7ー3
今、チャットルームが目の前に広がった。
しかし、否。先刻とは内装が、大分変わっている。
それもそのはずである。
ファンクスから遠く離れた場所に、ワイスという田舎町がある。ザックが現れた場所は、その町のチャットルームだった。
〝ジョウントタグ〟
異なる街同士のチャットルームを瞬間的に移動出来るタグをザックは用いたのだ。
このタグは便利だが、使用者はあまり居ない。使用料が格段に高額なため、中々手が出せないのである。もちろん、ザックもそうである。
(さてと)
一呼吸し、ペーストタグを書く。
体から現れた自転車を、邪魔にならぬよう慎重に、けれども足早に運びチャットルームを出る。
鈴の音と共に開いた先、風が僅かに身をくすぐった。
目に飛び込む景色は、木々ではなく無数に伸びた四角い建物。
スパンセやファンクスのような木々や山に囲まれた街とは違い、ここはビルに囲まれていた。
動き出した自転車は、無機質の森を駆けていく。
ザックには〝サム〟という古い知人が居た。これからその知人に会いに行くのだ。
地を蹴る車輪の音が、次第に強くなっていく。
景色も移ろう。緑と、土の色が増えていく。
車輪が止まった時、視界を遮る高い建物は完全に無くなっていた。
ザックは自転車を降り、目の前の一軒家を見据えた。
ノックを軽く数回、ほどなくし、扉が開かれた。
「あなたがザックさん?」
現れた人物はサムではない。
短めの銀色の髪、澄んだ青い瞳がどこか凛とした雰囲気を与える女性だった。
「急な連絡で驚いたでしょう。あなたの周波数は、前の方から預かったサム君の登録書から知りました。仲が良かったそうなので知らせた方がいいと思いまして。あ、わたしは、ルシーといいます」
女性〝ルシー〟は、再度頭を下げ、迎え入れる。一見すれば柔らかい物腰だが、視線はそれに反してどこか鋭い。
ザックは少し臆しつつ、詳しい事情を聞いた。
ルシーは、ここで一年ほど前から介護師として働いているという。事はサムから度々聞いていたらしい。
(なるほど、俺の知ってる介護師の後任って事か。じゃあ、前の人がやめた理由は……)
と、ザックはまだきちんと自己紹介をしていないことに気付く。
軽く会釈し、握手を交え、改めて個人周波数を教え合う。
全てが終わり、いよいよ家へ招かれる。
中は、非常に簡素な造りだった。
大きさは正方形一○坪ほどの広さだが、家具などはほとんどない。隅に大理石の机と、座るためのスペースがあるが、ほぼそれだけである。また、中央天井部分が、なぜか大きく空いていた。
「わたしのこの一年間の主な仕事は、ここの管理で…… 実のところ介護師としての仕事はまるでしてないので、これからうまくできるか不安です」
ルシーが言った、その時だった。
部屋の中央付近、大きく穴の空いた天井の下が、急に眩しく輝き始める。
その輝きは、何かの形を為していき、そして……
「ただいま戻りました!」
部屋中に、子供の声が鳴り響く。
突然、光と共に現れた少年…… 彼こそが、旧知の知り合い〝サム〟である。
元気を振り撒く表情は、レリクの息子、シェイン達よりも幼かった。
「ザック久しぶり! それからえーっと……」
悩み始めるサムに、ルシーが近づく。そして、新しい介護師であることを告げた。
すぐに「よろしく」と元気な声。
無邪気なあいさつが、なんとも子供らしい。しかし、その姿…… 普通の子供とは明らかに違う、異様な雰囲気があるのだ。
両手首はまるで木のような形状をしており、そこから枝のような指が伸びている。
両足も同様、さらには根が生えている。これでは歩くことは不可能だろう。
「とりあえずお腹もすいたな!」
大きな声が再度耳を震わす。
サムの家には、父も母も居ない。
母はサムを生んだ時(アバター行為)に亡くなり、父はサムを養うため、遠い地である〝グーリ〟という場所に暮らし、資金を蓄えていた。
そのため、サムは一人になってしまうので、面倒を見るルシーのような介護師が必要なのである。
ザックは旅の途中、サムの父親と親しくなり、いつしかサムとは何度か会う仲になっていた。
そのサムは、一年ほど前、家で起きた火事により一度命を無くしていた。
介護師の居ぬ間、不運にも近くで落雷が起きたのが原因だった。
ルシーの前の介護師は、その時責任を感じてやめたのだろう…… ザックは思い、胸を打つ。
だが、今日、サムは無事戻って来た。なんとも喜ばしい事である。
「偉いぞ。よく戻って来た」
ザックは、葉が繁る頭を優しく撫でた。
だが、その手は揺すられ払われる。
子供のように扱われるのが恥ずかしいのか…… これはしたり、とザックは謝りを入れた。
「そうだ。サムが居ない間、見たがってた都会の写真を沢山撮ったよ。後で見せるから今はゆっくり休むんだよ」
と、予想していた展開が次に来る。今すぐ見たいと強くせがみ出したのだ。
ザックは「また今度」とすかさず突っぱねる。
サムはバイオレット。再生したばかりの状態は魂共に不安定なため、長い睡眠をとるのが望ましい。
そう思っての事だが、ザックの心、子知らず。サムはなかなか引き下がらない。むしろ余計に騒がしくなっていく。
が、突然サムの嵐は止んだ。扉が開く、たったそれだけの短い音で。
サムは、扉の方を見たまま表情を曇らせていた。
何事か…… そこに居たのは同年代くらいのザックも知らない少女だった。
「サム! もどったんなら連絡くらいしなさいよ!」
少女は、サムよりもうるさく叫び、部屋を震わせた。
「だ、だって…… ちぃはうるさいんだもん」
対する声は、なんとも情けないものだった。
〝ちぃ〟はズカズカと詰め寄る。
サムは頭を上手く動かし、顔を隠した。狸寝入りのつもりだろう。
しかしザックも他人事ではない。ひとまずサムを休ませるためにも、一度このちぃという少女に落ち着いて貰わなければならなかった。
と、そこにルシーの提案が来る。なんと、むしろ二人きりにして大丈夫だという。
「ちぃちゃん…… 前の介護師の日誌に書いてました。サムくんが亡くなる少し前に友達になった女の子だって。今みたいにいつもパワフルに来てたようですが、何だかんだでサムくんが嫌がることはしたことが無いみたいですよ」
不安を感じつつ、ザックは提案に乗ることにした。
目を離さなければ大丈夫だろう。それに、ルシーと話す丁度いい機会でもある。
部屋の隅に椅子を起き、そこで様子を見る事にした。
ふう、と座り込み、一休。
落ち着いた所で、サムの事情をどの程度知っているかを聞く。
ルシーは、子供達を遠目にし、答え始めた。
「……アバタータグの誤字か、親の思念の不安定さが原因で起きたコラージュ現象、ということくらいしか」
――人の肉体は、ルシーがいうような事故により、稀に染色体異常を起こす事がある。
そうなると、サムのように、人でありながら植物のような肉体を持つ、という現象に陥る。
この現象をコラージュ、通称〝コラ化〟といい、治そうにも、生み出した親の力が無くては難しいのが現状である。
「わたし達新人類は、病気から解放されたって言いますが、サム君のような子を見ると、とてもそうには思えません」
ルシーの伏した表情が、磨かれた大理石のテーブルに反射する。
「クレロワさんが話したサフィーム…… そこに記された事が本当なら、人類にまだ進化の可能性があるってことです。なら、人は今より進化をすべき……」
呟きを聞きたザックは、なにも意見を返さなかった。
代わりに一言、サムの介護を改めて頼み、頭を下げる。
「あ……」
ルシーの気の抜けた声が聞こえた。
思わず目を丸くし、下げていた頭を正す。
その時、ルシー様子の意味を知る。漏れた声は、自分に向けられたものではなかったのだと。
「い、な、なにを……!」
サムの叫びだ。その体と周辺は、なぜか水で濡れていた。
流れ始めた涙で、水気がさらに増していく。
皆が呆気に取られる中、ドカドカと足音を立てちぃが来る。
「えっと、新しいカイゴシと、それからえーと…… ザックだったわね。サムの面倒しっかり見てよね、それじゃ!」
まくし立て、話す間を与えず去って行く。
後に残されたのは、悔しそうに顔をしかめるサムだった。
「ちぃちゃん、目を離してた間に水をかけたみたい。バケツで」
ルシーも予想外であったのだろう。クールな表情の割りに、話す内容は酷くしどろもどろだった。
ザックは水が張った床を踏み、サムに歩み寄る。
泣き止んではいたが、なにぶんこの状況である。少しの刺激でぶり返す可能性がある。気を付けつつ、やんわりと、ちぃについて質問をしていく。
「あの子とはどうやって仲良くなったのかな?」
「ぼくが事故に合う少しまえに…… いきなり家に入ってきたんだよ。ザック、あいつをこらしめてよ」
体を揺らし、サムはせがむ。
妙にかわいらしく見えた事に、ザックは少し罪悪感を覚えた。
しかし、ちぃの行動は不可解だ。単に意地悪をしているとも思えない。
「サム君には定期的に水分補給が必要なのよ。きっとあの子は何時も介護師がしてることを真似たんじゃないかな? 乱暴になっちゃたけどね」
そう言い、ルシーはサムの頭を撫で始める。
その途端、サムの頬は赤くなった。機嫌もなんだかで直ったようで、少し眠ると言い出した。
どうやら美人に弱いらしい。
「では、落ち着いたようなので俺はそろそろ行きます。外の写真も撮りたいですしね」
サムが寝静まるのを見届け、ザックはルシーに告げた。
「こんな田舎じゃ、たいした写真も撮れないのでは?」
「たまに田舎もいいものですよ」
ザックにしてみれば、古い時代の「デジタルの遺産」も一種の芸術だった。
ビルは、樹。
無数にある窓は、花が開く、芽。
「あと、しばらくこの町で暮らすことにします。寝泊まりはチャットルームにしますがね」
背伸びをし、意気込む。
ルシーの「はい」という明るい声を背に、外の景色に身を移すザックであった――
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