2-2


 森は光に満ちていた。

 周囲の明暗は、空間のフォトンエネルギー量の増減に左右される。

 今日の森は、僅かな影すらも出さないほどに輝いていたのだ。

 だが、この美しい場所も、今は……


《蜈峨k荳九&縺》


 奇妙なチャット文字が漂う、荒らしの森である。


(これは…… この近くに荒らしがいるな)


 気配を辿り、ザックは道なき茂みを走る。

 息苦しい感覚と脚の重さが、同時に何度かやって来る。

 それでも何とか茂みを抜け、獣道に身を乗り出した。


「わ!」


 子供の声が耳に入る。

 こちらの気配を優先して探したのは正解だった、とザックは安堵する。同時に、


「子供がこんなとこにいちゃ危ないぞ」


 明るい口調でたしなめた。

 シェインとカイン。涙目ではあるが、見た所どこにも怪我はないようだ。

 

「ザック! へんな文字がたくさん浮いてて、それを追ってたら……」

「ザックさん、たくさん走ってもぜんぜん兄さんに追い付けなくて、走るのはぼくの方が速いのに!」


 会えた嬉しさと、体験した事を伝えたい思いが一緒になったか、なんともちぐはぐに二人は言う。

 だが、とりあえず事態は予想出来た。

 やはり〝ラグ〟である。

 フォトンエネルギーから生じる磁場が一時的に乱れ、時間の流れに影響が出る現象。

 走っても全然進まない、かと思えば、だいぶ先までワープしたように移動している、等、影響は様々。

 自然発生的に起こる場合もあるが、専ら原因は荒らしの強い生体磁場(オーラ)である。


「じゃあ、一緒に帰ろうか」


 これで一安心。かと思われた、が。


「ザック、これからだよ! 俺たち荒らしを退治しに来たんだから」

「ぼくたちは死んでもすぐ戻って来れるしね。荒らしみたいに悪さするやつは僕たちが……」


 二人の息の合った首の横振りがザックを悩ませる。

 更に、まくし立てるその口は、雲雀(ひばり)の如く騒がしい。


《しずかに》


 そんな雲雀を、ザックは指先一本で黙らせた。

 チャット文字が、無言で二人に突き刺さる。


「荒らしはみんな、なりたくてなった訳じゃないんだよ」


 声の調子を落とし、諭すように語る。

 二人は先ほどよりは大人しくなったが、それでも足は帰路へと向かわない。

 考えた末、ザックは二人を連れ、荒らしの元に向かう事にした。

 ここから少し先、小さな広間があったはず。そこにきっと荒らしは居る。ザックはそう予感していた。



(……居た)


 予感は、的中。

 外見から、若い男だと辛うじて解るが、その身体は強力なオーラにより、ぼやけていてよく見えない。

 周りには、取り囲むように、奇妙な文字が複数つづられていた。


《闃ア繧》

《蜈峨k》


 と、その文字達が、いきなり浮上。ザック達を囲むように広がった。

 どうやら気づいたらしい。自分に対する敵意の存在があることに。


「見てれば解るよ。荒らしがどんなものかって」

「ザックさん、戦うの?」


 巻き込まないよう、ザックは二人を遠く離れた場所に誘導した。

 そして、直ぐに終わると笑顔で告げ、荒らしの元へと踏み出した。

 改めて近くに来た時、そのオーラの凄まじさを実感した。

 魂を突き刺すような、強い敵意が確かに来る。


「戻る気はないですか」

「サカに…… ヌア゛らち」


 説得してみたものの、不気味な言葉が返るだけ。

 それは、荒らし特有の言動であり、自我を失っている証拠である。

 こうなればもはや、見境無く人を襲う獣と同じ。救う手は、一つのみ。

 ザックは息を深く吸い、気を引き締めた。そのまま足元を勢いよく蹴り出し、地を滑るように移動。荒らしとの距離を一層詰める。

 勢いを殺さぬまま、右拳を強く突き出した。

 それは、相手の腹部に深くめり込む。

 まごつく荒らし。その間をザックは逃がさない。

 左拳を下から突き上げ、顎の右側を強く攻める。

 本来、荒らしには物理干渉の概念は通用しない。

 普通に拳を打ち出しただけでは、その実態を捉えることは不可能。だが、それが出来るのは魂の力が上昇したバイオレットだからといったところか。


「ゆら…… らち」


 荒らしのうめきを耳に、今度は左膝を打ち付けるべく、ザックは力む。

 勢いよく、一撃が荒らしに向かう。

 手応えは……


(しまった!)


 無かった。そればかりか、逆に頭上に強い衝撃を受ける。

 見上げた先には、浮かんだ荒らし。瞬く間に移動したか、ラグによる影響か…… いずれにせよ、認知出来なかった事に歯軋りを否めない。

 と、荒らしが手を向けてくる。そこから直線上に衝撃が迫る。

 すんでで避け、跳躍。空中に身を移し、拳を再度荒らしに見舞う。

 向こうからも拳が伸びてくる。

 荒らしは魂そのものの存在。魂の力はバイオレットを凌駕する。

 その拳を受けた場合、魂に大きな傷を受けてしまう。

 右、左。荒らしの拳が交互に襲う。

 ザックは、ヒラリと流し受けに徹した。

 避けつつ、少しずつ下方に移動。空中から地面へと誘導した。

 荒らしはムキになってか、拳のみの単調な攻撃で攻めてくる。

 狙い通りだった。ザックは足場と、主導権を手にいれる。

 徐に、右足のつま先で地を蹴り、後ろにステップ。途端、負けじと踏み込んで来る、荒らし。

 これも狙い通り。腰を落とし、カウンター気味の一撃を加えた。

 拳のインパクトにより、荒らしは少し後方へ退く。が、突如勢い良く宙へと浮上した。


《荳九&縺》


 荒らしから大量の文字が現れる。

 同時に周りの木々が、葉を落とすほどの揺らめきを始めた。

 枝は折れ、緑が舞い狂う。

 そして、折れ枝が意思を持つかの如く、凄まじい勢いでザックめがけ一斉に飛び出した。

 バイオレットの肉体は、クリスタルより脆弱である。飛び交う枝に突き刺さっただけでも傷を受けてしまう。


(少しまずいか)


 ザックの身体が、次第に半透明に変わりゆく。

 より魂の力を引き出す時に見られる現象である。

 いよいよ本気、気合いと共に枝の雨へと飛び込んだ。

 しかしこのままでは、枝が身体に突き刺さる。

 否、枝はすり抜けていった。

 半透明の状態は、肉体より魂に依存した存在になるため、荒らし同様、物理干渉の概念は無くなるのである。

 宙を浮遊し、自在に動くその躍動は、風になびく〝柳〟の如く。

 だが、それは長くは持たなかった。

 突如、背中にズドンと衝撃が。

 地に手を着き、受け身を取るが予想以上に受けた傷は大きい。

 荒らしが再三用いていた不可視の衝撃波が、ザックの躍動を終わらせた。


「ザック!」


 シェインの叫びが遠くから聞こえた。

 荒らしは追撃とばかりに迫り来る。

 反撃を警戒するよう、ゆっくりと。

 この状況下、ザックはスッとポケットに手をやった。

 堅い感触が一つ。レリクから貰ったレッドオニキスを内包し、小さく笑う。


「パワーストーン…… か。たまには使ってみるのもいいか」


 靴の隙間にレッドオニキスを押し込む。そしてそのまま地を踏み出し、荒らしの元へ走り出す。

 気合いを込め左回りに回転しつつ跳躍し、同時に出した右足をムチのように振るう。

 オニキスによって増幅されたその一撃は、空気を切るように見事、荒らしの身を二つに割った。

〝蹴り裂かれ〟た荒らしは、すぐに元に戻る。が、先刻の勢いはどこへやら、無言のまま地に付す。

 一瞬、目があった気がした。

 苦しそうにも、笑っているようにも見える顔で荒らしは俯(うつむ)く。

 やがて、空間に漂うフォトンエネルギーに溶けていく様に淡く輝き、荒らしは静かに滅した。

 消えゆく魂は、二度と戻って来る事はない。

 さまよう魂を、人の手によって消滅させる。人はこれを〝浄化〟と呼んだ。


 森の広間に風が吹く。

 驚異は去ったと、木が歌う。

 ザックは、震えるシェイン達の元に笑顔で駆け寄った。

 懲りたのだろう事は、二人の様子から窺えた。

 無茶を考え行動に移すのは子供の性である。

 行きすぎた行動には指導を加えるのが大人の勤め。


「怖かったかな?」

「うん…… 俺たち、甘かったよ」


 反省の言が返る。

 しかし、ザックが聞きたい言葉はこれではなかった。

 

「まだ荒らしを倒したいと思うかい?」


 問われた二人は、首をすぐに横に振った。


「みんな、荒らしになりたくてなったわけじゃないってこと、よく解ったよ。すごく、苦しそうだった」 

「ザックさんも…… 僕たちもああなっちゃったりするのかな?」


 二人の言葉に、ザックは大きく頷いた。

 生命に絶対などない。たとえ、限りのない命を手に入れた人類でも、怪我を、そして死を恐れることは大切な事なのだ。

 そして、荒らしは害の存在ではなく、輪廻の犠牲者である事も理解しなければならない。


「今感じたことは忘れちゃだめだよ」


 ザックの声は、緑の広間に大きく広がった――







「本当にありがとうございました」


 数時間後。

 家の庭先には、身支度を終えたザックが、その眼前には、頭を下げるレリクが居た。

 ずいぶんと長居をしてしまった。

 だが、そのぶんいい写真、そしていい思い出を沢山作れた。


「ザック!」

「ザックさん!」


 シェインとカインが音を上げ、二階の部屋から駆け寄った。

 その瞳は少し潤んでいるように見える。

「そろそろ行かないと。大丈夫、また今度来るよ」


 二人の瞳がますます潤う。


(おっと……)


 ザックは懐に手を掛け、小さな手帳を取り出した。

 白紙のページを開き、そこに指で文字を書いていく。


「何か見えるかな?」


 問われた二人は、揃って首を傾げた。

 ザックは〝自分だけに見える色〟である事を書いていたのだった。

 ではなぜそうしたのか、また、なにを書いたのか。それは、二人に出した特別クイズだった。


「今度会った時までの宿題にしよう」


 シェイン達は、ようやく「うん」と笑顔を覗かせた。 


「では、お元気で」


 ザックは歩き出す。


 風に吹かれた木々が、手招きをする。

 背中に感じる二つの視線は、進む足に熱を与え、次への糧となるのであった――

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