23―4

 死地からの逃走。

 安堵、焦燥、怒り…… 本来起こるはずの感情たち。

 だが、今のシオンに起きるのは、全く別の感情だった。


(なんだここは?)


 動揺、混乱、戸惑い…… 眼前に広がる、遮るものがない真っ白な虚無の空間が、それらを湧き上がらせていた。

 ジョウントタグでリリの元まで移動したはず。

 にもかかわらず、明らかにここは違う場所。

 と、一〇〇メートルほど先の空間に、わずかな揺らぎが起きる。

 程なく後、黒い短髪の老人が現れた。

 見覚えのない者だったが、シオンは直ぐに察する。

 この男は、ジョウントタグの精度を鈍らせ、この空間に強制的にリンクさせたのだと。

 そして理解する。タイミング的に、ザックの協力者だと。


「……簡単な話しをしよう。私は直ぐに貴様を葬り、ここから抜ける」


 得意の歪んだ笑みが出る。

 ザックとの戦闘は、完全なる敗北だった。

 しかし今は、怒りより喜びが勝っていた。

 戦いの中つかんだ、ザックに関する重要な事実。それが、苦杯を甘露(かんろ)に変えていた。


 歪めた笑みを浮かべたまま、瞬く間。対峙する老人の間合いに詰め寄り、左右の拳をリズミカルに交互に打ち出す。

 計六打。大きく吹き飛んだ老人より早く、その先に回り込み、頭部を目掛け、勢い良く踵を落とす。

 勝負はあっけなく付いた。

 だが、シオンはうつ伏せで倒れる敗者に対し、敵意を消さない。


「……気が変わった。もう少し時間を掛けて遊んでやろう。簡単に逝けると思うなよ」


 殺気が、陽気に変わる。

 地に横たえた頭に足を乗せ、罵倒を浴びせ、蹴り飛ばす。

 感触が残る内に、さらに追い討ちをと、ペーストタグを綴り、凶器を複数取り出した。


「鋸、金槌、ナイフ…… 全て旧文明の蛮人が好んだ嗜虐の品だ。何で痛め付けられたい?」 


 と、言いつつ「面倒だ」と思念で全てを操り、倒れる老人に放り投げる。

 が……


「な、に……!」


 シオンは短い悲鳴を上げた。

 凶器のナイフ。

 その切っ先が通った先は〝自身〟の両足。

 訳がわからず、そのまま膝を付く。

 低い視線で見上げる先に、倒れていたはずの男が映った。


「残念だよ、シオンさん」


 放たれた声は、老人には似つかわしくない少年のものだった。

 その声色を、シオンはよく知っていた。


「ヤ、ヤーニか」


 この時、さらに気が付く。

 周りが草原に変わっている事、老人の姿をやめたヤーニの後ろに、三人の見慣れた姿がある事に。


「リリ、これで解っただろう」


 右側に立ったクルトが話す。左側には俯く音吏、中央には…… 涙を浮かべ萎縮した様子のリリが居た。

 その悲壮漂う様相に、有無を言わさぬ迫力を感じ、シオンは押し黙る。


 動揺、混乱、戸惑い…… 先刻同様、わき出る感情。そこに新たに加わる、罪悪感。

 状況はすんなり把握出来た。

 ヤーニのキャプチャーを使い、自分の行動を仲間の目に晒す…… クルトの策略だとも理解出来た。


「シオン。お前から強いネガティブオーラが確認できる。おまえはディセンションの影響を受けてるんだよ」


 悲観の声で放たれた内容は、ディセンション抑止の対象者という事を意味していた。


「シオン。わたしはダメダメなワンダラーだね。身近な人さえ導けないなんて」


 リリが、そっと右腕を伸ばし、掌を向ける。

 握手のように、導くように差し出される右腕。

 それは思念波の構え。暖かさはまるで無い。

 しかし、敵意もまた、無かった。


「誰よりも真っ直ぐで、誰よりも役目に熱心で、ちょっぴり頑固で…… そういう所は昔から変わってないんだから。シオン、ご……」


 構えた右手は力なく下ろされる。

 両膝も地に落ち、目元からも情が落ちる。

 シオンは言い出す言葉が見つからない。

 ただ一つ、まざまざと感じるのは、リリを悲しませた、その事実。

 泣き出したリリに変わり、今度はヤーニが前に立ち、思念波の用意を始めた。


「……ここは、俺に任せてくれないか?」


 クルトが制止する。

 ヤーニは短く頷いた。直後、音吏と共に泣き崩れるリリを連れ、思念の世界を後にした。


 気がつけば、一対一。

 向かい合うのは、かつての好敵手。

 この状況で、ようやくシオンは冷静になれた。


「……最期に貴様との優劣を決めるのも悪くはないか。」


 見上げた先に、澄んだ空。思念の世界のものとはいえ、いい選別だと、かすかに笑う。

 そして、動くことを拒否する足を無理に進ませ、獅子奮迅。


 眼力から思念波を放ち、クルトが受けの体勢へ入ったのを確認すると、大きく舞い上がり、再び二発の思念波を放つ。

二発とも両手で防がれたが、同時に巻き起こった土煙で視界を鈍らせることが出来た。

 宙からクルトの元へと着地。すぐに右拳を打ち付ける。

 が、そこにはすでにクルトは居ない。

 と、急に視界が晴れていく。

 代わりに、宙を漂う砂の粒子が一カ所に集まり、一つの巨大な岩となって現れた。


(……面白い)


 向かってくる生体磁場を纏った巨岩を、シオンはラインタグを鞭状に振るい砕く。


「甘い!」


 砕かれた岩の中から、クルトが乾坤一擲(けんこんいってき)とばかりに現れた。

 虚を付く行為。さすがに咄嗟の判断を見失い、シオンはたじろぐ。

 突剣が迫る。

 胸元に、突き刺さる。


「視界を塞ぎ、一気に攻め込む…… 貴様の常套手段だったな」


 勝負は決まった。

 シオンは素直に負けを認め、地に伏した。

 仰向けで望む先に、見下ろすクルトの顔が広がる。

 これまでいがみ合った者の残状…… さぞ晴れやかな顔つきだろう。

 だが、違った。どこか後ろめたそうな表情だった。

 それを知った時、自然と言葉があふれてくる。


「解っていた。自分自身が、蛮人と蔑む者達と等しくなっていく事を…… だが、止められなかった」


 不思議と不快感はなかった。むしろ清々しささえあった。

 力を振り絞りタグを書く。

 それは、対象者の魂を無間に続く強い重力場へといざなうループタグ。

 上空から落ち続ける感覚を永遠に味わうことになる、かつては拷問用に用いられていた禁忌のタグである。


「自分の業は自分で浄化する。それがリリを泣かせた私の償いだ」


 クルトの呼び止める声が聞こえた気がした。

 シオンはそのままなにも言わず、ループタグを受ける。


「さらばだ」


 無間に続く重力場に身を投じたシオン。

 表情には恐怖はない。

 体に感じる風を心地よく感じたのはいつぶりか…… そう思考した時、在りし日の記憶が脳裏に浮かんだ。

 リリに手を引かれ、新たな一歩を踏み出した日……


(そうか。あの時ぶりか)


 やがて、シオンはゆっくり目を閉じた――

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