第3-2話:バーベキューとクリスマスの話
夏休みが近づいてきたある日のことだ。
私は友人の
丸テーブルが6つほど並んでいる旧部室棟の1階のホールは売店と自販機もあって便利は便利なのだが、そんな理由もあり、静けさを好む人間やあまり皆に見られたくない作業を行う人間などが集まる場所になっている。
今日に限っていえば、前者が私、後者が沙耶だ。
沙耶が丸テーブルの1つに大きな紙を広げる。手を離すとすぐ丸まってしまうその上に重し代わりの筆箱やらコピックの箱やらを置き、腰に手を当てながら大きく頷いた。
まるでそれだけで一仕事終えたかのように。
先日会ったときより若干短くなった気のするボブカットのゆるふわな茶髪がその仕草に合わせてふわりと揺れた。
「さーて、始めますか!」
窓際まで移動させた椅子に座っていた私は、手にしていた文庫本から軽く顔を上げて、わざとらしく袖をまくる仕草をしている沙耶を見る。そしてあらためて手にした紙面に目を落とし字を追い始める。
「さーて!」
沙耶の声がまた聞こえたが無視して本を読み進める。
ぶっちゃけ読んでる本はつまらなかった。
いや、古本屋の店頭に100円で投げ売りされてた本だから別につまらなくても惜しくはないが、つまらない本を読む時間は正直もったいない。いやいや、でも出だしがつまらないのを我慢して読み進めれば面白くなることもある。別に他にすることもないし……
「さーて! 始めますかぁ!」
紙を広げたテーブルからじりじりと私の側まで来ていた沙耶がこっちを向いてまた言葉を繰り返した。
作業開始をアピールする沙耶のうっとうしさに、ついに私は根負けする。
「あー、もう、いいから始めなさいって」
「うん、だから始めようって言ってるの」
「つーかさ、あんた、そもそも半そでなのになんでさっきから袖をまくろうとしてんの」
白のハイネックTシャツに紺色の縞のスカートという涼し気な恰好が目にまぶしい。
黒い長そでのTシャツに灰色のデニムパンツの私とは実に対照的だ。
「そこまで見てたんなら手伝って欲しいって思ってんの分かるでしょ?
自慢じゃないが友人と呼べる人間なんて(目の前のこれを勘定に入れても)片手で足りる。有名になりようもない。
大体からしてサークルのイベントのためのポスター描きを安請け合いしたのは目の前のこいつだし、それに……
「1人で作業するの寂しいから横にいてくれるだけでいい、って話だったはずでしょ?」
「そんなん口実に決まってんじゃーん!」
だから茶目っ気たっぷりに片目をつぶりながら両手をピストルっぽくこっちに向けるのはやめて欲しい。
イラッとくる。
手伝う気はなおも起きなかったが、なんとなく立ち上がり、ポスター用の白紙の脇に置かれたメモを見やる。
「バーベキューだっけ」
「そー、ちょっと資金稼ぎのためにバーベキュー大会するんだってさ。安い肉と野菜で参加費がっぽりがっぽり」
どうやら大学の隣にある公園でやるらしい。
別に私は参加しないから場所も主催者もどうでも良かったが、1つ気になった。うちの大学にバーベキューサークルは無かったはずだ。
いや、どこの大学にも無いだろうけど。
「何のサークル?」
「なんだっけ、忘れた」
「お前……」
見た目の可愛さだけはこの大学でも3本の指に入る沙耶のことだ。当然、サークルへの誘いも多く、断るということを知らない彼女は、自分でも覚えてられないほど多くのサークルの名簿に名を連ねている。そして入ってはすぐ飽きて顔を出さなくなる。
まあ、それでも彼女と知り合いであり続けたいと考える人たちのおかげでとにかく顔は広い。
広くて浅い。
色んな意味で沙耶はそんな子だ。
そう思ってた。
しかし、このままだと何一つ進まなさそうだった。
仕方ない。
文字くらいは入れてあげよう。
「で、何? バーベキュー大会って書けばいい?」
「うん、じゃあそれを日本語と英語で書いて、ほら、留学生も来て欲しいから、そうそう、あとその下にバーベキューしてる男女のイラストもお願いね。ちゃんと色つけてよ。それと参加費は男子が2000円、女性が1000円、あ、地図もあったほうがいいかな。サークル名はちょっと忘れちゃったからあとで調べて足しといてね、って、あっぶな、忘れるところだった、これ出来れば定期的なイベントにしたいから第1回って入れてもらえる? 分かってると思うけど英語でも分かるようにして、あと……」
よし、タイトルを書いたらあとは読書に戻ろう。
そしてこの子と縁を切ろう。
内心でそんな誓いを立てつつ、ポスター用紙の上5センチほどに鉛筆で線を引く。
ここにタイトルを入れる。
カタカナで立体的な文字でバーベキュー大会と書いて、その下に英語でバーベキューパーティと書き足す。
その瞬間。
「ぷー、クスクス~」
沙耶が口に両手を当てながらわざとらしく吹き出した。
なんだよ。パーティじゃダメなのか? フェスティバルか?
「ちょっと真紀子さ~ん、そんな英語力でよくここに入学できましたわね~」
さっきの口元に手を当てたポーズのまま、その小さい体をぶつけてくる。短いボブカットの茶髪がサラサラとアンニュイに揺れる。笑みを隠し切れない大きな目が見上げて来る。
めちゃくちゃ可愛い。
私が男で、かつ仕事を押し付けられてなくて、かつ普段から金をたかられまくってたりしてなかったら即オチだったな。
うん。
ぶっちゃけ殴りたい。
けど、そこをグッと押さえて聞いてあげる。
「何が不満なん?」
「いや、だってさあ、……あ、じゃあヒント! ヒントあげる!」
沙耶は、私が書いた英語のバーベキューの文字に向けていた指をそのまま顔の横にピンと立てた。
「バーベキューを3文字で書くと?」
「
「で、ここに書いたのは?」
あらためて沙耶の指したポスターのタイトル部分には Barbecue Party と書かれている。
「見ての通りだけど」
「ね? あるはずのQがないでしょ?」
もー、なんでここまで言わないと分かんないかなあ、ホントに気づいてなかったの、などと好き勝手言ってる沙耶を無視してスマホを操作する私。
「直しといてあげるね、感謝しろよー、飯おごれよー」
私の下書きの上から直接マジックペンで修正しようとした沙耶の眼前にスマホを突き出して止める。
「はい」
私が見せたスマホの画面には「バーベキュー 英語」をグーグルで検索した結果が、デカデカと「日本語:バーベキュー、英語:Barbecue」と表示されている。
「ね? ないはずのQはないでしょ?」
私の言葉に数秒黙ったあと、沙耶が視線を逸らした。
「……真紀子ってネットを鵜呑みにするところあるよね。便利だけどさ、そういうの視野が狭まるっていうか」
テンションがグッと下がった沙耶の苦しそうな反論(?)を背中に聞きながら、私は売店へ向かっていた。
店員さんに一言断りながら店頭の英英辞典を借りる。
「はい」
開いて見せたページでは「Barbarous」の次に「Barbecue」が並んでいる。
相手の沈黙を数秒堪能してからお店に辞典を返し、あらためてマジックペンを握りしめて作業を続けることにした。
その通り。
私も大概性格が悪い。
遠くから見ても読めるように、と太く大きな文字で書いたカタカナの「バーベキュー」の文字をマジックペンで縁取りしてると沙耶が横でブツブツ言い出した。
「おかしいよね……略したときにQ入れたバカがいたってことだよね……」
つーかお前も手伝え。
なんで私だけが働いてんだ。
……ん、ちょっと待てよ。
沙耶の言葉を聞いて、ちょっと気になることがあった。
「もしかしてだけど、沙耶ってクリスマスを英語で書いたときにXが含まれると思ってたりする?」
反射的に言い返そうとした沙耶は、グッとそれをこらえてスマホを操作しだした。学習能力はあるようだ。
そして目を見開いた。
「嘘でしょ……」
おそらくグーグル検索の結果で「日本語:クリスマス、英語:Christmas」と表示されてるであろうスマホを睨んでる。
この顔はあまり可愛くない。
ちょっと怖い。
「一応解説しとくと、キリストが Christ で Christmas だから」
このTはなんなんよ、と沙耶がぼやくであろうことは予想がついてたので先に説明しといた。こっちをバッと見やった沙耶が、一瞬だけ怪訝な顔をしたあと、納得したように頷く。
表情豊かだな。ちょっと羨ましい。
「略字と言えばさー」
タイトルの日本語を書き終え、今度は英字のペン入れに取り掛かった私は、脇で暇そうにしてる沙耶に話しかける。
つーか、働け。
「さっき沙耶、第1回って言ってたじゃない」
「人数集まらなかったら2回目はないだろうけどね」
「それは別に好きにしてくれたらいいんだけどさ、そうじゃなくて、第1回を英語で書くとしたらどうする?」
「何、ここで英語の勉強?」
「いや、そんな顔しないでよ、ちょっと思い出したことがあってさ」
ただでさえ短い沙耶の導火線がほとんど尽きかけてることに気づき、さっさと解答編に移ることにした。
「ほら、ページ数とかでも良く使うでしょ、
「そーねー」
テンションひっく。
「ナンバーのスペルって Number じゃない、でも略称だと
「あっ……そーね」
ちょっと声のトーンが明るくなった。
良かった。
ここでへそを曲げられても面倒なのでクイズ形式は諦めて話を進めてしまおう。
「でもちゃんと理由があってね、この
まー、ネットで得た知識だけどもさ、とぎごちなく笑って見せる。
そんな私の顔を見た沙耶が、普段見せない表情を……何やら真剣に思い悩んでるように見える表情を浮かべた。
英語の Barbecue を太目の筆記体に書き上げたところでペンを筆箱に放り込んだ。
「あとは自分でやんなさいよ」
椅子に置きっぱなしにしてた文庫本をデニムパンツのポケットにねじ込む。そのまま立ち去ろうとした私の腕を沙耶がつかんだ。
「え、何?」
「真紀子もバーベキュー来てね」
「はぁ!?」
思いもしない方向からの一撃に完全に不意を突かれた私に、沙耶がなおもまくし立てる。
「前から言いたかったんだけど、真紀子さ、もっと友達増やしたほうがいいって! いっつも目つき悪いけど、笑ったら意外と可愛いんだしさ!」
私ほどじゃないけど、と付け加えるあたりがこの子たる所以だが。
いや、それよりなんでこんな必死な顔してんだ、この子は。
え? もしかして本気で心配されてるのか、私。
「あんたさ、私がバーベキューとか行くようなキャラに見える?」
この言葉に沙耶は目を固くつぶり、何度もためらいを見せてから、押し出すように声を発した。
「わ、私が参加費出してあげるから……は、半額くらいは!」
なんでそんな血を吐くような顔してんよ。
半額って500円だよね?
え、いや、それでもまさかこの沙耶の口から奢りの提案が出るなんて。
「いつだっけ」
しょうがない。
「忘れたからあとで送る」
誘っておいてそれはどうなんだと苦笑しつつも私は頷いて見せた。
「了解」
手を振って別れた。
バーベキュー大会には行ったし、そこで留学生と話した鉛筆の話はなかなか楽しかったけど、沙耶の意外な一面が見れたことのほうが収穫だったかもしれない。
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