サフィーム・フィルム

弥七煌

1「アップ・ザ・ロード」

1ー1

 橙色に灯された室内は、暖かさに包まれていた。

 薪の割れる短い音が一回。雨垂れが落ちる音が、数回。そして……


「さて、今回は」


 若い男の声がした。

 とある民家の、静かな一時。

 部屋の中心近くの丸椅子に、無造作に伸びた短い黒髪の男が座る。その前には短めの栗毛の子供が二人、膝を組み座っていた。

 勉強中なのだろう。男の両手に広がる本がそれを思わせる。

 ページが一枚、捲られた。新書の香りが鼻に吹く。 

 ぱちんと、再び薪の割れる音。つかの間の沈黙の後、合図とばかりに男は口を開いた。


「アセンションにより人類は、どのような変化を遂げたのか…… よし、この話をしていこう」


 男の瞳に、目を輝かせる子供達が映る。話が進む度、それは輝きを増していった。



 ――章一「人類の神秘の軌跡」

 アセンションを遂げた世界は、常に光の力〝フォトンエネルギー〟に満たされている。

 あらゆる生命は、それを体内に取り入れることにより、通常では起こり得ない特別な進化を果たす事になる。

 ではこれから、進化を果たした人類の特徴を羅列しよう。


 一、遺伝子細胞が活性化。

  フォトンエネルギーが体内に取り込まれた事により、変化を果たした現象である。

 二、生体磁場(オーラ)の生成。

  取り込んだフォトンエネルギーが魂へと伝わり、そこから作り出される人体エネルギーである。

 三、チャット文字能力。

  オーラにより、個別を認識。オーラに色彩を与え色による意思表示を出来るよう進化。

 四、色彩の活性化。

  旧人類では認識不可であった色彩が見えるようになる。

 自分だけの色を持ち、自分にしか見えない色など、その色彩感覚は旧人類を遥かに上回る。

 五、音感の活性化。

  色彩と同じく、旧人類では認識不可能だった音を知りえる事ができる。

 六、限りなく不老に近い存在に近づく。

 七、タグ術。

 八、睡眠時間の減少、食物摂取の減少、もしくは不要。

 九、「バイオレット」「クリスタル」と呼ばれる種に区分、そして繁栄。


「このように我々人類は、新次元の生物へと進化を果たしたのである。中でも我々にとって最も特質すべき進化は〝魂の寿命を確立〟だろう。それは……」


「はい!」


 本を読む淡々としたリズムは、嬉々とした声でかき消えた。

 男は、手に持ったクレロワ著作本〝ガイア・アセンション〟を一旦下方に置く。

 子供達の元気が、間をおかず一斉に降り注がれる。


「ここに書いてあるチャット文字ってどういうこと?」


 質問を受け、男は軽く思案する。そして左手で頭を掻いた後、宙に右手の人差し指を突き立てた。それは文字を書く動作を始めていく。筆の様に、すらすらと。

 なぞった先には、何やら変化が生じていた。


《ザック・ルーベンス》


 緑色で書かれた文字。それは男の名だった。

 子供達には大きな驚きだったらしい。一人がすぐさま真似をし出す。が、宙には何も残らない。


「もう少し練習すれば出来るようになるよ」


 肩をガックリと落とす子供に、ザックは頭を撫でて語りかける。

 掌の温もりは、頭を通じ笑顔を生ませた。

 隣で見ていたもう一人の子供もまた、笑顔を見せる。

 だが、一方の無邪気な笑みとは違い、それはどこか傲慢さを感じさせるものだった。


「ザックさんサックさん!」


 件の子供が勢い良く立ち上がり、指で文字を書くしぐさを始めた。なぞった後には……


《シェイン》

《カイン》


 二人の名前が見事、綴(つづ)られていた。

 もっとも、今にも消え入りそうな程か細いものではあったが。

 したり顔で、文字を書き決めたのはシェイン。それを悔しそうに見つめ、不満の声を上げるのはカイン。二人は兄弟だった。


《しずかに》


 うるさく騒ぎ始める二人を、ザックは指先で制止した。


「チャット文字は、俺みたいにいろんな場所に行く人にとって、必ず覚えなきゃならないものなんだよ。覚えるにはどうすればいいか、解るよね?」

「べんきょう! あと練習!」


 正座をし、背筋と右腕をピンと上に伸ばし、兄弟は叫んだ。

 真剣なのか、お遊びなのか…… 子供特有の様態に、ザックは思わず苦笑い。

 ともかく、場は落ち着いた。

 読みかけていたページがあったが、ザックは仕切り直し、「人類の種」の項目を進めることにした。




 ――項目「クリスタル」

 アセンションを達成した新人類の一種。人類の半数以上はこのクリスタルに分類される。

 主な特徴としては、

 ・病気という恐怖からの解放。

 ・疲労というしがらみからの解放。

 ・睡眠からの解放。

 ・再生能力の向上。

 ・寿命が拡大。それに伴い、魂の寿命を取得。

 

 このように、肉体的な進化が多いのがクリスタルである。


 ――項目「バイオレット」

 アセンションを達成した新人類の一種。

 クリスタルが肉体の進化を促進させた者ならば、バイオレットは、肉体と魂を同等に進化させた者。

 肉体そのものの進化はさほどではないが、フォトンエネルギーをより多く体内に取り込んだことで、クリスタルには持ち得ない魂の力が上昇している。

 普段は変わり映えはないが、感情の高ぶり等により魂の力が溢れた時、肉体は半物質半霊化。物質をすり抜けるほどの透過度を誇るようになる。

 クリスタルとの類似点は

・寿命というしがらみからの解放。

・魂寿命を取得。

 などである――



「ふーん。でもこれだけわかれば十分だよね! 他におもしろい話はない?」


 野次に近いシェインの声だ。

 構わず進もうとしたが、


「ザックさん、これは? タグ術ってやつ」


 カインの、今話したページとは関係のない項目への質問に、ザックはいよいよ朗読を止めた。

 そしてなにも言わず、自分の持つ本をめくると、そこに書かれた一節を子供たちに朗読させる。


 「えーと、タグ術は、フォトンエネルギーがより一層強い場所でなければ行う事が出来ない、だって」


 二人は仲良く肩を落とした。ここでは出来ない事を知ったのだろう。


「詳しい話は難しくなるから置いといて……」


 言いながら、ザックは次に教える事を考える。

 その間も、二人は教科書の続きを急かし始めた。

 騒がしくなる予感が、次への思案の邪魔をする。

 と、その時。数歩離れた正面方向の出入り口を、誰かが叩く音がした。

 ザックは気づき、音の方を振り返る。


「レリクさん」


 直後、ブラウン色の長い髪の女性が現れた。

 ザックは一礼し、女性の表情と同じ柔らかな笑みで出迎えた。


「あ! かあさん!」


 兄弟は勢い良く立ち上がる。投げ捨てられた二冊の本が宙を舞う。

 飛び付いた二人に、母〝レリク〟の叱咤(しった)が飛んだ。 

 ぶつくさふてくされ始める兄弟に、ザックもやんわりと注意を促す。


「ま、いいや。かあさん、なにか用事があるんだよね。ぼくたち向こうに行ってくるよ!」


 言うが早いか、二人はどっと走り去る。

 急に押し寄せる静寂は、妙な戸惑いを覚えさせた。


「子供達に付き合って頂き、ありがとうございます。おかげであんなに勉強嫌いだった子達が自分から勉強を……」



 ――自分から学ぼうとする。

 その心が美徳とされるこの世界は、自ら学びたいと思わないかぎり他人は強要してはならない。

〝きっかけ〟に始まり〝夢〟を抱き、実現を目指し〝努力〟する。それがこの世界の習わしだった。


「俺は助けて貰った恩を返しただけですよ」


 ザックは情けなく眉を下げる。

 と、脳裏には気分を下げるある過去の光景が浮かび上がる。

 厚い灰色の雲が、空を一面覆う光景……

 思い出していく表情にも、次第に「曇」が広がっていく――


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