The S.A.S.【4-2】

 現地語の通訳という体でSASに潜り込んだブリジットであったが、そんなものはあくまでカバーストーリー、こいつが寄越された真の企図は明白である。不肖ヒルバート・クラプトンが抱える心的外傷には、完治という概念が存在しない。それ故に些事で調子が狂い、小隊長の責務を投げ出さないとも限らないのだ。取引先との商談中、重役が金星人と交信し始めたら、翌朝からそいつの部下はオフィスではなく職業安定所へ顔を出す必要に迫られる。

 金星人が俺を地球最初の窓口に選ぶ可能性は限りなく低いとして、第一六小隊は『指揮官の精神的脆弱性』という、致命的なリスクを孕んでいた。正直、どうして俺が未だこの役職を負っているのか判然としない。幸か不幸か、有事に最も効果的に作用する人材が、組織外にいた。「だから呼んだのさ」親父なら、そう言ってのけるだろう。連隊長は眉こそひそめたがお咎めはなく、D中隊にブリジットは好意的に受け入れられた。少なくとも、俺は輸送機で電子レンジをチンチンやらずに済んだ。

 数度の着陸と給油を経てキング・ハリド軍事都市に到着すると、彼女は本当にアラビア語の通訳として働き始めた。親父が隠れ蓑として用意したと思われていた肩書きは、偽りなく彼女の武装として機能していた。現地の欧米人よっか遙かに流暢かつ機知に富んだ語句を発し、彼女は基地で勤務するアラブ人とすぐに打ち解けた。アッラーを排斥しない・キリスト信仰を強要しない・素肌の露出が少ない通訳の存在は兵士の間で噂になり、米上層部と連隊の耳へフィードバックされた。この有能な通訳を飼い殺しにする行為は資本主義に反するとして、現地米軍将官は連隊に脅迫めいた打診を持ち掛けた。「うちの無能なボス共が中東に作った穴を、塞ぐ手伝いをしてくれないか」彼が生粋の大英帝国人であれば、こう言っただろう。「俺らの首領はいつだって間抜けだが、今度のは側近の意見も聞かねえ。ツケが回ってくるのは、いつだって現場だ。……ところで、そのお嬢ちゃんは中々優秀らしいじゃないか」で、相手から上申を引っ張り出す。少々回りくどいが、嫌味は時として気乗りしない交渉を円滑に欺騙してくれる。独立を勝ち取った米と、彼らに敗れた保守的な英。どちらの種族が優れているかではない。互いが自陣にとって、都合の良い選択を為してきた結果だ。

 さて、有能な米軍将校が経歴の不透明な英軍兵卒を、自国の愛国者に代わって重用する理由とは何か。ディープでナイーブな社会情勢が、この決定に関わっている。ニューヨークでの9.11直後、米国はアフガンとイラクに報復戦争を仕掛けたが、見切り発車の逆襲は周辺社会に禍根を残す結果となった。テロとの戦いに息巻くアメリカは、ベトナム戦争での過ちを繰り返した。東南アジアの以上に煩雑を極めるイスラム社会の扱いを完全に誤った米国政府は、抱え込まずに済んだ筈の厄介を被った。当初は国連の支援へ期待を寄せた現地住民であったが、国連の無策振りに、彼らは早々に見切りを付けた。彼らにとって「闖入者」でしかない多国籍軍は憎悪の対象となり、次第に国内のテロリスト勢力を支持する傾向が現れる。村社会の排他主義はウィルス性の病として爆発的に感染し、無辜の民は資本主義国家へ血の贖罪を求める暴徒へ変じた。自国の平和を愛した市民は今や、芸術的に不安定な均衡を崩したアメリカへの、潜在的なテロリスト細胞を内包している。他でもなく、アメリカが不注意にばら撒いた病原菌のせいで。

 ここで、アメリカの失態からイギリスの流儀へ話を移そう。アルマダ海戦でスペインの無敵艦隊を破ってからこっち、二十世紀の国家独立ブームまでイギリスが植民地大国でいられた根本には、単純かつ合理的な仕組みがあった。強大な兵力を有していれば、弱小な敵国の蹂躙は容易い。とはいえ、武力のみで数世紀に渡る栄華を維持出来るなら、現地政府は無用の存在である。戦争はあくまで領土を獲得する手段に他ならず、保護国の事後管理を怠れば、革命による政権転覆が待っている。革命の火種の早期な鎮火、或いは、そもそも保護国民に上位国家への不満を抱かせない仕組み。この情報操作めいた戦略を、英軍では『民心獲得工作』と呼ぶ。何だか無駄に格式張った聞こえだが、要は大英帝国が植民地に対して無害、かつ有益な存在であると、保護国の民に認識して戴く為の『お付き合い方法』である。げに、政治・経済は堅苦しくていけない。

 民心獲得工作の段取りだが、いきなり他国の大部隊が街に展開されては、何処の国とていい気はしない。アメリカは正にこの失態を犯したのだが、英軍は歴史的にこの類の任務に熟達していた。アメリカの要請で軍を動かしたイギリス――政府は軍の派遣自体を渋っていたのだが――は、通常部隊を海上運輸する間に、SASを含む小規模の特殊部隊を空輸した。娯楽作品の影響でどんぱちと暴言が役割とされているSASだが、強面の裏では知的な活動を展開している。第二次大戦後、東南アジアに共産ゲリラが跋扈するマラヤ連邦が存在していた時期には、密林の奥深くの小村を訪ね、栄養失調や御産に難儀する現地民を援助して良好な関係を醸成した。魔女狩り等の歴史遺産を鑑みると不可思議に映るが、西欧の変態らを森の民は手厚くもてなし、化学薬品による治療と給水設備を歓迎した。現地民と親交を重ねる内、彼らは圧政を強いるテロリストの束縛を脱し、政治犯の資金源や幹部の居所を授けてくれた。我々の先達は現地民と同じ物を口に入れ、彼らの言語で交流する事で、戦闘のみならず戦争に勝利してきたのだ。変態には、変態の強さがある。

 目下のサウジアラビアはオイルマネーでインフラが整っており、そもそもマラヤ連邦とは時代が違う。よって、適用される支援の形は異なるが、健全なムスリムとしてもテロリストは身内から摘みたい芽である。我々が極めて紳士的な態度で接すると、情報は自ずと向こうからやってきた。街中に潜むテロリストが網羅されると、特殊部隊は複数の根城を同時攻撃し、都市部のゴキブリの巣を壊滅させた。これ以降、少なくとも英軍は、キング・ハリド軍事都市近辺の市街から敵意を向けられる事はなくなった。これぞイギリス流の戦争である。小難しい話は嫌いだ。

 さて、ここでようやくブリジットの価値に理解が及ぶ。彼女は兵士である以前に女性であり、現地の女性の相手をする際に、反発される危険が低い。イスラム文化に対する造詣が深い事から市民の協力も得易く、簡便な諜報員としての運用が可能だ。民心獲得工作の肝要は、民衆を穏便に懐柔するところに置かれている。傀儡政府の機嫌を取るのは、時間と資産の無駄でしかない。

 ――と、そんなこんなでブリジットは連隊の台所を司り、基地で通訳に走り、最近では近隣の街の子供に座学を説く日々を送っている。護衛には米兵に加えて連隊からも最低ひとりを付けているが、それでも甲斐性なしの恋人としては心配だ。兵舎から一歩も出ずにいて欲しいが、彼女自身はこの生活をいたく気に入っているので、強く言えないのが実情である。正直、辛い。とは言うものの、ぼろぼろになって基地に戻れば、可愛い奥さんが夕餉を用意してくれているというのは、手放しに喜びたくはある。あの出来た嫁さんが、どうして俺に着いてきてくれたのだろう。付き合って一年半になるが、未だに真意が知れないままだ。

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