だなと、ゾンビナースの上から下までを眺めた麝香は、30秒も待っているドヤ顔に対し「菓子なんてねーよ、バーカ」と期待を台無しにするように嘲笑を送った。


「も〜! なんでよういしとかないの!?」


 幼女はミニスカから出した幼女らしく丸みのある短い足をトントンとし、地団駄を踏みながらバスケットを下げる。

 跳ねるように「バカ!」だの「ぷ〜!」だの口を膨らませながら、麝香の黒いスーツのジャケットを引っ張る。ぶら下がるように引き寄せる。


「ない! ここも! ここにも!」


 上着のポケット、ズボンのポケット、尻のポケットにも手を突っ込んで中を掻き回してみる、その都度何も入っていなくて、実は隠しているんじゃないかという、宝物を見つける好奇心と期待は穴の数だけ幼女の中で尽く打ち砕かれる。

 幼女は空気を吸い込んで、がくっと肩を落とした。


「期待してんじゃねぇよ」

「だってはろうぃんはおかしをくれるってゲドウは言ったの」

「そりゃそいつが一言少なかったんだよ、『俺以外ならくれる』って」


 幼女は完全に何も持っていない麝香に対し少し寂しそうにしてから、傍に寄ってきて隣に並んで手を引っ張る。


「いこー? おかしもらうの」

「誰に、てか俺『大人』になったの、今年で丁度20、わかる?」

「おかしもらえないってこと?」

「もらうような子供じゃないってこと」

「ならこれからはあげるオトナらしく、おかしよういしとくんだよ?」

「ガキのくせに生意気」

「うるしゃい!」

「すねてんのか」

「シャコにだけは……ほしかった……」

「なに?」

「シャコにだけは! おかしもらいたかった!」


 他の人からはいらない、とぽろりと零した幼女はトボトボと石を蹴りながら前へと歩いた。


「あー可哀想、草糸が菓子用意したって言ってたのにいらないのか」

「そんなことない!」


 ないけれど、幼女は麝香からだけはほしかったのだ。他の誰のプレゼントも、ハッピーハロウィンの返事も、いらなかったのだ。それは他人からお菓子を貰っても喜ばしくない、という意味ではなく、小さいながらの女心と分析した方が分かりやすい。

 男はわからない、ただ子供がお菓子を貰えなくてすねてしまったのだと、幼女の蹴った石が置物のカボチャに当たってコンっと跳ね返る音を聞いていた。

 小さなゾンビナースはおどろおどろしい血のメイクとは正反対に、表情に哀を含ませもう一度麝香を見た。


「そーしくんくる?」


 大好きなお兄ちゃん2号がお菓子をくれるなら、ちゃんと笑って受け取らなければ失礼だ。幼女は悲しい気持ちを切り替え、草糸にハッピーハロウィンの返事を望み、お菓子を笑って受け取る体勢を作る。

 タイミングよく草糸が現れる。ゾンビナースは先と同じイベント恒例の言葉を投げる。


「とりっく、おあ、とりーと!」


 ちゃんと発音出来ている理由は気分が熱と冷たさの間にあるから、好きな人の前ではカボチャの灯火より明るく熱く、幼女の気分を、舌までも一緒に浮き上がらせてしまうのだ。


「ゆゆりちゃん可愛いね、はい、ハッピーハロウィン!」


 草糸は手渡しで飴やらクッキーやらを小さな掌の上に乗せる。ぽろっと落とした飴ちゃんを拾い、また乗せてやる。バスケットが初めてのお菓子を吸い込む、既に仕舞うものがあり、満腹になった様子はない。なんだか幼女に元気がないのも、当然気が付いている、そもそもハロウィンにお菓子をもらうというイベントの主旨を知っている時点である程度予測出来ていた。


「君、お菓子あげてないんだろ」


 草糸は幼女に聞こえないよう麝香を問い詰める。


「あぁ、やってもいないし買ってもいない」

「だよな」


 はぁ、と頭を押さえ呆れる。未来を見る力がなくとも予想出来ていたが、どこか少しでも『ズレ』があってくれればいいと願った期待は、期待外れという面白くもない結果で普通に終わった。

 ひとつ、麝香は奇妙な話を持ち出し始めた。


「買いに行ったけど、買わなかった」


 それは何故? と草糸は返す。


「別に買う気もあった、この季節、ハロウィンにちなんで可愛い絵のついた食べ物や菓子はいくらでもあった」


 だったら何故!? と草糸は一際強く聞く。


「わからないか」

「わかりっこないだろ、何だ? 謎かけか? 買いに行って、金がなかったなんて事はないだろ? 売り切れでもない、目の前にお菓子もあって、その気があって、なんで買わずに出てきたんだ」


 幼女は二人で話し始めたので、邪魔をしないようにとカボチャの置物の頭をポンポンと叩いて遊んでいる。草糸は幼女が一番喜ぶイベントの、おそらく幼女が最も発揚するであろう局面を、既でわざとなしにしてしまった親友に不愉快さと、不可思議な気持ちになる。


「トリック・オア・トリート」


 脈絡もなく麝香はハロウィンの文句を呟く。


「これ、何て意味かわかるか?」

「『お菓子をくれなきゃいたずらするぞ』だろ?」

「そうなんだよなぁ」

「君、もしかして」


 察しのいい草糸は気が付いただろうか。不愉快に顰めていた眉を戻し、普段の整然とした作りに戻す。


「おいガキ」

「なに?」


 ゾンビナースはカボチャの頭を叩くのを止めて、トコトコと歩いてくる。


「トリック・オア・トリートって知ってるか?」

「んーと……おかしがもらえるマホウ!」

「いやな、お菓子をくれなきゃいたずらするぞ、って意味なんだ」

「! とりっく、おあ、とりーと」

「……」

「なにもくれない!」


 だから

 ――それはつまり


「いたずらしていいんだね!」

「そゆこと」

「わはぁ♪」


 幼女は渾身の力を込めて、わざと屈んだ麝香の首元に抱き着いた。ぎゅうぎゅうと締め付け、それがいたずらといわんばかりにきゃっきゃと肌を擦り付ける。ゾンビメイクがボロボロと剥がれ、赤や黒の傷が男の顔にも感染する。ゾンビがゾンビの仲間を作る。


 果たして――麝香はいたずらされたかったのだ。だからお菓子を渡さなかった、買う寸前に気が付き、何も手に取らず店を出た。

 食べるものより自分を与えてやる、それが幼女の、ゆゆりの一番喜ぶハッピーハロウィンなのだ。


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