八咫烏のパレヱド。
藍沢篠
八咫烏のパレヱド。
狡さに還元されてしまった感情の欠片というものは、いったいどこに流されてゆくことになるのでしょうか、と、溝臭い土手の道を歩きながら、私はふと考えていました。
なにもかもが淘汰されてしまったような感覚さえも覚えるこの小さな街では、空も蒸気に濁ってしまい、青く見えることはまったくありません。その癖、未練がましいとさえ思えるようではありますが、烏の群れがゴミやら死んだ生きものの肉やらを食いちぎり、まるで地獄からの使いであるかのように、その真っ黒な羽や嘴をひからせているのです。
この街は、いわば墓場であり、棺の中に閉じ込められた存在であるともいえましょう。そして、そんな街を歩いている私にしたって「私、死んでなんかいません」と、声を大にしていうことはできないのです。なにしろ、私が私であり、ここで呼吸をしているという意味が、どうしてもわからないのですから、このこころはおそらく重症なのでしょう。
時折、私の首は、なにかが食い込んでいるかのように、焼けつくように痛みを発することがあります。しかし、首筋を撫でてみた所で、返ってくるのは滑らかな感触ばかり。結局の所、私を廻る現状というものは、不透明で、まともに見えてなどくれないのです。
暗い空の下、溝川の畔を歩き続けること、しばらく。私は川べりにひっそりと佇む、小さな墓碑の前へと辿り着いていたのでした。
そこには、誰が置いていったのかも定かではない、腐りかけた蜜柑がひとつ、供えものとして置かれています。傍らに立てかけられた花束はすでに枯れかけ、しかも悪趣味なことに、シクラメンの花という惨状でした。
本来ならば誰もが目を背けてしまうであろう、ぞっとするような風景の中に、私は立っています。そして、ほんのわずかではありましたが、小さく、くすり、と笑いました。
墓碑に刻まれている文字は、残酷すぎる現実を伝えてくるというのに、私はどうしても笑みを零すことしかできなかったのです。
『鴉野夕 十七歳 ××××年×月×日没』
これはどうやら、私のお墓だというのですから、本当におかしな、もはや滑稽を通り越して、呆れるような冗談だと思いました。ここにいるというのに、私はどうやら死んでいるらしいという、不可思議な現象を前に、どうすればいいのかがわからなくなった末、私はただただ、道化師のように、笑うことしかできなくなってしまっていったのでした。
お願いですからどうか、嘘だとひと言、誰でもいいですから、私に向かって笑ってみせてください。それだけいただければ、私はもう十分ですから。ここに確かにいるとわかるだけで、満たされた気持ちになれますから。
こんなに半端な彷徨なんて、狡いではないですか。生きているとも死んでいるともわからないような、どうしようもなく曖昧な状況なんて、望むはずがないではないですか。
そんなことを思っていた、その時でした。
不意に頭上が一気に暗くなり、なにごとかと思わされました。見上げてみると、蒸気に濁り、わずかな西陽だけを降らせていた空を覆い尽くすかのように、無数の烏が飛んでゆくのです。その烏たちをよくよく見つめてみると、どうやらどの烏も三つ足の個体ばかりであるという、なんとも不思議な光景です。
遺伝子かなにかの影響で、変わった個体が生まれることがあるということくらいは、すぐに思いだすことができましたが、それにしても、そんな異常個体が群れを成しているという現実の方が、遥かに異常な現象です。
そういえば、神話に登場する三つ足の烏は「八咫烏」と呼ばれていたのでした、ということを、私は不意に思いだしていました。
確か、八咫烏は神話の中で、帝といわれた存在の誰かを導いた、神の使いの鳥、などと語られていたのではなかったのでしょうか。そして、太陽の神の化身であったのだとも。
そうだとするならば、この八咫烏の群れというのは、私にとってなにか深い意味を持つのでしょうか。私は確かめたくなりました。
そして、八咫烏たちが空を横切る様子を見つめているうちに、私は気づいてしまいました。向かっている方角が、いままさに太陽の沈もうとしている、西の方であることに。
西方浄土などというように、死後の世界は西にあるのだと、祖母から聞いた覚えがありました。つまり、八咫烏はいま、私を死後の世界に導こうとしていて、それは結局、私がとうの昔に亡くなった存在である証ということに、そのまま繋がってくるのでしょう。
首に残った痛みの感覚は、おそらく……いや、これ以上は語らないでおきましょう。思いだせば、きっと目を背けてしまいます。
いま、私にできることは、私が死んだという現実を噛み締めながら、地獄の使者でも、太陽の使者でもある烏を見つめることです。
そう思い、私は狡い空を眺めていました。
世界の色は、間もなく夜に落ちそうです。
<了>
八咫烏のパレヱド。 藍沢篠 @shinoa40
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