第13話・重なり合う想い

 ユーリッカが出て行ったあと、私は暫く茫然としながら寝台に座っていた。さっきまでは、私の運命に誰も巻き込むまいという一心だったけれど、彼女がエーディに手を出さないと言ったので、また自分のことについて考えずにはいられなくなってきた。

 彼女が来るまでは、まだ心のどこかで、これは何かの誤解で、ちゃんと話せばユーリッカは自分の過ちを認め、それを陛下たちに話してくれるのでは……という儚い希望を持ち、無意識にそれに縋っていた事に今更気づいたのだ。だけど、その希望は完全に断ち切られ、その上、エーディのくれた微かな光もまた消されてしまった……。セシリアさまは亡くなった。セシリアさまを殺した、だなんてあっさりと言う程の恐ろしい魔女に、本当にユーリッカはなってしまったのだ。セシリアさまは彼女の育ての親だったのに……誰よりも彼女が巫女姫に相応しいと太鼓判を押されていらしたのに……でも、セシリアさまが暫く会わない間にユーリッカは変わってしまっていた。

 もう、何も希望は残っていない……本当に私は斬首刑になる。どうしても実感は湧かないのに、涙ばかりが溢れてきた。


 強く扉が叩かれる。私ははっとして慌てて上掛けを被ろうとした。拷問の偽装をユーリッカが告げ口したとしたら、今更無駄なことだけれど。

 でも、入って来たのはエーディだった。ずぶ濡れであちこちに傷を負っている。


「ああ、エーディ! 戻って来てくれたのね!!」


 私は泣きながらエーディに駆け寄った。かれの表情は暗く、視線はおとしたまま。


「……すまない、マーリア……わたしは……セシリアさまをお連れする事が出来なかった……」

「もう……いいの。魔女の力にはだれもかなわないもの……。こんなに泥だらけで傷だらけで……ありがとう……戻って来てくれて」

「聞いたのか……彼女から……魔女から? セシリアさまは……」

「聞いたわ、ぜんぶ。……とにかくマントを脱いで、風邪をひいてしまうわ」

「風邪などどうでもいいだろう……」


 私を見つめるエーディの銀の瞳には涙が光っている。


「あなたは一生懸命わたくしを助けようとしてくれたわ。自分を責めないで」


 濡れた重たいマントをとると、紺の騎士団服にはいくつもの血の染みがある。


「手当てをして貰わないと」

「いい……なんの傷か説明するのも面倒だし、貴女をひとりにしたくない」


 そう言うとかれは寝台に腰かけ、頭を抱えた。酷く疲労して辛そうだった。


「グレンは?」

「わたしが戻って駄目だったと言ったら、まだ打てる手があるかも知れないと言って飛び出して行ったが……なにもありはしないだろう」


 そう言って深く溜息をつき、


「貴女に希望をあげたいのに……後で失望するのも辛いだろうと思い……済まない。わたしは無力だ……何が悪なのか、すべてこの目で見たというのに。彼女はわたしが何も出来ないと解っているから、敢えて手の内を見せたのだ。そしてご親切にも、魔女の力でわたしをここに送り返してくれたよ……」

「エーディ、あなたが戻って来てくれた事がわたくしの希望よ」

「貴女を助ける事が出来ない男などなんの希望にもならないだろう」

「いいえ……わたくしを信じてくれるひとがわたくしの隣にいてくれる。こんなに力強い事はないわ」


 エーディは顔を上げ、涙に濡れた目で私を見る。勿論、私も泣き腫らしている。


「マーリア……貴女は強い。こんなに強いひととは思っていなかった」

「強くなんかないわ。わたくしは何も知らなかった。ユーリッカが闇に堕ちるのも止められなかった。突然に突きつけられた冤罪にただ震え、怯える事しか出来なかった。いま、もし、わたくしにどこか強いところがあるとすれば、それはあなたがわたくしを信じてくれたおかげ……」


 そう言って私はかれの手を握る。


「最期まで、自分の誇りを貫く覚悟が出来た。あなたが、わたくしを殺すひとでよかった。あなた以外だったら、恐ろしくて崩折れてしまいそうだもの……」

「マーリア……」


 不意にかれは私を抱きしめた。急なことだったので、私はびっくりしてしまう。でも、いつの間にか、私の腕もかれの背に回り、私はかれの服の背をぎゅっと握り締めていた。私の手は震えている。私は強くない。私は死にたくない……。ひとの身体の温かさを感じた途端、そう思ってしまう。でも私はもうじき、冷たい死人になってしまう……。


「マーリア、わたしには貴女を殺す事など出来ない! そんな事をするくらいなら、己を百回殺した方がましだ。だが、貴女を置いて逝く事も出来ない……他の誰かが、ひとりぼっちの貴女を殺す事になってしまう……!」

「エーディ、絶対にわたくしをひとりぼっちにしないで。ずっと……最期まで傍にいて……」

「解っている。少しでも貴女の慰めになるのならば、決して離れないから」


 男の人が泣くのなんて初めて見た。しかも騎士団長、この国で一番強いひとなのに。だけど、その顔は、私の中の遠い記憶を甦らせた。あれは、まだ子どものころ……。


『マーリア、ぼくがついているから……ぜったい離れないから』


 王宮の裏庭に入り込んで遊んでいた時、私が足を滑らせて急な斜面から転げ落ちてしまった事があった。エーディはすぐに下りて来て、捻挫した足を手当てしてくれた。アルベルト王子は人を呼びに行ったけれど、後から聞いた事には場所が分からなくなってしまったそうで、私たちは一晩をそこで過ごさなければならなくなった。

 夜は寒くて真っ暗で、私は震え怯えてずっと泣いていたけれど、エーディは自分の上着を全部かけてくれて、そう、言ってくれたのだった。

 あの後、『いくら子どもでも、将来の王太子妃が他の男子と一晩一緒だったなど宜しくない』と言われ、私たちは一緒に遊ぶ事を禁じられて暫く会えなかったけれど、あの頃は病弱だったエーディは、肺炎を起こして死にかけたのだと後で聞いた。

 どうしてあんな大事なことを忘れていたのだろう? そう……私はアルベルトさまの后になるのだから、他の男の子をアルベルトさまより大事に思ってはならないのだと……思わないように、忘れてしまおうと、子ども心に自分の気持ちに鍵をかけたのだった。


「エーディ……あなたは……」


 泣き濡れた私の目をじっと見つめながら、エーディは私の言葉を遮る。


「マーリア。貴女は兄上の婚約者だった。だから、一生この言葉を口にすることはないと思っていた。だけど、もう貴女は兄上の婚約者じゃない。なので……言わせて欲しい。わたしは一目見たその瞬間から、ずっと貴女が自分の運命だと感じていた。子どもの頃は子どもなりに、長じてからは、より一層……あなたを愛してきた」


『あのひと。ずっと貴女の事が好きだったのよ』

『何を言ってるの。わたくしとエーディはきょうだいみたいなものよ』


 ああ、私はなんて愚かだったんだろう。エーディが私を『無実の乙女』と呼んだ瞬間から、少しずつ、自分で解って来ていた筈なのに。


「貴女の傍にいる事は出来ない、だからせめて貴女と兄上が幸せに暮らせるよう、護っていこうと……わたしはずっとそう思ってきた。なのに今、わたしはこの腕に貴女を抱いている……」

「ああ、エーディ……」

「済まない……そんなつもりはないのだと、まだ兄上を愛しているというのならば、すぐに離すから」

「離さないで。ずっと、ずっとこうしていて……」


 私たちは絶望的な運命に泣き、うち震えながらも、哀れな私たちの為にせめてと、女神が慈悲を下さったのだと思った。私たちはしっかりと抱き合って、何度も唇を重ねた。永遠にこのときが続けばどんなにいいだろうか……と思いながら。


 ……魔女は、何でも透視る事ができる。これすらも、ユーリッカの掌の上だったのだと、あとから、私たちは思い知る。

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