25―3
リリが根城にするカニールガーデンの一室。 いつものように、そこに光が現れる。
光が消えた後には、音吏。
「はぁ……」
わざとなのか、窓際の方から大きいため息が聞こえた。
柔らかな椅子に浅く座り、立ち並ぶビルを窓越しに見つめるヤーニである。
シオンを亡くしてから三日間。
リリは、自身が作った思念世界に閉じこもり、ここにはずいぶん来ていない。
ヤーニは姿を見せないリリを憂い、いつもこうして物思いにふけっていたのだった。
音吏は、そんな憂鬱に歩み寄る。
「あ、音吏! リリはどうしてる?」
待ってました、とばかりに大声が。
音吏は騒ぎ立てないよう、何も言わず首を振る。
ヤーニもまた、何も言わず再び肩を落とし、椅子に腰を下ろした。
リリの憂鬱により、アセンションの計画は停止していた。
シオンを失った悲しみに打ち拉がれ閉じこもるリリには、とてもアセンションの事など話す余裕はなく、音吏はただ途方にくれていた。
そして、生みの親の憂鬱につられ、毎日ここで溜め息を付くヤーニもまた、音吏の悩みの一つだった。
残る戦力であるクルトも、一時的にメンバーから抜けた状態であり、戦力は大幅に削がれていた。
このままでは計画に支障が出ることは必須。 音吏は思い、椅子に根を張ったヤーニに向かい、口を開いた。
「君は、アセンションとはどういうものか知っているかね?」
ヤーニは、けだるそうに首を縦に振る。
「アセンションは、世界に存在するエゴや業を淘汰し、より良い精神世界へと上昇させる行為…… もう何度も聞いてるよ」
態度の割にやけに詳しくヤーニは言った。 意外に思いつつ、音吏は再び問いただす。
「ではなぜ我々がアセンションにこだわるか、考えた事があるかね?」
その問いは、ヤーニの首を傾げさせた。
狙い通りの反応。音吏は、次の一手を進める。
懐から一冊の黒ずんだ本を取り出す。そして、それを読むよう促した。
ヤーニは「訳がわからない」といった表情、さらにそこに「仕方が無い」という表情を重ね、本を受け取った。
が、絶妙なバランスの表情は、本を捲るたびに変わっていく。
「ひどいな、これ……」
読み終えた手は震えていた。
怒りや悲観。表情には、それらが如実に表れている。
旧文明時の、人が人を無惨に殺める過程が如実に記されたそれは〝真死録(しんしろく)〟と名付けられた本。
ワンダラー達の、ある意味〝生前〟の〝死因〟を記した代物である。
立ち上がったヤーニに対し、音吏はさらに話を続ける。
肉体を破棄した魂(霊体)は、高いエネルギーで形成された存在。それらはワンダラーとして進化を果たす場合がある事。
だが、全ての霊体が進化を果たせる訳ではない。人々の悪意や業をその魂に深く刻み、かつ世界の進化を望む者でなければならない事。
「この真死録は、まさにその業を刻んだ魂を記述したものだ。
解説し終えた調子をそのままに、カーキ色のページを数回めくる。
「ここが、リリの事を記した部分だ」
その後、クルト、シオンの部分とページを開き、滔々(とうとう)と話を始めていく。
「ワンダラーとなりうる魂を持つ者は、誰かが導かない限り、暴走し、自我を無くす。今のインディゴのようにな」
その後、真死録の始めのページを見開いた。
とある争いの中、四股や五感、殆どの臓器を失い、肉塊と等しくなって生かされ続けた者の末路。書かれていたその内容の人物、それが音吏であった。
「五感を失っても意識はあった。だが、生かされたその後は、自分の意志ではどうにもならない暗闇の地獄。その中でただ一つ、死ぬことだけを望んでいた。だが、それすらも許されず、何一〇年もの間暗黒の世界に投げ出された」
自身の事を話すのは久しぶりだった。
重い話であるはずが、つい〝陽気〟になってしまう自分に気付く。
「ある日、暗闇の中に光が生まれ、やがて音が聞こえ始めた。それがなにか解らなかったが、感激に身を震わせたのを覚えている」
直接脳に話し掛ける声。それは、未来から送られてきたテレパシーだった。
音吏に対し、進化の可能性がある者だと告げた声の主は、やがて地球に起きるという滅亡のシナリオを予告し、警鐘を鳴らした。
ネメシスが飛来し、地球は崩壊を迎える事。 だが、飛来する際に発生するエネルギーは、同時に人類を新たな次元へと昇華させるという事。
そのエネルギーを直接取り込むには、肉体を捨て、かつ強い意志を持つ必要がある事。
その者の名は、ワンダラー。世界を導く新人類の先駆者。
「彼は、私にワンダラーとなり、その後ワンダラーになりうるであろう多くの魂を導くよう促した。私は肉体的な死の後、その通りに行動した」
音吏はワンダラーを探し、覚醒したワンダラーもまた、新たな芽を見つけ、着実に数を増やしていった。
全ては、世界を変えるという理想の為に……
ヤーニは、黙って話を聞いていた。
普段は長話を嫌うはずだが、今回はずいぶん熱心である。
「解った。そんなに重要な事なら、僕も真剣に手伝わないとね」
不意に立ち上がり、ヤーニは声を張り上げ宣言した。
やる気の武者震いか、身は奮い立っている。
そのままテーブルに置かれた冷えたコーヒーを手にし、一気に喉へ流し込む。
音吏の目に、苦さでもだえる姿が映った。
甘味のないその味は、ヤーニを別の意味で震え上がらせたのであった――
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