らぶりつください

楓 双葉

花びらのようにちぎったティッシュペーパーに糊をつけ、頬に一枚づつそっと貼っていく。手鏡で作業していた麻衣は顔をあげ、洗面台の大きな鏡で出来栄えを確認し、満足そうにうなずく。

手鏡とティッシュペーパーをカバンに直し、新たに取り出した血糊のキャップを開く。薬指の先に赤いインクをつけ、頬に貼ったティシュの欠片に叩くように少しずつ塗っていく。

「綺麗な傷にしたいんだ」

麻衣が言う。

優奈は答えず、手鏡に映る自分の額に、黒のアイライナーで斜めに線をひく。

麻衣は血糊のついた手を止め、「なんで黒なの?」と優奈に訊く。

「黒で線描いてー、上から重ねて赤塗った方が本物っぽくない?」

「あー、優奈頭いい。美術の成績良かったもんねそういや」

血糊を塗っている麻衣の指に、赤いインクに染まったティッシュの欠片がついている。

「はがれてきちゃう」麻衣が言うと、「ちょっとかしてみ」と優奈が血糊のインクを麻衣から取り上げる。

ハロウィン当日の31日は平日でバイトがあるから、3日前の土曜に仮装して渋谷に行こうと麻衣が優奈を誘った。

駅の公衆トイレで仮装メイクする麻衣と優奈を迷惑そうに見る婦人が出ていき、次に入ってきた黒ずくめの服装の若い女は二人をチラリと見たあと個室に入る。

思い描いていた傷メイクには程遠い出来ばえだったが、赤いゴミが貼り付いているだけにも見える、ただれた皮膚のメイクを施した麻衣が「すごくない?本物っぽい」と喜んでいたので優奈も自分のメイクを切り上げ二人で公衆トイレを後にした。

スクランブル交差点に出ると、台風が近づいている影響か風が強く、傘を差すほどではないが霧のような雨が降り続いている。それでも週末の渋谷はたくさんの仮装した人たちで溢れかえっていた。

「マジで雨つら」

「さむ!」

悲観的な言葉とは裏腹に、麻衣と優奈は高揚し、笑いながら交差点を渡り終え行く宛もなくジグザグとうろつく。

「写真撮ろ」と麻衣が言い、ファミリーマートの前で立ち止まり、スマホのレンズを自分達に向ける。麻衣のスマホにはミッキーマウスのイヤホンジャックがささっていて、優奈はそれをダサいと思ったが言わなかった。

「インスタとTwitterあげていい?」

スマホについた雨の滴を拭きながら、麻衣が慣れた手つきで写真をネットにアップする。

「これはあたし史上最高のファボ数になるかもしれない」

麻衣が自慢げに言う。

「あぁねー」優奈の返事はそっけない。

「見て」

麻衣がスマホの画面を差し出す。

優奈は差し出された画面に映っていた、麻衣のTwitterアカウントのツイートを読み上げる。

「……つらたん」

「82ファボ」麻衣が自慢げに言う。

「愛されてるぅー」

「そそ、ファボリツは愛だからね」

「ははは」

優奈はわざとらしく笑い、大げさに手を叩く。ミニオンの仮装をした若い男が「ナースかわいいー」と優奈たちに叫ぶように言い、後ろから連れの男たちがやめろよと笑いながら止めに入る。

先に歩き出した麻衣を追いかけながら、優奈は雨に濡れた前髪を気にして指で整えた。

「……愛ってなに」

麻衣が急に立ち止まり言う。

二人を避けるように人が通りすぎて行く。

「急にガチ」

優奈は半笑いで麻衣の顔を見た。

深刻な表情で遠くを見たまま動かない麻衣の頬には、雨に濡れた赤い血糊が涙みたいに不気味に垂れている。優奈は「もっかい写真」と自分のスマホを掲げ、我に返った麻衣は優奈のスマホのレンズに向かって上目遣いに表情を作る。

二人で撮ったナースゾンビ姿の写真を添付して、優奈は【#らぶりつください】とタグをつけツイートした。

そのツイートにすぐにひとつ目のいいねがつく。となりでスマホの操作をしている麻衣からだった。

麻衣はミーハーで、イベントごとが大好きで、ちょっと頭が悪い。

けれどとても優しい。麻衣が怒っているところを見たことがない。

そして優奈をいつも褒めてくれる。羨ましいといつも言ってくれる。

だから優奈は麻衣が好きだ。麻衣といると自分に自信が持てる。

優しい以外にも麻衣の良さはほかにもある。どこがと聞かれるとわからないけれど、麻衣のTwitterアカウントには優奈の何倍ものフォロワーがいるのだから、そのことが麻衣の良さを証明していると優奈は思っていた。

麻衣がそのフォロワーの中の数人と関係を持っていることは知っているが、そんなことは誰でもやっているし自分もチャンスさえあれば誰かに出会いたいと優奈は思っている。優奈にはその機会が無いだけだった。

愛が何かなんて知らない。知る訳がない。真剣に誰かを好きになったことすら無いのに。そんなことを考えながら、優奈は麻衣と雨の渋谷を歩き続けた。


翌日優奈は麻衣に教えてもらったマツエク専門店の入る雑居ビルにいた。初めてのマツエクを終え化粧直しをしたあと、古びたエレベーターで地上階に降りた優奈は、手鏡がわりにスマホのインカメラを起動し自分を見た。スマホを持つ手を調節し、よりまつげが長く見える角度で自分を撮る。Twitterを立ち上げ写真を添付すると、数秒考えてから「渋谷ぼっちなう」とツイートする。

数店のファッションブランドを見て回り、ビルの綺麗なトイレで用を足した後Twitterを開くと通知がある。DMに通知があり誰からかと開く。

麻衣と撮ったナースゾンビ姿の写真を添付したツイートにリプをくれた7trkだった。

――渋谷でぶらぶらしてるから良かったら飲みませんか。

スマホを閉じ、読まなかったことにして駅へ向かおうと歩き始めた。しかし目の前の交差点の信号の青が点滅し始める。走れば間に合ったけれど優奈は走らなかった。

会ってみたい。いや、会ってみよう。唐突に、けれど強く、優奈は思う。

会おうと決めたとたん心臓が激しく鼓動をうつ。スマホを取り出し、DMの画面を再度開く。「いいですよ」と文字を入力し、優奈はにやける。顔をあげ、周りを見渡し赤信号が青になる前に優奈は来た道を引き返した。

いつもなら無視していたフォロワーからの誘いに応じる気になったのは、マツエクをして気持ちが上がっていたせいもあるが、ナースゾンビの写真に「可愛いですね」とリプをくれたとき7trkのホームで画像を遡ると、上げていた自撮り写真が好みの顔だったことを思い出したのだ。

「6時にハチ公でどうですか?」

「嫌いな食べ物はありますか?」

「デニムに紺のアウターを着ています」

少し沸いた怖い気持ちもDMでの丁寧な待ち合わせのやり取りをするうち消えていった。

指定された場所に5分遅れて着いた優奈は、自分の服装を黒のスカートにグレーのトップスと申告したけれど、白いコーディガンでそれを隠した。

待ち合わせ時間が近づくにつれてまた怖くなってきた優奈は、こちらが先に7trkを見つけ、万が一気持ちが乗らなかったら帰ってしまおうと思った。

辺りを見回したが7trkは居なかった。さっき送られてきた7trkの首から下の自撮り写真を確認する。

待ち合わせ場所とは少しずれたところに隠れるようにいる男が写真と全く同じ服装をしていた。

男はうつむいてスマホを見ている。優奈は彼をじっと見た。絶対そうだ、思った瞬間男は急に顔をあげ、優奈は男と目が合う。

目をそらすことが出来ず、優奈はコーディガンで隠していた黒とグレーの服装が見えるよう前を開く。

男はホッとしたような一瞬表情を見せたが、固い表情を作り直し優奈へ歩み寄る。

「ユウさん?」

「はい」

「はじめまして」

きちんとスタイリングしてある黒い髪。眼鏡とグレープフルーツのような薫り。

優奈は7trkの顔を直視できず、うつむいたまま歩き始めた彼の後をついて歩く。

「嫌いな食べ物ある?」

「いえ」

「酒飲める?あれ、未成年だっけ?」

「あ、二十歳です。あの、ちょっとなら、飲めます」

少し高圧的な話し方が気になったが、任せてしまったほうが楽だと思った優奈は7trkに素直に従い彼の案内した店に入った。

「好きなもの注文していいよ」7trkが言う。

優奈はメニューを見る。

コースは驚くほど高い料金が書いてあり食べきれる自信がなかった。

単品にするならパスタかと思ったが、正直パスタの気分ではなかった。

「何にするんですか?」

困った優奈は7trkに言う。

「俺?俺はあんま腹減ってないから。グラスワインだけ飲むわ」

え、と優奈は思う。しかしすぐに「飲みませんか」というメッセージの内容を思い出す。

確かに一緒に食事しようとは書かれていなかった。けれど食事を済ませているのならせめて、自分の食べたいものがある店を選ばせて欲しかったとも思う。

「ピザにします。一緒に食べてくれます?」

「あぁ……だね、ピザなら少しくらいは」

「じゃあ選んでもらっていいですか?私嫌いなものないんで」

優奈がお願いすると、「じゃこれでいい?」とマルゲリータを指さす。

優奈が返事する前に7trkは店員を呼んでいた。

注文を終えると7trkは黙ったままこちらを見ようともしないので、優奈は遠慮なく7trkを見た。

Twitterの自撮りで見た顔と同じなのに、実物はなぜか垢抜けない感じがした。

社会人だと思っていたが、大学生かもしれない。何か話しかけようと思ったが、「ななてぃーあーるけいさん」と呼ぶのはおかしい。

なんと呼びかければいいのだろう。

優奈が考えていると7trkが「よく来るの?こういうの?」と優奈に話しかけた。

「え?ここは初めて来ましたけど……」

「いや、じゃなくてさ、こういう誘いに応じるのかってこと」

少しイラついた様子で7trkが言う。

「いえ、初めてです。初めてなんで、どんな人が来るのかちょっと怖かったです」

優奈は正直に話す。

「あっそ、俺も初めて」

訊いてもいないのに7trkは言う。

テーブルにワインが運ばれ、優奈の頼んだカシスオレンジのグラスと合わせ、小さく乾杯する。

「なんて呼んだらいいですか?」

優奈は訊く。7trkはすぐに答えず、手で口元を抑え考え込むような表情をする。

「ななてぃーあーるけーさん……って呼びにくいんで」

「いるかな?」

「は?」

「ほんとの名前とかいる?」

「え」

「あー、長くて呼びにくいなら『ナナ』でいいよ」

7trkが答え、優奈は少しイラッとする。

まるでこちらが一方的に好意を寄せて、それを拒否されたようではないか。

「じゃあナナさんて呼びますね」

本当の名前を知りたかったのではないと強調するために何か言おうと思ったが、適当な言葉が浮かばなかった。

運ばれてきたピザのうち4ピースを7trkが食べ、優奈は3ピース食べた。

皿には冷えたピザが1ピース残っていた。

「これからどうする?」

7trkが言い、優奈は少しぎょっとする。

けして盛り上がったとは言えないこの出会いに、続きがあるのか。

「任せますけど……」優奈が言うと「二人きりになれるとこ行く?」と7trkが目も合わせずに言う。

優奈は笑いがこみ上げる。

この男は私と関係を持とうとしているのだろうか。初めからそれが目的だったのか。決して慣れた様子ではなくむしろ緊張感漂う表情で、でもそれを悟られまいと必死に強がっている。童貞ではないにせよ、経験豊富とはとうてい思えないような誘い方で。

「いいですよ」笑いを何とかこらえ、無表情を作り優奈は答える。

「いいんだ」怒ったような顔で7trkが言う。

「うん、フフ……いいよ」今度は少し笑ってしまう。

「最悪だな」

「は?」

「いくわけねぇだろ、馬鹿かよ!」

怒鳴るように言うと、7trkはテーブルの上の伝票をひったくるように取り、椅子に掛けていた上着も乱暴に持ち出口へ向かい清算を済ませる。

その様子を固まったまま優奈は見ることしかできない。

「ありがとうございましたー」と7trkが店員に見送られる。

テーブルには空になった2つのグラスと1ピースの冷えたピザ。

「なにあれ」

言いながら優奈はピザに手を伸ばす。

冷めているのにピザはまだ美味しかった。

咀嚼しながら優奈はスマホを取り出す。

Twitterの画面を開き、何か文字を打とうとするが止め、スマホの画面を閉じる。

「Twitterこわ」

言葉とは裏腹に自分が笑っていることに気づき、優奈は店員を呼び、さっき7trkが飲んだものと同じグラスワインを頼んでみる。








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