怪盗スクーロ~Phantom Scuro~

星下 輪廻

どとは[@dotoha3]さんとのうちよそ

イタリア、ミラノ。中世の面影を今に遺すこの街の一角に、イタリア警察の本部があった。アルメリコは、本部長から直々にお呼びがかかりすぐさま飛んできたのである。

「失礼します、アルメリコです」

「うむ、入れ」

木製の重い扉を開けると、大きなデスクの向こうに深々と腰かけている人物がいた。パイプの煙が部屋いっぱいに充満している。

「やあアルメリコ君」

本部長は気さくに話しかけてきた。しかしアルメリコにとってみると、本部長の口からどんな言葉が出てくるのかということで頭がいっぱいであった。

「どうだね捜査は。もうすぐ逮捕できそうかね」

「いえ……。それが……」

アルメリコは言葉を濁した。本部長はそれも無理はない、相手は稀代の大怪盗だからなと慮ってから、ある提案をした。

「そうだ、君に部下をつけよう。一人では辛かろう、部下をつければきっと変わるはずだ。入ってきたまえ」

重い扉がゆっくりと開いたその奥には、ショートカットの女性が立っていた。茶髪で目鼻立ちのしっかりした子である。その女は堂々とした足取りで、アルメリコに並ぶ。

「スクーロ逮捕のために、わざわざ遠い島国の日本から派遣されてきた、高良律君だ。お前の力になるだろう」

戸惑うアルメリコを前に、律はぺこりと頭を下げる。

「日本から来た、高良律だ。以後よろしく頼む」

「は、はぁ……」

「お前は名を何というのだ?」

あ、これは苦手なタイプだ。アルメリコの第六感はすぐさま感じ取った。まさか部長は彼女と一緒に仕事をしろとお命じになるのか。これでは逮捕どころか捜査もまともにできないのではないか。

「……アルメリコという。なぁ律、俺が想像していた日本人とは到底違うのだが。礼儀正しく、誰にでもきちんと礼のできる人種だと理解していたが?」

「まさか。そんな日本人は、少なくともここにはいない。俺は俺だ」

厭きれた。そんな横車を押すような言い訳がまかり通る世界で生きていたらしい。

「本部長、まさかこの女と仕事をしろということで?」

「いやかね?君の為にわざわざ日本から呼んだんだぞ?」

「は、はぁ……」

怪しいという目で見るアルメリコを横目に、律はこういってのけた。

「俺に任せてください。刑事は後ろで見ている間に全部終わらせてみせますよ」

本部長はよく言ったと言わんばかりに、律の肩をポンと叩く。

「よし、頼んだぞ。今度こそイタリア警察の名誉をかけて怪盗スクーロを逮捕してくれ!」

「はっ!」

二人はそろって敬礼した。




「へぇ、あの刑事に部下か……」

スクーロは盗聴機のヘッドホンを外して呟いた。昼間だというのに、カーテンが敷かれた薄暗い部屋。家具は備え付けのもの以外一切なく、盗聴の機材とコーヒーカップだけが置かれていた。

スクーロは虚空を仰ぐ。考えることは、アルメリコの下についた部下のことだ。

高良律とはどんな人物なのだろう。あの声質から女であることは察しがついたのだが、果たしてどんな事が得意で、私を追い詰めてくるのだろう……。今度の仕事は、今以上に力を入れて取り組まねば……。

そんなことを考えているうちに、疲れからかいつの間にか眠りについてしまった。




「それで、律はどんなことができるのだ?」

アルメリコは、パトカーのハンドルを握りながらそう訊ねた。

「そうだね、ではご覧に入れようか」

律は、大事そうに抱えているカバンからノートパソコンを取り出し、目にもとまらぬスピードで何かを打ち込む。軽快なキータッチだけが暫くした後、律はにやりと口角を上げた。

「……みつけた……。おいお前、そこの角を右に曲がったところにある建物の玄関前で止めてくれ」

アルメリコは律の口から出た〝お前〟という言葉に苛立ちを覚えながらも、指示の通りにパトカーを止めた。一見普通の集合住宅である。煉瓦造りの時代を感じさせるもので、外壁には蔦が無数に絡まっている。

「なぁ律、ここに何がある」

「ここか?ここはな、スクーロのアジトだ」

「なに!」

律はふふんと自慢げな様子、それに対しアルメリコは顔を赤くさせた。

「逮捕だ、スクーロ!」

アルメリコはベレッタと手錠を片手に、乗り込んでいった。その様子をじっと車内から見ていた律は、厭きれたようにつぶやく。

「あー……。そんなことしなくても……」




いつの間に眠ってしまったのだろうか。スクーロはドタドタと騒がしい足音、そして自らの名を呼ぶ聞き覚えのある声で目を覚ました。

「逮捕だ、スクーロ!」

「あら、アルメリコ刑事。ここがよくお分かりになりましたね」

ドアをドタンと勢いよく開けて、開口一番叫んだ彼に、スクーロは一言称賛の言葉を投げかけた。アルメリコは不敵な笑みを浮かべて

「なぁに、これが俺の真の実力よ……」

と豪語する。スクーロは中途半端に開いたカーテンの隙間に目をやり、窓の下をちらりと見下ろす。青いパトカーの後部座席、UVガラスの向こうに短い髪が揺れる。表情は残念ながら確認できなかった。

「さぁ、大人しくお縄につけ。スクーロ」

「そう簡単に捕まるわけにはいかないですね……」

癇癪玉を炸裂させる。部屋には破裂音と白い煙、そしてガシャンというガラスが割れる音が響いた。

「くそ、逃げられた!」

アルメリコは慌ててパトカーへ戻ると、アクセルを踏む。

「そら、言わんこっちゃない。だけど慌てることはないさ。奴の居場所はわかってる。そこの角を右に曲がってくれ」

指示通りパトカーを走らせると、前方に大型の真っ赤なバイクが走行しているのを確認した。まるで何かから逃げるような、並みのスピードでない慌てようにアルメリコはサイレンを点灯させて追いかける。

「待て、スクーロ!逮捕だ!」

ライダーは当然反応することなく、さらにスピードをあげる。アルメリコは片手を通信機に伸ばし、こう叫んだ。

「応援だ、応援を寄越してくれ!スクーロが現れた!」

「了解、すぐに向かう!」

しかし、所詮は四輪と二輪。小回りの違う両者の追いかけっこだ。なかなか捕まらない。

バイクはほんの少しの車間をまるで網の目をかいくぐるが如く進んでいく。対してアルメリコも負けじと片輪を浮かせ、追いかける。

ライダーはしつこいアルメリコを撒こうと、ライダースーツから筒状のものを取り出し放り投げた。筒から真っ白な煙が勢いよく噴き出し、アルメリコの視界をすっかりと覆う。

「くそ……!」

どこにスクーロがいるのやら、見当もつかない。それどころか、自分がどこを走っているかすらわからないのだ。しかし、アルメリコはがむしゃらにアクセルを踏み続ける。

「……いない……案の定、奴は逃げおった……」

煙が晴れ、改めて周りを見回したアルメリコは悔しそうに呟いた。




アルメリコの猛攻から命からがら逃げてきたスクーロは、ドサリとソファに倒れ込む。そのままゆっくりと両の瞼を閉じた。

ここが見つかるのも時間の問題だ。

考えることは、奴はどうやって足取りを掴んだかということ。そのためには、あの後部座席に座っていた人物を調べてみるしかあるまい。確か名前は高良律、日本人だったか……。

スクーロはパソコンを立ち上げ、彼女の名前をサーチした。しかし、どのページにも名前がかかることはない。これでは手の出しようがなくなってしまった。全くもって八方塞がりだ。

高良律……お前の正体は一体なんなのだ……。





皇帝エンぺリアスムーン公開」

「皇帝・カルロ5世の愛した宝石 アゲロ邸にて公開」

翌朝、こんな記事が一面トップを飾った。

「本当に大丈夫なんでしょうな?相手は稀代の大怪盗ですぞ?」

アゲロ家の現当主、アルネが訝しげに尋ねる。

「それにあなたは、いつも追い詰めては逃げられるとお噂の刑事さんではありませんか……」

痛いところを突かれた……。アルメリコは言い返す言葉もなく、ただ

「任せてください、奴から必ずやこの宝石を守ってみせます!」

と、答えを濁す。

こうやって餌を撒いておけば、奴は必ず食いつく。そこをとっ捕まえてやるのだ…。

「待たせた。完成したぞ」

丁度いいタイミングで、律がやってきた。手には筒状に丸めた紙を持っている。

「お前のお望み通り、俺お手製のオート金庫だ。暗証番号は俺しか知らない、セキュリティは完璧と言っていいだろう」

律の自信に満ちた表情に、今まで訝しげだったアルネも安堵の表情をみせる。

「これで我が家宝も安泰です。ありがとう、本当にありがとう」

さぁ、奥でお茶でもどうかねと誘うアルネ。しかし、そこに警邏が慌てて飛んできた。

「刑事ー!スクーロからの予告状です!」

「なにぃ?それで、内容は?」

「皇帝の月をいただく 怪盗スクーロ とのことであります!」

思惑通りだ、見事に食いついてきた。今度こそ必ずや奴をとっちめてやる……!

アルメリコは、拳を固く握った。



敵さんの登場はまだか……。早く来い……。アルメリコ達は屋敷の見回りと外の警備に勤しむなか、律はひとり金庫に寄りかかり冷静さを装いながら敵の登場を、今か今かと待ちわびていた。しかしその実、その胸は今にも口から勢いよく飛び出さんばかりに早く、強く打つ。

アルメリコがスクーロを逮捕しようとアジトに乗り込んだあの日、自分の力不足も相まって奴の両腕に手錠をかけられなかった。それが悔しいのだ。だから、今夜こそ……。

彼女はギリギリと歯を食いしばり、爪を手のひらに食い込ませる。

突如、ガシャンというガラスの破裂音でふと我に返った律は、腰に下げているモーゼルを抜いた。誰だと声をあげて辺りを見回すも、人陰どころかネズミ1匹いない。……いや、正確には粉々に砕けたガラスと一緒に筒状のものが転がっていた。

「なんだ、これは……」

彼女は訝しむ。1度は罠かもしれないと自制した。しかし、はやる気持ちを抑えきれなくなった律は触れようと慎重に近づいた。その時、筒の両端から勢いよくガスが噴出し、辺りを白く染め始める。

「やられた!」

とっさにハンカチで口を覆う。辺りは既に煙が充満、白い霧に覆われてしまった。

もし俺が犯罪者だったらこの時考えることは……この金庫を一括で管理しているノートパソコン!彼女一番の脳内コンピュータが瞬時に結果をはじき出す。

彼女は視界が悪い中パソコンの元へ駆ける。がそれより早く、後頭部に氷よりも冷たい何かが押し当てられる。彼女の身体から一気に血の気が抜け、足元から冷たいものがゾクゾクと上ってきた。然しながら、彼女も伊達に男社会に生きていない。肝が据わっているのか逃げる様子もなく、冷静だった。

「やぁ、こんばんは。怪盗さん」

律は至って冷静に、背後にいるであろう者に話しかける。

「お宝は知っての通り、あの金庫の中だ。あれを開ける暗号は俺しか知らない」

「……そのノートパソコンを貰おうか……素直に渡せば俺は何もしない……」

怪盗は冷たく鋭い声で彼女を圧する。しかし彼女も頑として屈することがない。暫し沈黙の時間が流れる。

「もし渡さなかったら……?」

「こうするだけだ」

静寂を鋭く切り裂く一発の銃声。しかし手ごたえはなく、いつの間にか律は怪盗からさっと距離を取っていた。腰のホルスターから磨かれたモーゼルを取り出して。

「武力行使ですか、怪盗らしくない……」

物陰に隠れ、弾をリロードする。依然霧が晴れず、視界を白く覆ったままで人影すら判別できない。彼女の額から滲む汗が、頬をつつつと滴り落ちた。

刹那、彼女の腕を銃弾が掠り血が滴った。銃を持つ手に鋭い痛みが走る。ぐっと顔を顰め、空いた片手で押さえた。耳を澄ませると、カツカツという靴音が微かながら聞こえた。律は痛みで震える手をどうにか抑えながら、モーゼルのトリガーを引く。しかし当たった様子はなく、呻き声ひとつ聞こえない。

再びの静寂。いつ命を駆られかねないと、恐怖でドクンドクンと激しく脈を打つ。ありとあらゆるところから嫌な汗が噴き出し、モーゼルを持つ手にも汗が滲む。少しでも力を抜こうものなら途端に滑り落ちてしまいそうだ。

「そこか!」

ただならぬ気配を感じ、彼女は真後ろに銃口を向けた。互いの額に銃口が押し付けられる。目の前にはトリガーに指をかけた怪盗の姿。スクーロの「オペラ座の怪人」の様なマスクの奥に見える目には、何かが燃えているように感じた。この一連の戦闘を楽しんでいるのだろうか。

「観念しろ、スクーロ。お前にこれは盗めない」

律は依然としてモーゼルの銃口を向けたまま、ドスの効いた声を出す。しかし、スクーロはただこちらを見つめるだけで反応を示さない。それどころか、どうだろう。PPKを懐のホルスターに収めてしまったではないか。これでは捕まえてくれと言わんばかりだ。

律はこれ幸いとスクーロに手錠をかけた。しかし、これが運の尽きだということを彼女はこの時考えもしなかったのだろう。




「いやぁ、スクーロをよく捕まえてくれた。君の功労には深く感謝するよ、高良律君」

スクーロ逮捕の一報に現場に駆け付けた本部長は、彼女の手を固く握った。現場は先程までのピリピリした空間からほっと一安心した空間へと変わっていた。だがただ1人、未だに気を張っている人物がいた。彼の目線の先にはしゅんと大人しくなったスクーロの姿がある。奴はガシャリと手錠をかけられたその腕をじっと俯いて見つめていた。

「どうだね、アルメリコ君もこっちに来んかね?」

「いえ、私は結構です。奴は何を企むかしれませんから」

アルメリコはスクーロから目を離さずにそういった。

「ははは、君は根っからの仕事人だな」

本部長はかかかと高笑いする。こいつは何もわかっちゃいない。スクーロがどういう悪党なのか。アルメリコは はぁと内心諦観した。

スクーロ、何を企んでいる?貴様はむざむざと捕まるような怪盗ではないだろう。まさか、あいつはスクーロではないのではないか?いやそんなことは……。

アルメリコはカツカツとスクーロに近づき、こう問うた。

「お前本当にスクーロか?」

「えぇ、そうですよ?あなたが執念を燃やし、血眼で追っているのはこの私ですよ」

怪しい、何かある。しかしそれを裏付けできるだけの証拠もない。彼は悔しそうに、現場の警官に向かってスクーロの護送を命じた。

「スクーロめ、奴は絶対に何か企んでいるに違いない。こんな素直に捕まる奴ではないのだ」

スクーロが両脇を現場の警官に固められ、パトカーの後部座席に乗せられる。その一瞬、スクーロはアルメリコの方をちらりと見て乗り込んだ。彼にとってそれは、スクーロからの未だこの事件は済んでいないとのアピールであるように見え、心なしか口元に笑みなぞを浮かべているように感じた。

サイレンは次第に遠く、車影は小さくなっていった。アルメリコは、いなくなってからもただただ見つめていた。

と、無線機から何か慌てた様子の声が漏れてきた。アルメリコはどうしたと訊ねると、相手は切羽詰まった声でこう答えた。




皇帝エンぺリアスムーン が盗まれた!」


(2017.09.28 執筆)

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