Oscillatus 零 intrO

フナジュー

OP Return to ZERO

1-1a

;倉庫外

♫11 臨戦態勢



――日時は5月13日、14時47分。

場所は近郊、凪浜にある倉庫街の一角。


ここは時代の激流に取り残され、人からも見放された無機物の墓場。

錆びついた鉄骨は緑色に侵されて、海風が煽るたびに苦痛を叫ぶ。


普段であれば閑散とした境域なのだが、今日に限っては人溜りができていた。


♪武装集団の足音


或る者は盾を手に、皆の者は銃を携えて。

狩人に特有の、炯々とした双眼を尖らせる。


彼らこそ、警視庁第六機動隊第七中隊――

特殊強襲部隊SAT制圧一班トツイチの精鋭達だ。


♪ピーガガ


《一班、突入開始せよ》


司令部からの通信が、雑音ノイズを連れて駆け抜ける。


――開戦を告げる、静かなる怒りの定型文。


その合図と共に、彼らは倉庫内へと雪崩れ込んだ。



;倉庫内



――迅速に、かつ円滑に。

扇形の弧を描いていく黒兜の群れ。


その中心に、独り佇む少年の人影が在った。


漆黒より深い、闇黒の特異点。

陰暗とした衒気げんきを、幼き身と心に従えて。



その足元には、活き作りの亡骸が斃れていた。


遺された制服から、2人の警官であったことが伺える。

完全武装の彼らより先に、現場へ踏み込んだ憐れな殉職者。


しかし――――それらは既に、人型ではなかった。


言うなれば、血と滲出リンパ液の肉塊ミートパイ


1つは、頭部が柘榴と化していた。

溢れ出た赤と黄の果汁に彩られ、天に召された至高の一品。


そのかぐわしい死の香りに、総員の表情は険しさを増してゆく。


その隣には、これまた奇怪な人体模型トルソーモデル

2つで1人の解体新書ターヘル・アナトミア


――腰を境として、上下に分断されているのだ。


口からダラリと垂れた舌、そこに絡み付いた酸性の吐瀉物。

活き造りならではの、苦悶に満ちた表情を無惨に晒している。


引き千切られた切断面からは、脊髄や五臓六腑が露出して。

人肉処理を途中で放棄したような、哀しい絵柄だけが遺されていた。


そして、この悪趣味な創作料理をこしらえた張本人は。


…………嗤っている。


憑りつかれた様に、頬の筋肉を痙攣させて。

壊す玩具おもちゃが増えた――そんな楽しげな表情を浮かべながら。


この状況でなお、少年は哄笑を止めないのだった。


♫無音


「――――構え」


♪ジャカッ


極限状態の緊張を孕んだ、不可分体アトモスまでもが震撼する胎内で。

唯一の観客ターゲットに向けられる、お揃いの短機関銃インストゥルメント


そこには楽譜も、唄うべき感情もなく。

あるのは唯だ、任務遂行の一般意志のみ。



「――――撃てぇッ!!」


♪ズダダダダダダダ


一斉に放たれる鉛の豪雨。

その実体は、正義を貫く9mmパラベラム弾だ。


H&K MP5が奏でるのは、葬送曲レクイエムのユニゾンで。

撃鉄ハンマーの刻む四拍子が、雷管プライマーから推進薬プロペラントに爆音で伝わった。


指揮者コンダクターの位置を目掛けて、密集音塊トーンクラスターが物理で殴る。

空薬莢の副旋律サブメロディは、その遥か上の音域を掻き鳴らして。


残響音リバーヴは、時の流れを描き出す水彩絵の具。


時空を歪め、そしてただす。そこに色が生まれる。

永遠が一瞬となり、刹那の記憶を上塗りしていく。


音が彩る、冥界の葬儀。

それは、1つの芸術作品だった。



そして――――静寂は訪れた。

場の密度が、刻の濃度が薄れ始める。


30発を撃ち終えてなお、楽団員は構えを解かない。


《――こちら、司令部。

制圧一班、状況を報告せよ》


通信を受けて、各人の無線機が音声を散らす。



「こちら制圧一班、対象の無力化に――」



不意に途切れる言葉ボイス

無機質に流れる雑音ノイズ


硝煙が晴れていく、その向こう側に。




「…………失敗、しました」



かの生贄は、立ち竦んでいた。


まるで、何も無かったかの様に。

否――何でも無かったという風に。


相変わらず、壊れたように肩を揺らしている。


しかし明らかに、何かが起こっていた。


地面に散乱した銃弾は、線条痕を除けば一切の穢れなく。

標的の半径約1メートルを、弧状に取り囲むように転がっている。


そして――最大の疑問点は。


闇より暗く、黒より深い。

宙を泳ぐ、球体の存在だった。


それは夢でも、幻でもなく。

紛れもない実体として、浮遊している。


塁球ソフトボールサイズの闇黒が3つ。

電子軌道Electron orbitalを描いて、高速で回っているのだ。


そして硝煙の中、隊員たちが両眼で捉えた光景は雄弁に物語る。

闇黒に触れた弾丸が、呆気なく勢いを削がれて落下したという事実を。


底無しの黒洞ブラックホールとは、似て非なる超常現象に。

その場の誰もが、沈黙せざるを得なかった。



……ただ1人、その操り手を除いては。



「――失せろ、邪魔だ」


♪ブグヌァァン


少年の右腕が纏うのは、宇宙開闢の第五元素クインテッセンス

それは即ち、「無」そのものであった。



♫クロウ



反撃の第二楽章は、無慈悲で荘厳なアリアの調べ。


先程まで威勢に満ちていた小編成楽団オーケストラは、絶望の色へと打ち拉がれて。

使い物にならない楽器を抱えた、ただの観客に成り下がったのだった。


だが不幸にも、彼らの志は高く。

本能の告げるまま、逃げ出す者は皆無で。


「――――無に、還れ」


小隊の最前列が、バリスティック・シールドごと吹き飛ばされる。


爆音も、閃光も無く。

ただ空間を、重力を捻じ曲げて。


崩壊する短機関銃サブマシンガン

炸裂する防弾胴着ボディアーマー


無意味な絶叫は咽喉こえが枯れるまで。

無価値な闘志は血脈いのちが尽きるまで。


天にまします我らの父よ 願わくは御名を崇めさせ給え

Pater noster, qui es in caelis, sanctificetur nomen tuum.


圧倒的な不条理が、劇場を塗り潰して。

瞬く間に、地獄絵図が出来上がっていく。



――彼は、歩く大災害カタストロフ


この侵攻を止められる者がいるとすれば。

それは即ち彼と同じ――いや、それ以上の――――。




;倉庫外



「制圧一班からの通信…………途絶しました」


倉庫入口から80mの位置に、鎮座している四つの車輌。

その内の1つ――衛星通信車は、しばしの沈黙に陥っていた。


「……何という事だ…………。我が国の誇る最強の部隊チームを、

子供1人が圧倒するなど――あってはならない! 決してだ!!」


禿頭の指揮官は、戦慄わななく唇で吐き捨てる。


「直ちに増援を向かわせろ。決して野放しにする訳にはいかん!

何としてでも、この区画で食い止めるのだッ!!」

「…………ですが司令、現に戦力差は示された通りです。

何か有効な策を講じなければ、あの異能力者μterを止めることは……」


「銃が効かないのなら、倉庫ごと崩して処理するしかなかろう。

よし――待機中の二班に、爆弾C-4の設置を急がせるのだ!」

「……はっ、了解しました!」


「くそっ、あのバケモノめ…………」


怒りと焦りで力んだ拳が痙攣する。

そこで初めて彼は、膝までもが震えていることを自覚した。


未知なる能力に対して、これ程までに兵器が無力だとは。


――何たる失態。何たる醜態。

この案件、如何様にして上へ報告すれば…………。



「司令、外部からの緊急通信です!」

「――――発信元は?」

「それが…………警視庁公安部から、の様でして……」

「この期に及んで本庁から通信だと――?

…………分かった、繋いでくれ」


♪ピー ガガガ


《指揮官、聞こえるか》

「……貴様、何者だ。

所属と名前を言いたまえ」

《公安七課、係長の滝代だ》

「――――っ! 許可もなく、我々の通信に割り込むとはな。

部隊を去ったお前が、今さら何の権限があって――」

《与太話なら祝杯をあげてから聞いてやる。

……時は一刻を争う。このままでは、貴官の部隊は全滅を免れんぞ》

「…………要件は何だ」

《今から俺は、単独で現場の援護に向かう》

「何だと!? お前――――正気か?」

《俺が敵を制圧するまで、余計な手出しをさせないよう通達してくれ。

二班の突入も、狙撃も禁止だ。分かったなら許可へんじを戴きたいのだが》

「……待ちたまえ! お前がRECTUS随一の武闘派であるとは言え、

その要請はあまりに無謀が過ぎるぞ! いくら何でも認める訳には――」



《…………11点。まるで話にならないな》



《あの日、俺は誓ったんだ。この力を全ての人のために使おう――と、な。

それが俺の為すべき正義であり、貫くべき使命だと今でも信じている》

《だから本件でも、誰も死なせるつもりはないさ。

市民も、仲間も――――俺自身も、な》


「……その言葉、口先の譫言うわごとでないと証明できるのか?」

《ああ――根拠なら、5分以内に御覧に入れて見せよう》

「…………5分だな。――分かった、良いだろう。

それまで倉庫の爆破は保留とする……が、時間を過ぎたら保証はできない。

その時は生存者の救助を最優先とするから覚悟しておけ」


《――――そんな覚悟、するだけ時間の無駄だと思うがね》



♪ブチッ



「滝代……あの命知らずめ…………」

「良かったのですか? あの者に指揮権を与えてしまって……」

「今は、彼の働きを信じて待つしかない。じっくりと拝見させてもらおうか。

公安七課RECTUS工房アトリエと呼ばれる男、フラスブレザーの職人技を――な」


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