16「縁の下」
16―1
ガタン、と短い音がした。
列車が止まる時、ちょっとした振動が出す短い音だ。
ザックは好きだった。その音が、その瞬間の、ホームに降りる高揚感が。
だが今は、真逆の位置から、真逆の感情を抱いて止まる列車を眺めていた。
列車の中から黒山がどっと押し寄せる。目を凝らし、一人一人を眺めた。そして、その中を歩く一人の男を見た時、急ぎ足で駆け出した。
「見つけましたよ」
掛けた声は、列車が走り出す音にかき消される。
だが、ザックの姿だけでも、〝この男〟には十分な動揺を与えたらしい。
「観念してください。ハモンドさん」
今度ははっきりと声を伝える。うろたえキョロキョロと視線を移す、ハモンドに。
ハモンドは〝煽り師〟である。
それは、荒らしを煽り、その強力な力を自分の利益になるよう働きかける者の蔑称(べっしょう)。
列車が来た時に荒らしにラグを起こさせ、運行が滞っている間に乗客の金品や資金を奪うという方法をハモンドは行っていた。
以前被害に会っていたザックは、やはり見逃せない。以前は捕縛しようにもすでに逃げられた後だったが、今回は山を張り、昨日まで滞在していた街〝アソノモイカ〟から急遽ここ〝ジランド〟に移動し、ハモンドの待ち伏せを行った。
乗客の金品が目当てなら、客入りが多い時を狙うはず。そこを踏まえ、以前ハモンド本人から聞いた、荒らしが定期的に現れるという線路の中から足取りを特定。一週間のうち一番客入りが多い時をラーソに予知してもらい、見事、足取りを掴む事が出来たという訳だった。
「見事な読みだ。だが、あと少しで俺も報われるんだがな」
ハモンドは観念したのか両手を上げ、屈服を示した。
……否。油断を誘う、罠。
突如、その身は、ザックの視界から消えた。
透過でも、テレポーテーションでもない。身を屈める、というシンプルな方法だったが、ザックは意外にも虚を付かれる。
全身全霊だろう右の拳が、ザックの腹部へ風を切る。
が、遅い。ザックにしてみれば、容易に見切れる無意味な拳。
左手で受け止め、身を低くする。そのまま開いたハモンドの股を右腕ですくい上げ、勢い良く地へ放り投げた。
遠雷のような重い音が、地から足元を伝ってくる。
ハモンドは、身体の動かし方を忘れらしい。うずくまり、今度こそ屈服を示す。
「おわりだ。どうせ俺のやってたことを面白おかしくチャンネル思念で広めるんだろう。そういう話、みんな大好きだもんな」
「すべて覚悟の上、という訳ですか」
ザックは手を差し伸べるが、向こうの手はやって来ない。
無理にでも引き上げようか…… 考えるがやめにする。
「お父さんをいじめないで!」
突然の声だった。そして、突然割り込む少女の姿。
両手を広げハモンドを庇う姿に、ザックは臨戦態勢をやめ、退勢を見せる。
なぜならば、少女は以前列車で知り合ったオセロ好きの〝紗流(さる)〟であるからだ。さらにひとつ。「お父さん」という言葉に驚きを隠せなかった。
「確かザック、だったわね。父さんをこれ以上いじめるならあたしが」
ザックは拳を開いて両手を上げ、無害を示す。
沙流は開いていた両手を下ろし、無闇な様を謝った。
落ち着いたところで、今度は冷静に考える。一番気になった、ハモンドがなぜか娘の沙流に全く反応しない事を。
「一体どういうことですか?」
途端、「こっちの台詞だ」という叫びが返る。
「あんたが突然独り言を始めたんじゃないか!」
叫声を重ねるハモンドは、嘘を言っている風ではなかった。ということは……
(紗流の事が見えていない?)
ザックは直感する。ならばと、今の状況のすべてをハモンドに告げた。
「あんた、娘が…… 沙流のことが見えるのかい?」
ザックは胸ぐらを捕まれ揺さぶられる。
気付けば紗流は居なくなり、その場には興奮したハモンドの声だけが響いていた。
「とにかくあんたは沙琉の事が解るんだ。……場所を変えていいかい? 話したいことがあるんだ」
強引さに逆らえず、ザックは渋々頷いた。
ホームに、ガタンと再び短い音がした――
*
駅舎の隅の、狭い広間。その隅の青いベンチの前にザックは勇んで立っていた。
前には俯きがちのハモンドが座る。その口が静かに開かれた。
ザックは深く集中する。耳に情報、目に情報。ハモンドが語る様を五感で受け、判断する。
「紗流は、自分たちのせいでインビジブルとして産まれた娘でしてな」
――インビジブル…… 生命誕生行為アバターの際、まれに生じるコラージュという変異体の一種。五感が発達した人類でさえ認識出来ない状態の事を差す症状の事である。
見ることはおろか、コラ化した者の全ての行動や干渉は、第三者には感知出来なくなってしまう。
だが、荒らしやワンダラーといった、常人以上の感覚を有する者は、その存在を知り得ることが出来る。もっとも、ワンダラーでさえその事を知っているのはまれではあるが。
(なるほど…… だから俺達にしか見えてなかったのか)
ザックもインビジブルに会うのは始めてだった。ずっと以前に聞いた事があったが、すっかり忘れてのだ。
「あんたがなんで沙流を見れるのか、そんなことはどうでもいい。沙流がちゃんと成長してちゃんと生きてる。それが解っただけでもあんたと会えてよかったと思ってる」
言いながら、ハモンドは立ち上がる。
まっすぐ伸びた両手がザックの両肩に強く乗せられた。
「頼む。煽り師の事は見逃してくれ! あと少しで、インビジブルを直せるかも知れないんだ!」
叫ぶハモンドと目が合った。信念を秘めた眼力に、ザックは本心を理解する。
ハモンドの言う通り、コラ化は治せないという訳ではない。
治す見込みは限りなく低いが、子供のイメージを設定した両親が共に健在なら、〝リロード〟という行為を行い、コラ化を治す事が出来るのだ。
だが、ハモンドは妻はこの世にはいないという。ならばリロードは不可能か…… 結論から言えば、今回の場合そうでもない。
インビジブルコラージュは、身体的な異常が起こる通常のコラ化とは違い、生体磁場(オーラ)の質に異常が出る現象である。
〝他者の認識を阻害する〟という一種の催眠効果を起こすオーラが無自覚に常に放出されるのが症状の根本。つまり、肉体的な異常はなにも起きていないのだ。
その場合、リロードは通常のコラ化より容易。妻が居ない状態でも成功率は五分五分というところだろう。
いずれにしても、多額の費用が掛かる事になるのだが……
「悩んだ末、煽り師で資金調達、ですか」
だからと言って、煽り屋は許される事ではない。ザックは冷たく言い放つ。
ハモンドは、それは承知とばかりに言葉を返す。
「娘を治す為なら何でもする。しかも身近に居たと解ったんだ。なおさら辞めるわけにはいかん」
決して酔狂から出るものではない、力強い意思が確かに乗せられた声だった。
生半可な説得では効果はない…… ザックは考えた末、少し酷なやり方で説き伏せる事にした。
単純な方法である。
「あの列車の時、沙流が居た」それだけを告げたのだ。
だが途端、ハモンドは足を震わせ、明らかな動揺をみせた。
紗流があの時居たのなら、当然煽り師としての愚行を見ていたことになる。それは、父であるハモンドには確かな効果を与えたようだ。
ザックは更に追言する。おそらくあの一回だけでなく、今までの煽り師の行動を見ていたのではないのかと。その度にやめさせようとしていたのではないのかと。見られる事はないとわかっていても、必死で……
ザックが言葉を放つ度、「嘘だ」が何度を重なった。が、それを言うハモンドの足は、今にも崩れそうなほど震えていた。
「さて、自分は近くで写真を撮りに行きます。帰ってきた時、もう一度決意を聞かせて下さい」
素っ気なく、ザックは広間を後にした――
*
時計の分針が先ほどの真逆を指した頃、ザックは再びハモンドの元を訪れた。
数一〇分ぶりに見るその顔は、見違えるほど落ち着いていた。
「信じてくれんかもしれんが…… 俺は足を洗うことにしたよ。娘の前でこれ以上格好悪いことは出来ないからな」
ザックは、緊張を解き笑みを出す。
そして、懐からも写真を取り出す。積もった雪を必死に支える松の枝を写した一枚である。
「今の、そしてこれからのあなたにぴったりな一枚だと思います。受け取って下さい」
戸惑う素振りを見せるハモンドに写真を渡す。
そろりと伸びた手に、間髪入れず今度は小袋を差し出した。
中身を開いたハモンドは、覗きこんだまま、なぜか動きを止めた。
絶句、である。
無理もない。中にあったものは、ぎっしりと入れられた硬貨。そこから感じられる重さは、いかに高価であるかを示していた。
慌てて小袋を落としそうになるハモンドに、ザックは「選別だ」と軽やかに告げた。
「これだけあれば、コラ化を治すために必要な費用をまかなえるはずです。リロードが終わったら、気持ちを切り替えて全うに生きて下さい」
言い終えると、ザックはこれ以上の感謝は不要と、足場に歩き出す。
「あ、ありがとう! 俺はさっそく今から妻を呼んでリロードの手配を始めるよ! あんたには、ほんとうに……」
ハモンドの喜声をすでに思考の外。頭の中はすでに〝次〟を向いていた。
進む足は今、広間を離れた。直後、ぴたりと動きが止まる。
「お父さんは改心したそうだよ」
目の前にある街路樹。その一本からヒョイと沙流が現れた。
「ありがとう。もし父さんに何かしようとしたらあたしが…… て思ってたけど、あなたって意外に優しいのね」
はいかむ顔が両目に映る。
ザックも頭を掻いて微笑する。
もしハモンドが改心しない様なら、力づくでもなんとかしよう、そう考えていただけに、今回の流れは満足のいくものとなった。
「そうだ。お父さんは今からリロードを始めるらしいよ。行ってあげたらどうかな? なにかあったら俺のところに来ると良いよ。チャットルームにいるからさ」
紗流は大きく頷くと、広間の方へと駆け出した――
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