第1-5話:ぶりの話

 うちの大学の食堂は数年前に建て替えられたばかりだ。見た目だけでなくデザインもモダンになり、正八角形の建物の食堂部分はほぼ全面が窓という解放感あふれる眺めになっている。学生の受けも良い。ただしデザインに関してはだ。

 他校の生徒がそれを目当てにここへ食事をしに来るという話は滅多に聞かないし、むしろうちの生徒がすぐ隣の敷地に建っている別の大学の食堂へわざわざ昼を食べに行くという話のほうが良く聞く。

 理由はひどくシンプルで、単にメニューが高くて不味いと評判だからだ。


 そんなわけで、珍しく午前の授業からちゃんと出席していた友人の永久子とわこに「セージさ、お昼ご飯、どこ行くか決めてないなら食堂に行かない?」と誘われたときにどうしようか一瞬迷ってしまったのも仕方のない話だ。

 あと一応説明しておくと、セージというのは俺のあだ名だ。本名は粕川かすかわ政治まさはる。高校の頃、担任の先生に名前を「せいじ」と読み間違えられたことがあったのがあだ名の由来だ。

 閑話休題。

「別にいいけど、どうして学食?」

 どちらかというと味の安定している松屋のほうがいいな、と内心思いながら理由を聞いてみた。

「ときには理由のない行動があってもいいと思わないか、粕川かすかわ

「でもあるんだろ?」

「まー、あるけど」

 コロッと態度を変えて、ふらふらと体を揺らしている。

 少しだけ理由が気になったが、どうせはぐらかされるであろうことは分かっていたので誘いを承諾することにした。それに午前の最後の授業が終わったことで本館の廊下も込み合って来た。いくら評判の悪い食堂とはいえ昼飯時だ。あまりもたもたしていると2人の席も無くなるかもしれない。

「理由聞かないの?」

「話したいのか?」

「そういうわけでもないんだけど、ちょっと聞いて欲しかったかなあ」

 どっちなんだ。相変わらずつかみどころのない奴だ。高校の頃から変わらないな。

 いや、そうでもないか。


 この津川つがわ永久子とわこは高校時代の同級生だ。ただ俺と違って1浪でこの大学に入ったので、大学では学年が違ってしまっている。それを負い目に感じる様子もなく、むしろ自らネタにして、ときどき俺のことを先輩扱いする。でもすぐ飽きてタメ口に戻す。そんな自由人だ。

 高校で初めて会った頃は違った。つかみどころがないというより、つかまれるような距離に他人を近づけさせないというか、曖昧な笑みを浮かべたままふらふらと人から距離を取って、いつも1人でいるのを好むような女子だった気がする。

 いつの間にかそれほど人との接触を忌避しないようになって、俺ともよく話すようになった。

 そうなったきっかけが何かあったのかもしれないが良く覚えていない。

 今度、誰か高校時代の友人にでも聞いてみようか。まあ、あの高校からこの大学に進んだのは俺と永久子しかいないことを考えると、そうそう機会は無さそうだが。


 食堂は不人気だと聞いていたのに意外と込み合っていた。よく見ると持参した弁当やコンビニで買ったとおぼしき食事をここで食べている生徒が多くいた。道理で込み合うわけだ。

 食堂のメニューの中ではそこそこコストパフォーマンスと味のバランスに優れているような気のする魚のアングレーズと小ライスと味噌汁を注文した俺は、先に注文を終えて席をとっておいてくれた永久子の隣に座った。

 永久子は俺のトレイに乗った料理を見ながら難しい顔をしている。

「なんだっけ、そのメニュー。魚のアン……アン……アンかけ?」

「惜しいけど違う……いや合ってるけど、違う」

 否定しようと思ったが、確かに見た目はただの魚の餡かけだ。

 面倒くさい間違いをする奴だ。

 ちなみに永久子の目の前にはうちの学食の名物の1つである親子丼、通称「ざぶとんどん」が置かれていた。ご飯に乗った具がレトルトパウチからそのまま出したかのように四角く固まっており、見た目がまるで座布団のように見えるところからそう名付けられたと聞いている。

 余談だが味は普通らしい。

 その具を箸でさらに小さな座布団に切り分けながら、永久子が何かを思い出したように「あー」と声を出した。

「くだらないはなししていい?」

「お前、いつもくだらない話しかしてないだろ」

「まあ、そうだけど」

 否定してくれよ。

「何年ぶりに会った、とか、何週間ぶりに風呂に入った、とかそういう言い方あるじゃん」

 さすがに何週間も風呂に入らない状況ってそうそうないと思うが、ああ、でも、無人島に置き去りにされたならばあり得るかな。

 それはさておき。

「確かにそういう言い方はあるけど、なんでそんな話になったんだよ」

「こんな記事あったん」

 差し出してきたスマホを見ると、アメリカの野球に関するネットニュースだった。なんでも今年からメジャーリーグに渡った有名日本人選手が2日ぶりにヒットを打ったらしい。

 しかしその内容よりも気になったことがあった。

「永久子ってスポーツに興味ないと思ってたけど、メジャーリーグはチェックしてるんだね」

「いや、全然」

 おい。

「じゃあ何がどう気になったんだよ」

「2試合ぶりってあるじゃん」

 確かに記事のタイトルにはそう書いてある。

「うん」

「2試合ぶりかあ……2試合のあいだずっとブリかあ……でも2日間くらいなら食事が全部ブリでもギリギリ乗り切れるな、って思ったわけよ」

「思ったわけよ、って言われても」

 真顔で何を言ってるんだ、こいつは。

「知らないよ。2日間もずっとブリ食べたくないし」

 この言葉になぜか妙に永久子が生き生きしだした。

「あらま。あまりブリ好きじゃないの?」

 言われるまで考えたこともなかったけど、あらためて考えてみてあまり好きじゃないことに気づいた。

「なんか、中まで味がしみてなくて、身がパサパサしてて食べづらいイメージが……待て、なんの話だ、これ」

「セージの好きな食べ物の話でしょ」

「いや、途中からそうなっただけで、最初は違っただろ」

 こいつ、すぐ自分がなんの話をしてたか忘れるよな。

「そうかもしれないけどセージの好きな食べ物が何なのか、毎日の食事がどうあって欲しいのかは重要っしょ?」

「重要かなあ……」

「少なくとも私にとっては重要なんよ」

 さっぱり分からない。

 困惑する俺の前で永久子がポンッと左手の平に右こぶしで叩いた。

「あ、そうそう、それで思い出した。結局、セージは結婚したら相手のことなんて呼ぶのよ」

「はあ?」

 何がどうして今の話でそんなことを思い出すんだ?

「結局ってどういうことだよ。前にそんな話をした記憶がそもそもないんだけど」

「したよー、俺は結婚相手をハニーとは呼ばない、って高らかに宣言してたじゃーん」

 そんな話をした記憶がないが、永久子があからさまにがっかりした様子を見せているのでどうやら俺が忘れているだけらしい。永久子はホラは吹くが嘘はつかない。

 ただ申し訳なさはあったが、正直、話題の振れ幅が大きすぎてついていくことが出来ない自分がいる。一度、軌道修正する。

「いや、だから、そもそも野球の話だろ。あの2試合ぶりに……」

 あれ? 

 あらためて事の発端となった言葉を口に出したところで、1つ気になった。

「ちょっと待って。さっきの記事、見せてもらっていいかな」

 俺の頼みに、別にいいけど、と永久子が大仰に肩をすくめながらスマホを手渡してきた。


 記事のタイトルは「~選手、2試合ぶり安打&先制ホーム」という感じだった。日本でも注目度が高い選手だけに、その先週だけの1試合ごとの結果が速報されているらしい。

 今回の試合ではヒットを打って、残塁することなく無事にホームまで帰って来られた。この試合でもチームに貢献している、というような記事だった。野球にそこまで詳しくないが、際どいタイミングで戻れたというようなドラマティックな展開もなくただホームに生還しただけで記事を書いてもらえる選手なんてそうはいないだろう。本当に注目度が高いんだな。

 もっとも俺が気になったのはそういうことではなかった。タイトル部分と内容を何度も読み比べたが、どうしても腑に落ちない点があったのだ。


「良く分からないな」

「だよね」

 うんうん、と頷いている。

 絶対に分かってない。

「いや、大した話じゃないんだけどさ。これ、タイトルで『2試合ぶり』って書いてるじゃん」

「うん、つまり毎日試合があると仮定して……」

 永久子は少し考え込む様子を見せたあと、確認するように真剣な顔でビッとこちらを指差した。

「2日間の食事をブリだけでしのぐってことだよね」

 そこまで引っ張るようなネタか、それ。

「違うよ。この2試合ぶりってつまり何試合ぶりにヒットを打ったのかな、って気になってさ」

「2試合ぶりでしょ?」

「いや、だから例えば今日がその2試合ぶりにヒットを打った日としてさ」

 鞄の取り出しやすい場所に引っ掛けてあるボールペンを取り出し、念のためもらってきたけど使わなかった紙ナプキンに日数を表すための丸を書き並べる。そして7つ並べた丸の真ん中の1つを塗りつぶし、その上に「今日」と書き足した。

「仮に毎日試合があったとした場合、最後にヒットを打ったのは2日前なのか、3日前なのか、ってことなんだよ」

 塗りつぶしていない丸の上に、それぞれ1日前、2日前、3日前と明記する。

「あいだに打ててない試合が2試合あったから2試合ぶりなんじゃないの?」

 だからここでしょ、と5本の指をスッと伸ばしたままの手のひらを紙ナプキンに近づけて、3日前と上に書かれた丸を伸ばした中指で触れた。

「試合の数を表すと考えると確かにそうなるんだけどね」

 そう、そこまでは俺も考えたのだ。

「いやいや、試合の数以外に数えるものないでしょ。あと何があるんよ」

「試合と試合のあいだ」

「あいだ?」

 さっきとは別の紙ナプキンを手元に引き寄せて、さっきは丸で表現した試合部分を今度は点で表現し、それらを線でつないでみる。等間隔の結び目が細い糸に付けられたような感じだ。

 そしてまたそれぞれの上に3日前、2日前、1日前、今日と書く。

「こう書くと2試合ぶりってのは一昨日ってことにならないか?」

 今日と書かれた結び目から2つ隣の結び目に指を移動させる。

「えー、おかしいでしょ、その理屈で言ったら、毎試合ヒットを打ち続けても1試合ぶりにヒットを打った、って言えちゃうじゃん」

「うん、言えるのかもしれない。でも言えないのかもしれない」

 いずれにせよどちらが正しいのかを確かめる手段は分かっていた。

「永久子さ、何試合前にヒットを打ったか調べることって出来るかな」

 俺の言葉にスマホの画面を見つめる。さらに上から下から斜めからそれを眺めてから、うん、と頷いて俺にスマホを渡した。

「任せた」

 面倒になったな。

 借りたスマホの画面を見ると、個人成績や試合結果など色んなメニューが用意されていた。確かにこの情報量を前にすると若干腰が引ける。

 まあ言い換えるとこれだけあれば毎試合の結果もどこかにあるだろう。

 俺が試行錯誤を繰り返し、なんとかそのデータに辿り着くまでのあいだ、テーブルに頬杖をついたまま永久子がじっとこっちを見ている気配を感じた。

 興味ないことに付き合わせるには長すぎかもしれないな。急ぐか。

「うわ」

 やっと求める情報のページに辿り着いたが喜びより驚きがまさった。

「おっ、どうした」

「いや、え? そうなのか……ここだ」

 俺は丸で試合数を表していたほうの「2日前」の丸を指し示した。つまりヒットを打った試合と試合のあいだには1試合しかない。

「さっきの永久子の言葉を借りるなら『毎試合ヒットを打ち続けても1試合ぶりにヒットを打った』ってことらしいね」

 若干腑に落ちない気持ちのまま、ボールペンの後ろ側で2日前の丸をトントンと叩く。

「まあまあ、そう気を落としなさんな。少なくとも1つはいいことあったわけだし」

「いいことってなんだよ」

 そもそも別に嫌なことがあったわけでもないんだが。

「ブリだけで乗り切る日が1日で済むってことよ」

 マジか。

 まだ引っ張るのか、そのネタ。

 顔を引きつらせる俺の様子に気づいているのかいないのか、平然とした様子でうんうんと頷いている永久子が、そういえばさ、と顔を上げた。

「ブリだけで乗り切る日が少ないほうがいいって話で思い出したんだけどさ」

 どういうことだよ。

 そもそもそんな話はしてないし、仮にしてたとしてもそんな話から何が思い出せるのか。

「ほら、薬を飲むと子供に戻れる高校生探偵が主人公のアニメあるよね」

 どのアニメを指してるのかは分かるがそういう設定じゃないぞ。

「小さい頃、あれ良く見てたんだけど、その主題歌で確かこんな歌詞があったのよ」

 騒がしい中とはいえ一応は周囲を気遣ってか、永久子は抑えた声で短いフレーズを歌う。どうでもいいが、永久子が歌うところを久しぶりに見た気がする。高校の頃、何度かクラスでカラオケに行った気がするが、それ以来か。

 個人的に永久子が歌ってるところ見るのは好きだった。普段の奇矯なふるまいからは想像もできないほど真剣に歌うからだ。まるでどんな歌でも讃美歌のように。

 まあ、それはさておき、その歌詞を聞いて、永久子の言いたいことがなんとなく分かった。

「懐かしいな。100年ぶりの世紀末か」

「そうそう。さすがに世紀末終わってから次の世紀末まで100年のあいだ、ずっとブリしか食べられないってなったらセージじゃなくてもキツいよね」

 当たり前だ。

 むしろ同じ食事しかしてないのに100年生きてるほうのがすごい。

「まあ100年じゃないけどな」

「何が」

「いや、だから次の世紀末までって100年じゃないだろ」

「さっきの話の続き?」

「そうじゃなくて、普通に世紀末と世紀末のあいだは100年間じゃないでしょ」

「あれ? 世紀末って100年に一度じゃなかったっけ」

 俺は最後の余った紙ナプキンに1本の線を描き、2本の短い縦線で区切った。片方の縦線の上に1901年、もう片方に2000年と書く。

「100年に一度だけど世紀末自体は幅があるだろ」

 2000年と書いたほうの縦線から右に伸びる横線を少しだけ太目になぞる。

「1999年だって世紀末扱いなんだし、1998年だって世紀末だろ」

 ああ、なるほどね、と永久子が呟く。

「約100年ぶりってこと?」

「そういうこと。正確に言うならね」

 細かいなー、と不満そうに口を尖らせる永久子に、少し言い訳がましく付け加える。

「でも、ほら、これで100年もブリだけで暮らさずに済むだろ」

 数年しか変わらないけど。

「ほほう。確かにそれはありがたい」

 馬鹿な話をしているあいだに、昼休みもほとんど終わりかけ、午後の授業の時間が迫っていた。

「そろそろ俺は行くけど、永久子は授業あるんだっけ」

「ちょっと疲れたからなかったことにしようかと」

 おいおい。

「疲れるようなことしてないだろが」

「まあ余韻に浸らせてよ」

 何の余韻なのか不明だったが、何やら楽しそうだったので、別にいいか、と永久子をおいて食堂をあとにした。

 そういえばなんで一緒に食事したいのかはよく分からないままだった。それが分かるまでには結構な年月を必要としたが、それはまた別の話だ。

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