第8-1話:干支の話

 会社の飲み会が終わって他の連中より先に店の外に出た俺、加藤かとう友親ともちかと後輩の田中たなか孝治たかはるの2人はその外の寒さに身震いした。まだ20代と若い俺たちだが、さすがに11月末ともなると歩いて帰るのは厳しいな、という結論に達し、同居先のアパートまでタクシーで帰ることにした。

 大の男2人で暮らしているアパートはお世辞にも片付いているとは言えない住処であったが、それでも休みたがっている疲れきった身が欲するのは漫画喫茶などではなく住み慣れた我が家である、という点で俺とタカの意見は一致していた。

 滅多にタクシーなど使わないので俺もタカのどちらも乗り場が分からず、すでに終バスもない閑散とした駅前のバス乗り場付近を右往左往した。

 ようやく見つけたタクシー乗り場は、運ちゃんたちには申し訳ないがありがたいことにガラガラだった。その喜びを表そうと、酒の入ったノリでタカはハイタッチを求めてきたがガン無視した。俺たちはたった2歳の差だが、タカの若々しさはその年齢差よりもずっと大きい気がする。まあ俺がノリの悪い人間だってことは自分でも良く分かっているが。

 乗り込んでドアが閉じる音のあと、運転手が話しかけて来た。

「どこまで行きましょうか」

 俺は黙ってタカに任せた。人に説明するのは苦手だ。

「僕んちなんですけど、道が上手く説明できないんで住所でもいいですか?」

「いいですけど」

 カーナビに手をやりつつも明らかに声がめんどくさそうだ。いや、てめえがめんどくせえな。嫌なら正直にそう言えよ。言いたくねえなら態度に出すな。

 ドアと背もたれに全身を預けながら冷たいガラスを頬で味わっていた俺の内心の毒つきをいつものようにタカが上手いこと変換してくれた。

「あはは、やっぱり面倒ですよね、そうだなあ」

 タカが家の近くにある病院の名前を伝えると、運ちゃんは知ってますよとばかりに「あそこね」と返した。不愛想なその調子にもめげることなくタカは「じゃあ近く行ったらまた細かいところ伝えますんで」と笑みを見せた。さすが営業。流れるようなトーク。

 だが内心は俺と同じかそれ以上にムカついてるんだろうな。今日は帰宅後に延々とこの運転手に関する愚痴を聞かされることだろう。そのあと普段通り、仕事で溜まりに溜まった愚痴が続くはずだ。


 その後は俺もタカも喋らず、当然のように運転手も自分からは喋らず、車内は静まりかえった。あまりにも静か過ぎて、前の車の遅さに苛立つ運ちゃんの舌打ちまで良く聞こえるほどだ。

 うぜえなあ。せめて聞こえねえようにやってくれ。つーか、帰宅後のタカの愚痴がまた増えそうだ。なんだろな。接客業をする人間が客の前で舌打ちをするなんて人として終わってる、とか、別に愛想良く振る舞えとか神様として扱えって言ってるわけじゃなくて最低限の礼儀ってものは知ってる仲にだってあるのにましてや、とか、まあうんぬんかんぬんそんな感じだ。

 車内の雰囲気から気分をそらそうと窓の外を見ると少し先に神社が見えた。どうやら何か祭りでもやっているらしく出店ののれんがちらちらと見える。ほうほう賑やかでいいですなあ。なんの出店があるんだ。

「えーと、たこ焼き、お好み焼き……」

 見えるのれんの文字をぶつぶつと呟いているとこれまた社内の空気に辟易としていたらしきタカが身を寄せて来た。

「トモ、それ、なんの呪文?」

 こんな呪文があるかっつうの。

「神社だよ。ほれ」

 俺があごで外を指したときはちょうど神社の前を通り過ぎる瞬間だった。

「さんのにし?」

「いや、ありゃ、とりだろ? 酉の市だな」

 そういえば11月だったな。11月といえば酉の市か。あれ?

「三の酉? そんなんあったっけか」

「どういうこと?」

「いや、語呂が悪いっつうか」

 なんか聞きなれない言葉だった。「いちとり」と「とり」は聞いたことがあったが、あまり「さんとり」は聞かない気がした。

いちとり一日ついたちだったからですよ」

 突然、運転手が口を挟んできた。

 何勝手に会話に入ってきてんだよ、と俺が口を開く前にタカが物理的に俺と運ちゃんのあいだに顔を入れてきた。

いちとり一日ついたちってどういうことですか?」

「11月の酉の日が……酉の日って分かります?」

「いやー、分からないですねー」

「干支なら分かりますよね」

「さすがに干支は知ってますよー」

 とりあえず表面上は笑いながら先を促すタカに、運転手は気持ちよく話し続ける。なんでも1年間のそれぞれの日には干支の動物が割り当てられており、12日ごとに1周しているらしい。つまり、ある日が酉の日だったなら次の酉の日はその12日後であり、酉の日は月ごとに2回ないしは3回あるわけだ。

 そして11月の酉の日に開かれるのが酉の市であり、その1回目の酉の市が「一の酉」、2回目の酉の市が「二の酉」、そして年によってあったりなかったりするのが「三の酉」ということになる。

 なるほど、それでイマイチ他の酉の市に比べて「三の酉」だけ聞き慣れないと思ったわけか。

「最近の若い人は酉の市なんて知らなくて当たり前ですよ」

 得意げな運ちゃんの言葉に苦笑する。本音が出始めたな。エンジンがかかってきたじゃないか。嫌いじゃないぞ。ただ隣に座るタカの内圧の高まりがびりびり伝わってくるのが嫌だ。今夜は寝かせてもらえないかもしれねえぞ、これ。明日も会社あるんだが。

「知ってます? 熊手の買い方」

「いやー、ホームセンターとかで普通に買いますけど、間違ってるんでしょうね」

 タカ、笑顔で相手を立ててるつもりだろうが、そもそも間違ってるぞ。その熊手じゃねえ。酉の市で買う熊手は商売繁盛のために大量に縁起物をぶら下げてある品だ。

「去年よりデカいのを買うんすよね、熊手」

 タカのせいで何も知らないと思われたままなのも癪だし口を挟んでみた。俺だってそれくらいは知っているのだ。しかし。

「お客さん、それはどんな熊手を買うかって話ですよ。私が言ってるのは熊手の買い方ですよ」

「あん?」

「熊手ってのはね、値切らんといかんのですよ。半額まで値切るんです」

 なんじゃそりゃ。じゃあ元々定価の2倍で売ってるってことかよ。風習ってのはこええなあ、おい。そんなん知らなかったら普通に無駄に高い値段で買ってるってことじゃねえか。

「ああ、僕はダメだなあ、それ。値切るの苦手なんですよ」

 そうだな。俺相手だったらどんな無茶でもいう癖にな。

「でも分かって良かったですよ。要は知らないと定価の倍で買わされるってことですもんね」

「違いますね」

 違わねえだろ。半額まで値切るのが正しい買い方だって言ったじゃねえか。

 口には出さなかったが、俺のその気持ちが態度に出まくっていたらしく、運ちゃんは少し寂しそうにため息をついて先を続けた。

「知らないですよねえ。半額まで値切った上で、定価分を払うんです。勝手に増やしたその半額分は店へのご祝儀なんですよ。気前の良さを見せるんです。その余裕が、ケチらない粋な買い方が、商売繁盛につながるんです。売る方も、買う方も分かっててそれをやるんですよ」

 なんじゃそりゃ。なんつうローカルルールだ。知らずに値切って、相手が半額にしてくれたらそのまま買っちまうだろうに。

 内心呆れつつも、俺はそのしきたりが嫌いにはなれなかった。ある意味、プロレスだ。強い技を魅せるために、相手はわざと避けずにくらう。その結果生まれる派手なやり取りを楽しみ、福となす。

 ただ、そうだな。それが粋と見なされる時代は過去のものになっていくんだろう。それを寂しいとか、悔しいとか思う奴もいるんだろう。そう思う連中もまた、取り残されて消えていく。別に熊手に始まった話でもない。

 キキッと車が赤信号で止まった。その真っ赤なシグナルを見ていた運ちゃんが口を開いた。

「お客さん、干支は知ってるって言ってたじゃないですか」

「さすがに年賀状とかでも見ますからねー。友達多いんで、毎年いっぱいもらうんですよ、ありがたいことに」

 ただイエスと答えない辺りがタカだな。

「干支が由来のものって酉の市以外にもあるんですよ」

 話したくてしょうがないらしい。だったら勝手に話せよ、と俺だったらここで興味ありそうなフリはできない。

「へえ、ホントですか。なんか知ってるかな。年を誤魔化してないかチェックするときに使うとか、それくらいしか知らないなあ」

 それは由来とは関係ないだろ。

「なんですか、それ」

 逆に運ちゃんが食いついてきた。その反応は予想していなかったらしく、珍しくタカが反応に困っていた。それでも俺が口を開くと碌なことがないと分かっていたので、肘でタカの脇腹をつつく。

 やめてよ、と追いやられたあと、タカが説明しだした。

「年齢を誤魔化そうとして嘘をつくと、正しい干支が答えられない人が多いんですよね。自分の歳より5歳多い数を言うのは簡単でも、5歳分多い干支を言うのは難しいですからね。でも自分の干支がとっさに言えないってのはやっぱり怪しいでしょ。それで嘘ついてるかどうか分かるってネタです。飲酒可能な年齢かどうかのチェックに使われるって聞いたことありますよ。ただ広まっちゃったから今はもう使われてないかもしれませんね」

「へえ、それは知りませんでした。面白いこと思いつく人がいるもんですね」

 素直に驚かれた。なんかそれだけで運ちゃんの好感度が上がるから不思議なもんだ。俺も素直に話を聞いてやろうという気になった。

「それで? 干支が由来って何があるんすか」

「桃太郎って話、知ってますか? あれのお供とか」

 なんだって? 桃太郎のお供? えーと、なんだったっけか……ああ、犬ときじと猿か。それと干支が関係……

「あっ!」

 声を上げた俺に、運転手は我が意を得たりとばかりに話を続けた。

「そうなんですよ。お話だと犬が先なんで分かりづらいかもしれませんけど、さるとりいぬってことです。十二支ってのはそのまま方角にも当てはまりましてね。いわゆる鬼門に当たる方角が、干支でいうとこの3匹がいるところなんですよ」

 ホントかよ。つうか、干支が方角に当てはまるってなんだよ。

「方角ってなんすか、東西南北を12分割するってことっすか?」

「そうですよ。ねずみが0時です。知りませんかね。北極星のことを、だからほしって言うんですよ。うしこくまいりって言いますけど、朝の1時から3時のあいだくらい。丑三うしみつ時ってのも同じですね。ああ、そうそう。6時の位置に来るのはなんだと思います?」

 なんだと思いますも何も、数えるだけの話じゃねえか。えーと、ねーうしたつみーうまひつじ、だから……

「馬か」

「そうですね。実際は24時間で1周するところの半分なんで、午後12時。だから正午って言うんですよ」

 だからってなんだ。

正午しょうごは馬ですよ。干支の馬」

 ……うお、ホントだ。

 驚いて顔を上げたとき、ちょうどフロントガラスの向こうに見慣れた景色が見えた。同時に気づいたらしいタカが運ちゃんに道を説明しだす。

「あ、すんません、そこの橋を越えたあと、病院まで行かずに手前の角を右に曲がってもらえます?」

「はい、分かりました」

 運ちゃんの口調からいつの間にか投げやりな気持ちが消えて、どこか余裕が感じられた。

 そんなわけで俺たちは無事に和やかな気持ち(と干支にまつわる雑学)を抱えてアパートに辿り着いた次第だ。今夜は良く眠れそうだった。願わくば、タカも同じ気持ちであって欲しいところだ。そうすれば大人しく寝かせてもらえるんだが。

 しかしその願いは、粋な熊手の支払いを期待して妙に値切らせようとしてくる運ちゃんと、それをくみ取れずにブチ切れたタカのせいでご破算になった。

 こりゃ今晩は寝られねえぞ。

 勘弁してくれよ。

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