The S.A.S.【7-6】

 姉貴に付き従い、軍事都市の幾何学的な構造の内側へ進む。我々の居住区を離れて、もう随分と遠くまで歩いた。数え切れない建築物と検問を経由し、何百という米兵とすれ違う。好奇の目を避け、ニーナは黒いバラクラバ(目出し帽)で顔を覆っている。実際には、ワンダフル・ロシアンおっぱいが迷彩服を押し退けているので、何の意味も成していない。それ、射撃時に邪魔にならない?

 何処を見ても代わり映えのない、殺風景な光景が現れては消える間、煩悶とした逡巡が脳を支配していた。ブリジットは不安に苛まれているだろうか。どういった態度で接触を図るべきか。左後ろの側頭部が、じわりと痛み出す。精神的打撃から、絶食状態に陥っていたら?馬鹿野郎、考え過ぎだ。親父も付いているのだから、適切な処置を取ってくれている。

 問題は心理面だ。殺人における後悔の念はその瞬間ではなく、決まって遅れてやってくる。報告が多く寄せられているのは、殺しの直後の就寝時だ。記憶に殺害した人間の顔が刻まれ、延々と自己嫌悪の念がついて回る。自分の行動さえなければ、そいつも食事と睡眠を摂れる日々が続いたのではないか。戦火の果てに、いつか訪れるやもしれない安堵を共に享受出来たのではないか、と。自己の内側で増幅した負の葛藤に抑圧された結果が、廃人化と自殺である。旦那である以前に上官として、それだけは避けねば。ブリジットに言いたい事は山程あるが、如何なる懲罰行為も禁じられる。「馬鹿野郎」「くそったれ」は禁句だ。語彙の足りないおつむには、苦行でしかない。

 広大な八角形を、十分も歩いただろうか。胃腸がぎりぎりとねじくれた時分、一枚のドアの前でニーナは足を止めた。一直線に走る廊下の人通りは皆無で、足音が反響するまでに静まり返っている。付近の部屋は資料室に割り当てられているが、最近使用された形跡がない。床にも大きな綿埃が転がる始末だ。

 ニーナが錆び付いたドアを殴り、空虚な金属音を響かせる。内側から、親父の応答が為された。返事を聞く前にドアを開いた姉が、俺に顎で指図する。

「用事があるのは、あんただけよ」

 冷淡に言い放つと、ニーナは独り来た道を戻っていった。うちの姉様は俺に手厳し過ぎる。姉貴が開け放ったドアの先に、親父とブリジット、金属製のテーブルを挟んでショーンが座していた。弟の隣に空いたスツールがあり、そこへそっと腰を下ろす。四メーター四方の狭苦しい部屋には、テーブルとスツール以外の調度品が何もない。壁時計さえ設置されていない室内に、いたたまれない重圧が充満していた。ブリジットの表情に恐怖や不安に襲われている気配はなく、ただ固く口を結んでいる。少なくとも、会話の出来る状態にはあるらしい。

 言葉なくショーンが目配せすると、親父が厳かに口火を切った。

「前置きはなしだ、端っから本題に入るぞ」

「いや、こっちには前置きがあるんだ」

 片手で待ったを掛けると、親父は不服げに口髭をくねらせた。

「まず、ブリジットの一件が漏れない様、手配してくれた事に感謝している。世話を掛けてすまない」

 親父は聞こえない振りを決め込んでいた。

「……それからブリジット。お前は正しい行いをした。決して表には出ないが、国から賞賛される名誉を果たしたんだ。人を殺めた事実は変わらないが、連隊は絶対にお前を否定しない。いいね?」

 歯が浮く台詞だったが、誰も笑わなかった。ブリジットは目蓋を閉じて深々と頷き、唇を解いた。

「ヒルバート様のお気持ちはお受け致しました。ご心配なさらずとも、私は変わりませんよ」

 目を細めて微笑む彼女に、数年越しに会えた気がした。

「この度は、大変なご迷惑をお掛け致しました。お義父様には事後処理や情報統制に尽力して戴きましたし、主人に多大な心労を負わせてしまったのは、専属メイドにあるまじき不始末です。それを踏まえた上で、ヒルバート様に厚かましいお願いがあります」

 ブリジットは一つ大きく息を吸い、俺に向き直る。何を言われても、受け止める心構えは出来ていた。一拍置いて意を決した彼女の瞳には、力強い光が宿っていた。

「――私を、戦闘中隊に編入して下さい」

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