顔のない女

戸賀瀬羊

第1話

ある日夢を見た。


終電が行ってしまった後、駅のホームで、髪の短い女性がこちらを向いて立っている。僕は動けないままで、ただ彼女が少しずつ近づいてくるのを待っている。体がしびれたようになっていて声も出ないんだけれど、緊張しながらも、なぜか懐かしい気がする。


彼女はついに、手を伸ばせば届くくらいの距離に来て、そして立ち止まった。

橙の街灯が僕らを微かに照らす。


何分か、しばらくそうして見つめ合っていた。

僕はただただ懐かしくて、何が懐かしいのかもよく分からないんだけれど、なぜだか泣けてきて。でもまだ何も言えない。誰なのかも、思い出せない。


やがて彼女は僕の肩をぽんと叩いて「さよなら」とだけ言って、横を過ぎて行った。


はっと気が付いて振り向くも、誰もそこには居らず……そんなところで目が覚めた。


目が覚めて、現実でも泣いていて。

そして思い出した。あれは初恋のあの子だと。

短くも艶のある黒髪に、女性としては少し低く安心感のある声は、絶対そうだ。でも、どうしてもその顔が、思い出せなかった。


絶対夢に出てきたはずなのに、記憶のその顔はぼんやりしていて、顔のパーツのひとつだって思い出せない。


「大丈夫?」と隣で少しかすれた声がした。


早朝に飛び起きた僕につられて、妻も起きてしまったらしい。心配そうな顔をこちらに向ける。来月には子どもが生まれる予定で、妻は今情緒不安定気味だ。


「大丈夫、なんでもないよ」僕は微笑んで、最愛の人の髪をなでた。


でもそんな僕の頭には、初恋の人の幻影がこびりついて離れなかった。


何日もその状態が続いて、もちろん写真を探そうとしたけれど見つからなかった。共通の知り合いに聞いても写真も手に入れられず、連絡先も分からない。


夢の中でもいいからもう一度会えないだろうか。


そう望んだけれど、結局子どもが生まれても、その子が大きくなっても、会うことはできなかった。


それでもずっと、忘れることは、できなかった。






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顔のない女 戸賀瀬羊 @togase

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