1-2

 その日は晴れ。空気が暖かく、いつになく気持ちのいい日だった。

 何度か来た事のある山の一角。自転車という乗り物を軽やかに走らせる。

 坂を下っていく。小さなショルダーバックが大きく揺れる。

 ふと見晴らしのいい場所を発見、自転車を止め深呼吸。ショルダーバックに手を伸ばす。

 黒い四角い形の道具を取り出し、スッと顔の位置まで引き寄せる。

 それは、乾いた短い音を出し、広い空間を響き渡らせた。


(いい感じに撮れたな)


 眼前の広がる、澄んだ空と森の緑が、手にした道具に映し出されていた。

 それはかつて、カメラと呼ばれていた物。進化とともに消え去った旧世代の撮影機器である。

 ザックは、時代錯誤とも言えるカメラを手に、美しい景色を撮る〝写真家〟だった。

 山は自然の宝庫。いつ来ても、別の表情を覗かせてくれる。そこに来て今日の、澄み渡るこの陽気。陽気な気分になるのは当たり前だった。どんどん山深くを進んでしまうのもまた、必然だった。

 しかし、それがいけなかった。

 澄み渡った青空が、みるみる内に暗くなる。駆ける心も、曇り出す。

 数時間後、辺りは深い闇に包まれ、山は〝雪〟に覆われた。

 あっという間に降り積もる雪は、ザックを完全に孤立させた。

 自転車を置き、歩いて帰ろとしたのだが、結果は――





「あの時はさすがに覚悟しましたよ」


 力尽き、ザックは倒れた。それを発見し救い出したのがレリクだった。



 フォトンエネルギーで満たされた地球は、常に光に、暖かさに包まれている。

 本来、そのような環境では寒さは無縁。だがまれに、空気中のフォトンエネルギーが消滅し〝夜〟という現象が起きることがある。

 夜は温度を低下させ、氷の結晶〝雪〟を降らすこともしばしば。

 フォトンエネルギーを糧としている生命にとって、それは過酷な環境である。ザックはそれに巻き込まれたのだった。



「まったく、 バカな事をしました。気をつけているつもりだったんですが」


 頭をかいて、はにかみ笑い。

 ふと、左方にある窓へ視線を向ける。今なお降り続く雪が、静寂の中に積もり往く。


「あ、そういえばザックさん。さっき気象予知の人に聞いてみたんですが、雪はまだまだ降るそうです。でも夜はそろそろ明けるみたいですよ」


 レリクの話に、ザックはピクリと反応する。

 夜が明ければ危険は減る。一時間程度であれば、積もった雪も溶けることは無い。

 ならば、と一つ策する。夜明け直後の安全な時に、山の雪景色を収めよう、と。

 写真家故の好奇心。反応する様にカメラのレンズが鋭く輝く。

 一言レリクに礼をいい、身支度を始めるザックの瞳も、カメラに負けじと輝いていた。







 丸一日ぶりに、鳥達の囀ずりが庭先に響く。

 外に出て、まずは大きく深呼吸。

 見事な銀世界は、雪の冷たさを忘れさせるほど美しかった。

 白を踏むと、土の茶となり、足跡になる。

 彩りを無数に作り、ずんずん進む。

 あまり遠くには行けない。目標を、近くの森にし、いざ行かん。

 だがその前に……


「子供はついて来ちゃ危ないぞ」


 後方に向け一声放つ。

 木の陰で何かが動いた。顔をスッと出し、シェインとカインが現れる。


「雪道なんてへっちゃらだよ。おれたち〝クリスタル〟だし。疲れ知らずってやつだね」


 兄シェインは得意げに話した。

 さしずめ、身支度をしている間に勉強の続きをしたのだろう。


「ザックもクリスタルでしょ? バイオレットってあまり居ないんだよね!」


 と、すっかり「さん」付けをしなくなったシェインの目線が、首に下げたカメラに向かう。 


「それ、イチガンレフカメラってやつだよね!」


 よほど珍しいのか、眩しさすら感じる笑みを見せる。

 一方、ザックは頭を悩ませた。

「もう夜は来ないから大丈夫」と代わる代わる兄弟に訴えられるが、二人はまだ子供。クリスタルとはいえ連れていくのは不安だった。

 が、結局、この場は説き伏せられる事になる。

 無理に止めると逆に危険な真似をしかねない。ならば、側に置いた方が安全だろう。渋々ながら自分をそう納得させる。

 喜ぶ二人を連れ、ザックはいよいよ森へと踏み行った。


(お、ここもなかなか良いな)


 しかし、いざ進み出すと、不安な気持ちはどこへやら。

 はしゃぐ子供達に混ざり、嬉々として森の中を遊び回る。


 それから数一〇分は歩いただろうか。騒ぐ声が急に静まり返る。

 ザックは変わらず呑気に歩く。後ろには黙々と歩くシェイン達。

 二人の口を塞いでいたものは、互いの手に握られた本、ガイア・アセンションだった。




 ――魂とは、肉体に宿るエネルギー体。

 その存在は、とても脆弱である。むき出しの状態では簡単に消滅してしまう。

 肉体とは、そんな脆弱な魂を守る鎧である。

 これから伝える廻魂(かいこん)は、この関係性が重要になる。


 項目「廻魂」


 廻魂とは、肉体が尽き果てても、魂があるかぎりその者の命は繰り返される、という生体現象。

 機能を停止した肉体は、その場所に広がるフォトンエネルギーと同化、情報化され空間に漂う。

 時間が経てば、フォトンエネルギーを元にし肉体は完全に再生される。

 魂はその間、周囲の物質に宿ることで仮の入れ物を手にし、脆弱な状態をやり過ごす。

 やがて時が来たら再生された元の肉体に宿り、人は完全に生を取り戻すのである。

 これだけを鑑みれば、魂がある限り人類は不死と思えるだろう。しかし、実際はそうはいかない。

 なぜか。一言で言えば魂には寿命があるからだ。

 疲労しないかぎり永久的なエネルギーではあるが、疲労すれば次第に劣化していく。

 おかしな言い方をすれば、魂の〝やる気〟しだいで寿命が決まる。

 誰しもストレスを受け続けると、生活に支障がでるだろう。

 魂もそれと同じく、多大なストレス(肉体の機能停止等)を受ければ支障をきたすのである。

 何事もなく日常を過ごしていれば魂は劣化しない。が、ストレスを与え続ければ魂も嫌気が差し劣化する。

 極端に言えば、〝やる気〟がなくなるわけである。より長く生きていくための秘訣は、魂にストレスを与えずやる気を常に起こさせること、と言えるだろう――




 ぬかるんだ地面に憂うザックに、シェイン達の音読が耳に入る。

 少々気が散るが、熱心なのはいい事だ。思いつつ、ふいに足を踏み入れた、ひと際高く伸びる木々の群生地帯に息をのむ。

 枝に積もる雪に目を奪われ、憂いだった地面のぬかるみもどうでもよくなる、ここはそういう場所だった。

 ザックはしゃがみこみ、下から木々を見上げるようにカメラを構えた。

 木々の圧倒的な存在感を表現するための撮影方法である。

 切り取る風景は決まった。撮影ボタンに添えた、右手の人差し指に力が入る。

 と、カメラと風景の間に、シェイン達が突如として入り込んだ。

 別の方を向いてもすかさず寄ってくる状況に、ザックは思わず否を出す。


「二人とも悪いね、俺は風景写真だけを撮る写真家なんだ」


 気を取り直し、カメラを構え撮影ボタンを押した。


(……ん?)


 おかしい。

 確かにボタンを押した筈。にもかかわらず、出るはずの音がまるでしなかった。

 写真が撮れているかを確認するため、カメラ背面部の画面を見る。

 その時、「カシャッ」とようやく音がした。

 故障かと思い、試しにもう一度ボタンを押してみる。

 が、やはり結果は同じ。

 なぜか時間差で乾いた音が発せられた。


「これってまさか…… ラグってやつじゃない?」


 シェイン達が僅かにざわめく。

 平静を装っているが、その顔は不安を滲ませていた。


「ラグ、か。こうも頻繁に起こるってことは……」


 難儀に思い、ザックは呟く。


「空間に充満するフォトンエネルギー、それから発生する磁場が、まれに強力な生体磁場(オーラ)により変異を起こし、それが時間の流れに影響を与える事がある…… たしか、本にそうかいてあった」


 カインの言葉に、ザックは小さく頷いた。


「てことは、強いオーラを持った人が近くに……」


 その時、木々が揺らめき始めた。

 同時に、茂みから巨大な影が一つ。

 ザックは瞬時に身構えた。

 巨体を生かして突進を仕掛ける影が、走る。

 威圧的なそれは、鋭い牙を備えたイノシシだった。

 構えたまま、ザックは横にいる二人の様子を伺う。

 案の定、身がすくんで動けないでいるようだ。


「二人とも、そのまま動いちゃ駄目だよ」


 言う傍ら、ザックは落ちていた木の枝を手に取った。

 そして走る。周囲の樹木を枝で打ち鳴らしながら。

 イノシシは見事に引き付けられた。

 まだ残る積雪。ザックはあえて、道とも言えぬ木々の間を曲がりくねって駆けていた。イノシシの単調な突進に対処しての事だったが……


(おっと…… まずいか)


 甘かった。

 イノシシは、近場の木に向かい、その幹まで跳躍。後ろ足の蹄をガッチリと樹皮に引っ掻け巨体を固定した。

 なんと、そのまま木を蹴り、一気に進行方向に生える別の木へと飛翔した。その繰り返しで瞬く間にザックとの距離を詰めていく。

 肉体的な身体能力の上昇は、動物も伊達ではない。アセンションを遂げたのは人間だけではないのだ。

 ザックは、策を変え、なるべく直進出来る場所を選び、すぐに身を移した。

 そこで少し走った後、手にしていた枝を投げ捨てる。

 間髪入れず、首に下げたカメラを左側に立つ木の枝に吊し、静止。背中をその木の方に向け、左足も同方向に下げた。

 イノシシは、道のパターンと獲物の動きの変化を感じたか、本来の突進スタイルへと戻る。

 地をえぐる音が近づく。

 目に、意識を集中させる。

 柔雪を撒き散らし、巨体が、迫る。

 そして、獲物めがけ、高く跳ぶ。

 ザックは右足を、後方に伸ばしていた左足と同様の位置にまで一気に下げ、身を後退した。

 一歩引いたことで空いた空間に、イノシシが勢いよく入り込む。

 ザックの眼前には、巨体の横腹。

 胸元に構えた掌を、そこにズンと突き出した。


「ザック!」


 地に付したイノシシの呻き声と共に、追って来たらしいシェイン達の声が響いた。


「スゲー! クリスタルの力じゃさすがにイノシシだって……」


 シェインの声は突如消えた。代わりに獰猛な咆哮(ほうこう)が立ち上がる。

 イノシシは瞬く間、一気にシェイン達の方へと猛進した。


(仕方がないか……!)


 ザックは身を強張らせる。

 途端、変化が生じた。

 身体が、服ごと〝透け出した〟のだ。

 さらにイノシシへと翳(かざ)された右手からは、突風のような強い衝撃が放たれる。

 イノシシはその一撃により、大きく飛ばされ、シェイン達の頭上をも越え、茂みの中へとダイブした。


「こ、これって……」


 シェインの驚く声がした。


「クリスタルに比べ、だいぶ人口は少ないが、肉体と一緒に、魂の進化を起こした者達がいる。その力は魂としての力を……」

「魂の力、旧世代でいうサイコキネシスを扱える。それが……」


 シェインの、本を暗唱(あんしょう)する声に、ザックが続いた。


「それがバイオレット。実施勉強みたいになっちゃったね」


 ひとまずの安全を確認し、二人に対し笑みを見せる。

 森の木々は、何事もなかったかのように、涼しげに揺れていた――

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