作者なのに悪役令嬢に転生しました
青峰輝楽
第1話・婚約破棄・そして断罪
粗末な板張りの護送用馬車は、街路の石畳の窪みに何度もその車輪を引っかけ、度に私はつんのめって床板の上に投げ出されそうになるのを堪えなければならなかった。後ろ手に縛られた身では、それは結構辛いことだった。そしてその様子を見た民衆の罵声は、瞬間、歓声に変わる。
「惨めなものだな、魔女が!」
「巫女姫さまを陥れ、国に災いを降らせた報いって奴さ」
冷たい霧雨が、私が着せられた白い麻の囚人服を少しずつ湿らせてゆく。
(さむい……)
芯から冷えていく身体の寒さと、これから私の身に起こる事への恐怖で、私は縮めた身を更に震わせる。刑場に着くまで引き回される私は見世物で、沿道に押しかけた民衆はただ怒りと嘲笑だけを投げかけてくる。
特に首筋が冷えた。私の自慢のブロンドはついさっき、無造作に顎のあたりでばっさりと切られてしまっていたから……これから首を刎ねるのに邪魔にならないように。
(どうして。どうしてこんな事に。私は何も悪い事なんかしていないのに……)
――――――――――――――――――――――――――――――――――――
「マーリア・レアクロス。おまえとの婚約は、今日この場で破棄する」
野太い声の宣言に、謁見の間に集まった人々が大きくざわめいた。滑らかに磨かれた大理石の冷たい床を、無意識にコツコツとヒールの踵で鳴らす私の靴音なんて、誰も耳に止めはしない。
婚約がなくなってしまう事は寂しいけれど、こんな風に、まるで罪人みたいに衆目の前で晒されるとは思っていなかった。彼が最近立て続けに起こる災害や流行り病への対応で疲れているのは解っていたけれど、どうして、今、こんな形で?
「何故ですの。そんな、一方的な……わたくしの何がお気に召さなかったのでしょうか?」
黄色い繻子を幾重にもかさねてレースで縁取った私の高価なドレスは、彼から昨年の誕生日に贈られたものだった。けれど、言い返した私に大股で近付いてきた私の元婚約者は、そんな事など忘れているようで、軍靴がその裾を踏みつけ、薄い布地の裂ける音が私の耳にだけ届いた。
アルベルト王太子は、私の顎を乱暴に引き上げ、睨みつけてくる。常に優しかった緑の瞳には疲労でくまが出来ていたけれど、それよりもその瞳に映る失望と、見た事のない大きな怒りが、思わず私を震え上がらせた。
「おまえを信じていたのに……マーリア。この穢れた魔女め」
「えっ……?」
まったく身に覚えのない、聞き慣れない単語に私は耳を疑った。
……その時。
「アルベルトさま……そんなに酷くなさらないで。わたくしはただ、女神の力を返してもらって、民を救えればそれでいいんですから……」
透き通るような声は硝子の鈴を鳴らしたよう。王太子の後ろからそっと姿を現したのは、妖精のようなという表現がぴったりの、緑の髪の美少女。女神に愛され、その力で国を守護する巫女姫、ユーリッカ・ラムゼ。私の……親友……。
「待って下さい、それはなんのことですの、わたくしにはさっぱり……」
「しらばくれる気か!」
王太子は怒鳴りつけ、私を突き飛ばす。私は多くの人の前で無様に床に転がってしまった。この私が……王妃陛下の姪で王太子殿下の婚約者、公爵令嬢マーリア・レアクロスが。
「おまえは反逆者だ! 禁忌の魔術でこの国の至宝、巫女姫ユーリッカからその女神の力を奪い、国を滅亡の淵に追いやっている!」
「…………?!」
なんのことかわからない、そんな事が出来る筈がない、それにわたくしとユーリッカは親友で……そう言いかけた時。
「……う、あああああっ!!!」
その言葉を聞いた瞬間、私の中に大きな衝撃が走った。流れ込んでくる、記憶の渦。私の、前世……。
そうだ。いったい何故今まで忘れていたんだろう。17年間もこの世界で生きて来て……公爵令嬢として、王太子の婚約者として讃えられ、大事にされて……思い出せなかった。
ここは、前世の私が作った、乙女ゲーム『リオンクールの風』の世界。私は、幸せな未来の王妃なんかじゃなかった。マーリア・レアクロス公爵令嬢は、悪役令嬢だったんだ……。
とっとっと、軽い足取りで近付いてきた美少女が、私の手をとって立ち上がらせようとする。けれど私の掌は衝撃で汗びっしょりになっていて、繋いだ手は滑って離れた。
「ごめんなさいねぇ、マーリア。貴女がわたくしとアルベルトさまの仲を疑って、そこまで追い詰められていた事に気が付かなくて。わたくしとアルベルトさまは、貴女が思っているような間柄じゃないわ。だって、貴女という立派な婚約者がいるのに、アルベルトさまがわたくしなんかに目を向けられる訳がないでしょう?」
「ユー、リッカ……!!」
そう、この子がゲームヒロイン。この世界で広く信仰されている女神ラムゼラに愛された唯一の人間、ラムゼラの巫女姫。女神の力を行使して、様々な災いから国を守る務めを一手に引き受ける、誰もに愛される美少女ヒロインだ。
だけど。私は悪役令嬢のような事はなにもしていない。ユーリッカとは長年の親友で、彼女がアルベルト王太子に恋していると知ってからは、もしも彼が彼女を選ぶならば身を引いてもいいとさえ思っていたのに。ゲーム中のマーリアがやるような、ユーリッカの贈り物を隠したり、階段から突き落としたり、悪評を撒いたり、なんて事は一切していない。
なのに私は今、断罪されている。婚約破棄の後に待っているのは、城外追放だ。どうしよう……お城の外で暮らした事なんてない私が、何もなく一人で生きていける筈がない……。
そんな恐ろしさに身をすくめていると、ユーリッカは何故か不思議な笑みを浮かべて私を見下ろしていた。
「貴女が嫉妬と思い込みでぇ、ひとのものを盗ったりするからこうなるのよ?」
「なんのことなの。わたくしはあなたの贈り物を隠したりしていないわ!」
「贈り物? 何の事かしら?」
すっと彼女は私から離れ、アルベルト王太子の傍に立つ。アルベルト王太子は、そんな彼女を庇うように引き寄せて私を険しい顔で睨む。そして言った。
「反逆者には死を。マーリア。おまえは斬首刑とする」
……処刑人には、誠実で知られ、私が宮廷で最も信頼を寄せていた、第二王子にして騎士団長のエールディヒが命じられていた。
斬首を言い渡されて茫然としている私には、もうそれ以上の感情は動かせなかった。
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