18―2
ザックは、息を切らし砂地の中に立っていた。
拳を握り、姿勢を臨戦、視線を目の前のマティスに向ける。
「そういえば、ビンズさんの事ですが……」
右足を半歩出し、拳と共に言葉を放つ。
「あの後クロンさんの薦めで護衛役になったそうですよ」
が、突いた右拳はマティスが右方に身を反らした事で行き場を失う。
風が吹いた。砂煙が渦を巻き、視界を覆う。
「全く、人生の転機とはどんな風に訪れるか解らんものだな」
機能が鈍った目に代わり、耳がはっきりとマティスの言を捉えた。
他愛ない稽古、である。それを今、他愛もない会話と共に行っていた。
立て続けに繰り出されるマティスの拳を、軽いステップで後ろに避け、回避を決める。
マティスがすかさず詰め寄った。右拳が突かれた時、ザックは身体を右側に移動させ身を屈めると、力強く体当たり仕掛けた。
「……見事だ」
体当たりをマティスの眼前で止める。途端、マティスの賞賛が送られた。
「そろそろ戻りましょう」
ザックは息を整え、リンクタグを書く。
光と共に戻った先は、満員御礼のチャットルーム。
先ほどの砂地はチャットルームからリンクしていた空間だった。
そして今身を置く地は〝グーリ〟という大都市。ヴァースやモヴァと並ぶにある大陸五大都市である。
「お帰りなさい。今日のお二人にぴったりなお茶を注文しておきましたわ」
帰った先に、笑顔のラーソ。その隣の空間には「(∵)」の文字がチャットリングされていた。
それはなんだと訝(いぶか)しげに見やるマティスに、ザックは含み笑いを覗かせる。
と、そこにラーソが注文していたお茶が届く。
「お二人の今日の幸運石を使った、ルビーティーとセラフィナイトティーですわ」
それは、宝石茶と総称される特殊な製法で作られたお茶だった。
主として二種類の製法があり、一つは無作為に選んだお茶にパワーストーンを入れ、長時間放置て完成させる簡易的な製法。もう一つは、お茶に熱した無数のパワーストーンを入れ、蒸発した蒸気を特殊なガラス機器で集め蒸留する製法である。
後者の方がよりパワーストーンの効能を摂取する事が出来るため、値段は高いが人気も高い。
ザックは宝石茶をありがたく受け、取り口に運んだ。マティスも遠慮無く飲み出していく。
マティスはそれ声を低くし一言呟く。
「……今日でお前さん達ともお別れか」
低い声が、コップを置いたと同時に届く。
どこが感傷的なその口調は、ザックの心に干渉した。
『ザックさん、実は、サム君とちぃちゃんが大喧嘩して……』
グーリに着いたとほぼ同時に伝わった、ルシーからのテレパシー。これにより、今の状況は一変していた。
事情を聞き、マティスの旅の同行と言う予定を切り上げ、すぐに返る旨を決めたのだ。
それが今、つまり、マティスとはここで別れだった。
「でも好きなものの話しで争いになることは、なにも子供同士だけではないみたいです」
ラーソが、カーネリアンティーを飲みながら隣の席に目を配る。
そこには、なにやら怒気を放ち口論している男達の姿が。
大の大人が、サム達と同じく、好きなアニモーションの話で罵倒しあうその様は、実に下らなく、徒労を感じるものだった。
「好きなものはみんなそれぞれ違うのに、その価値観を認められない。なんだか悲しいことです」
ラーソから、お茶を飲み終えた吐息が漏れる。ため息も混じっているのが見て取れた。
そういえば最近そのような者が増えている…… ザックも思い、杞憂(きゆう)とも言える不安を抱える。
「お前さん達、俺との別れより、下らんことを考えてどうする」
マティスの不慣れな茶化しにより、その場の陰湿さは消え去った。
ひとしきり笑い終えると、ザックは握手を交わし別れを告げる。
ワイスまでのジョウントタグ費用はマティスが支払う事になっていたため、その礼も予て頭を下げる。
そして、気合いを込め、一筆チャット。
「あなたは、マティスさん、それに…… 写真家さんですね」
矢先、一人の老婆がザックの前に現れた。
両手首に付けたアマゾナイトのブレスレット。首から下がったガーネットのネックレス。それらは一目で解るほど純度の高いもので、老婆自身の気品を打ち消すことなく輝いていた。
「これは良い出会いです! わたくしはセラと申します。あなた様に折り入って依頼したい事が」
深々と頭を下げ、セラは言う。
旅立つ直前、突然の依頼…… ザックは悩んだが、話を聞くことにした。
「別れの挨拶はもう少し長引きそうですね」
マティスに言ったその声は、陽気さが加わっていた。
だが、依頼内容を聞いた途端、陽気が陰気へと姿を変えることになる。
「写真家さん、最愛の夫の写真を収めて欲しいのです」
それは、ザックにしてみれば少々難儀な依頼だった。
なぜなら、ザックは自然を相手に写真を撮る写真家であって、人を相手にする写真家ではないからである。
ザックは、人を写すという行為に対し劣等感にも似た感情を抱いているため、その行為をなるべく避けていたのだった。
ハルカと再会した時は無意識に人を写したが、意識している今はやはり抵抗が強い。
どうしたものかと一人門答。時間も時間、断る方が懸命か……
ふと、視線を強く感じた。
沈めた視線を向き直す。隣のラーソと目が合うと、自然に脳裏に〝想起〟が浮かぶ。
いつか二人で訪れた、ファンクスの桜並木、その景が。
――人を写す事を恐れない。これがその第一歩。
そう前に話したラーソの表情が、ありありと思い出される。
「ラーソさん。今更ですが、あの時はありがとうございます」
笑顔のまま、ラーソからセラの方へと目を向ける。そして、依頼を受ける旨を高々と告げた。
――劣等感やジンクスは、自身がそれから逃げない限り意外に脆く消え去るもの。
以前ラーソが言った言葉を、今更ながら実行しようと心に決めた。
喜ぶセラと挨拶を交わし、早速本題へと移る。
「実は…… 夫はこの世には居ませんの」
予想外の言葉だった。ザックは目を皿にし、なにかの冗談かと模索する。
だが、セラの丁寧な説明により、疑問はすんなり消えていく。
夫はこの都市の荒し浄化を生業とする浄化師だったようだ。
ここから少し離れた場所にある沼。そこで荒らしの浄化を勤めていた時、不本意にも命を落とし、周囲の岩にリスボーン(物に魂を宿す事)したとのことだった。
「それはもう三年も前の話になりますの」
沼は、以前から荒らしがよく惹き付けられる場所として恐れられていたという。その上、そこに長く居る荒らしは非常に強い力を持つという噂まであるようだ。
「夫が命を落としてからそこは立ち入りが禁止になりまして…… でも有名な浄化師さんならそこに行ける許可が下りるはずです」
セラの目線がマティスに向かう。
なるほど、といった具合に、マティスは腕を組み頷いていた。
「いやまてよ。辿り着いたとして、肝心の相手が居ないんじゃ無意味じゃないか?」
マティスの疑問は最もだった。尤も、ザックにしてみれば十分理解できる事。
「旧文明の時から、カメラは魂を写すことが出来る機械と言われています。セラさんはそれを知っていて、〝魂の具合〟を調べてほしいのでしょう」
つい得意になって話してしまう。
〝人物を写す〟とは若干異なる話になったが、今回の依頼はいつになく心が踊るものとなっていた。
「ま、今回はお前さんの仕事振りをじっくり見ることにするよ」
「わたくしも一緒に良いですか?」
二人の声に、高鳴る気持ちを抑えつつ、首を縦に動かした。
では早速行こう、と、意気揚々席を立つ。
と、去り際。セラに呼び止められた。
御守りだ、と首に下げていたガーネットを、セラは差し出してくる。
ザックはありがたく受け取ると、チャットルームを後にした――
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