23「夜の花」

23-1

 青く輝く海を見つめ、少年は一人、崖の上に立っていた。

 潮風が波飛沫を運ぶ。足元に添えられた花束が小さく濡れる。

 ぽつり、ぽつり…… 音を眺める少年は、目線を変えず呟いた。


「……その話、ホント?」


 声は海原に消えていく。しかし、やや離れた少年の後ろ、そこに佇む少女には確かに声は届いていた。


「本当よ。だから、いつまでもこんな所に居ちゃダメ。これからする事がたくさんあるんだから」


 短い紺色の髪を僅かに靡(なび)かせ、少女は言った。

 寂しげな後ろ姿に、そのまま歩み寄る。

 近付いた後、膝を屈めてその背中を軽く抱き締めた。

 少女の髪が、少年の幼さを残す頬に触れる。

「でも、ぼくに出来るかな? あせんしょん」

「出来る。わたし達の力で理想を作る。それは、わたし達にしか出来ない事なんだから」


 困惑し、意気消沈する少年に、少女は優しく教え説く。


 ――自分達の理想の姿で、理想となる世界を創造できるアセンション……


 その夢のような話は、少年の瞳を輝かせた。

「じゃあボクは、父さんみたいになりたいな!」


 少女は、喜々として話す少年の手を取った。 そしてふわりと宙を舞う。

 驚き顔の少年をよそに。

「怖いか」と聞こうとしたが、少年の表情はすぐに明るいものへと変わった。


「……さようなら」


 小声が聞こえた。

 長らく居たあの場所に、別れを告げる、希望の声だ。

 少女は、笑顔でそれを茶化して見せた。

 風が吹く。潮風とは違う、暖かな風が。

 新たな門出を祝うように。

 少女の心は押されて弾んだ。そして自分も風になる。

 少年の手を引いて、惹かれる未来に一緒に向かう。

 気配のなくなった崖は、飛沫が降り注ぐ事もなくなり、ただ花束だけが残された――







 リリは、ゆっくりと目を覚ました。

 早々にため息を一回、深く付く。

 夢、それも、何度も見た夢。

 アセンションと共に置いてきた遠い過去が、シオンの事を咎められて以来、病のように眠りを冒す。


(シオンはわたしが導いた大切な…… ワンダラー)


 言い聞かせてはみるが、占術師の勘故か胸騒ぎが収まらない。

 意を決し、感応飴を口にする。

 他者のオーラの質をリアルタイムで俯瞰(ふかん)することの出来るそれを頬張り、目を閉じる。


 世界大陸ムティを意識化で眺めつつ、ミレマの地に意識を集中、のぞき込む。


『シオンは今ミレマに向かったはずなんだ。一度でいい。あいつのオーラを調べてみてくれないか』


 クルトに言われたことが、脳裏で反響した。

 もし言っていることが本当ならば、ミレマにシオンのオーラの反応があるはず。そして居た場合、そのオーラの質は……


(そんな……)


 結果が信じられず、何度も調べてみるものの、得られたものは冷たい汗と徒労のみ。

 茫然自失。意識は思念の空間を漂い彷徨う。

(ん……)


 リリはハッと目を開けた。

 現実に戻った頬に、なでるような感触が当たる。

 開けてあった窓からそっとそよぐ風だった。 何のことはない風である。

 だが、それは、いつか感じたような、暖かさを持っていた。


(そう。わたしが導いた、ワンダラー。だから……)


 リリは立ち上がり、意を決する。


『クルト…… この前言ってたシオンの事なんだけど』


 進化派の長として、その志を貫くために――

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